塩川寶祥伝
「あんたの試し斬りが、本当の試し斬りだ」
20 居合の形どおりの試し斬り
この富ヶ原先生は、試し斬りに関しては不得手であった。
そもそも試し斬りをする流派は多くない。その流派や、団体の長が斬れなければ、保身のためにその門下には斬ることを許さないからだ。
鵬玉会において、抜き打ちの試し斬りが可能なのは、塩川先生が試し斬りの上手であったことが大きい。現在の新名宗家が、斬れなければ高段位への挑戦を認めないのだから、稽古に励み、技術を習得するしかない。
塩川先生は畳表、藁、竹を切る試し斬りは見事であった。
試し斬りの写真や動画を見た方も多かろうと思うが、通常は、斬る為に剣理を外れた体勢で大きく振りかぶる者が多い。
そして、斬った後の刀が流れているのがほとんどである。
「試し斬りをすると形(かた)が崩れる」というロジックが語られる所以である。
しかし、塩川先生は違う。肩が流れることもない。斬ったあと、ピタリと刀が止まっている。要は、無外流の居合の形どおりに試斬をされているのである。
しかも、斬った竹はそのまま立っている。
「俺の試し斬りを見た中村泰三郎が、ぜひ試斬会に来て演武して欲しいと、二度ほど言ってきたが、断ったよ。『あんたの試し斬りが、本当の試し斬りだ』と言っていたがな、俺にはそんな暇な時間はなかったんだ」
中村泰三郎先生は、陸軍の戸山流を代表する大物であった。試斬でも有名だ。
ちなみに「試斬(しざん)」と呼ぶのは抜刀道系の言い方であり、無外流においては「試し斬り」と呼ぶ。これは新名宗家からの指示である。
新名宗家に聞くと、合宿で稽古しているところに散歩に来た塩川宗家の逸話を教えてくれた。サンダル履きの散歩中の先生に斬り方を聞くと、間合いもはからず、サンダル履きのまま、「こうすりゃええんじゃ」と無造作に、しかし形の美しいフォームで大竹を斬ってのけたとのことだ。
修羅場を本当にくぐった人には、そんなこともたいしたことなかったのかもしれない。
21 守・破・離
塩川先生は弟子の指導にも厳格であったようだ。
それを感じさせる逸話がある。
剣道、夢想神伝流の居合道の範士であられたある先生に憧れて同じようにやっていた弟子がいたそうだ。
それを塩川先生に見咎められた。
「ばかもん!何をやっておる!俺の教えた通りにやれ!」
単に形だけを真似ても、何の意味もない、その形に至るまでに何十年という鍛錬を重ねているのである。それを、出来上がった結果だけを下手くそが真似てもまったく意味がないぞ!ということだ。
初めは、理屈は要らない。まずは師の言うとおりに基本を積み重ねるべきだ、という。
無外流のもう一つの巻物「百足伝(ひゃくそくでん)」では、それをこう言い表している。
「習うより 慣るるの大事 願(ねがわ)くは 数(かず)をつかふに しくことはなし」
塩川先生は、それを「守、破、離」という言葉を使って説明される。
「「守」の間は、とにかく師匠の言うとおりにせよ。その時は、理屈で納得行かないことが在ってもガタガタ言うな。それが本人のためだ。「守」の一応の目安は、六段錬士までだ。そこまで行けば「破」に行っていいだろう。そうなったら、自分で考え工夫してみるのも良いだろう。長年修行をつんで、「破」の混乱がまとまり、自分なりの武術が出来上がったときが「離」だ。そのときは一流一派をたち上げても良い。免許皆伝は、修行を積み「離」の段階になった時に許されるものである。」
塩川先生は段位、肩書きで弟子を見なかった。問題なのは、強いか弱いか。
「それで、斬れるか!なぜ無駄な動きをするんだ!最短距離を素早く斬るんだ!」逆に細かいところには、こだわらない。
「ああ、別にそれでもええぞ、相手が倒れりゃあな」
これらの逸話を知ると、わが師新名宗家はその薫陶を受けたのだ、ということを実感し、会ったことのない塩川先生を感じるのだ。
