16代宗家と「寶玉会(ほうぎょくかい)」

わが師 新名玉宗と

16代宗家と
「寶玉会(ほうぎょくかい)」

■ ご宗家名代演武が終わり、7月のご宗家との2人稽古の際のことだ。
報告事項をプレゼンしたのち、私はこう切り出す。
「今日の稽古は、四通八通(しつうはっつう)について、ご宗家が変更した点について、動画で確認した内容の中で理合を知りたいものがあります。質問させてください」
「そうか、実は俺も今日考えていたんだよ。武田さんに何を教えようか?って。明思派四通八通について教えた方がいいな、と思っていたよ。」
 師弟というのは、同じ方向を向いている限り、思考が一致する。
 同じ方向を向いていることを確認したとき、信頼感が生まれるのだ。

■ 四通八通は本来香取神道流から来ている、と言われる。
しかし、それが本当なのかは、だれも知らない。

 他流の師範たちが四通八通を稽古しているのを見たことがある。
 間合いが、私たちに許されたものとまったく違う。
 当たらない間合いで宙を打つ。
 私たちは当たる間合いでなければ叱責を受ける。

 新名宗家は合理的だ。
 組太刀の理合というものは、仕太刀(勝つ方)に都合がよくできている。
 曰く「このままでは使えない。使えるものに変えよう」

 しかし、それが今までのものと違う、ということで「明思派四通八通」と名づけよう、と変更されたのだ。
 自由組太刀を一歩深めるためには、その内容はとてもいい、と思った。
 本来がどうであったか、なんてもはや誰も知らない。
 使える四通八通。
 それなら最高だ。

 「いいか、武田さん、ここまでは皆に教える。「これ」は武田さんだけだ。
 それをどうするかは、武田さんに任せる」

 東征流短杖もまかせていただいた。
 「ご宗家、東征流短杖も武田さんに譲ったらどうですか。
武田さんなら、大きくしてくれて、後に残してくれます。」
 そう財団法人無外流の専務理事の久保田師範から口添えがあったそうだ。

■ この東征流短杖、明思派四通八通も、無外流を理解するための重要な道だ。この短杖や、明思派四通八通も、無外流の併伝である。
 併伝の存在価値とはなにか。
 それを学ぶことで、無外流の理解を深め、高みに上ることができるということだ。

 ふつうはそうは発想しないだろう。
 なぜそう理解できるかと言うと、禅を学んだからだ。
 形の初太刀で斬る技術、明思派四通八達などの約束組太刀や自由組太刀、東征流短杖、これらの技術を極め、それを禅でくるんだときに初めて宇宙ができあがるのではないか。

 そう新名宗家に話すと
 「俺が人生を賭けてやってきたのは、その世界を作ることなんだよ」と答えをいただいた。

■ そのあと「今の武田さんなら、この内容が実は何を言いたいかがわかるだろう」と雑誌のインタビュー記事のコピーをいただいた。
 後進のためにそれをここに記載しておきたい。

新名玉水さん(当時)

本町に道場誕生

 四月、本町にNPO「寶玉会(ほうぎょくかい)」本部道場が開設された。
(注 新名宗家は、塩川宗家から継承したのち、塩川「寶」祥宗家の1字と新名「玉」水宗家の1字をそれぞれとり、武道団体「寶玉会」を設立されていた)
 寶玉会とは、日本の古武術である無外流居合兵道をはじめとした諸武道の普及、またそれらを通して人格の陶冶、斯道の研鑽、子供達の情緒を育てるなどを目的に活動している。寶玉会理事長を務めるのが無外流居合兵道第十六代宗家新名玉水さん。(注 当時、先代塩川宗家から十六代宗家を正式に允許されており、東京都の広報誌にもその記載がされていた)。

 昭和二十三年、大分県生まれ。子供の頃は野球少年だったが、武道への憧れはずっと抱いていたという。高校生のときにテレビで観た合気道に魅せられ、武道の道へ。その後、自分の求める武道を探し、合気道、空手、杖などを習得していく。成蹊大学卒業後、三菱重工株式会社へ入社。
 「当時、輸出の仕事に携わっていましたので、ペルー、メキシコといった南米を中心に、各国を飛び回っておりました」

 忙しい日々の中、出社前に稽古をし、終わるとまた稽古場へ。そして行きついたのが居合である。転勤先の下関には、無外流居合兵道第十五代宗家塩川寶祥がいた。
 「最初から教えていただくことはできませんでしたが、塩川宗家の道場へ一か月間通い続け、やる気を認めていただいたんです。一般の人の稽古終了後に指導を受けました。
 先生の自宅と道場が一緒だったのですが、先生はある程度教えると、部屋へ帰って行きます。
 ところが、私の動く音を聞いていて、『おまえ今の足違うだろう』と道場へ戻ってくるんです。

 さまざまな流派の中で特に実戦的であり、斬れる居合と称される無外流。
 平成十年、その無外流宗家を継承。
 二年後には、自分に残された時間と体力を考え、定年を待たず退職した。

「武道はまず型を学びます。そして型から術へ、最後に〈道〉に行き着くもの。どれが欠けてもいけない。これら三位一体が武道なんです。
 ところが日本人は、先に道にこだわるといった頭でっかちな人が多い。しかも稽古をつけると、すぐに根をあげる。昔とは大分変わりましたね。海外へも指導へ行くのですが、外国人の方が熱心です。日本人がよほどしっかりしないと、彼らにみんなもって行かれてしまうのではと思えてきます。
 こうした現状の中、三百年以上続く無外流を残していくために、後代へ繋げる人材を育てなくてはいけない。それが私の役目だと思っています。」

 趣味をも「武道」と答える宗家。その武道とはいかなるものなのであろう。
 「対戦する時、どうしても目の前の敵にとらわれ、心がそこにとどまってしまう。そうなると刀の振りが小さくなってしまいます。
 たとえば、自分の踏み出す足が、相手を通り越しどこまで行けるだろうかと考える。アメリカ大陸まで、いや、地球を超えて火星までも・・・。心というのは無限大に広げることができる。とらわれない心になれるんです。これが武道の魅力です。」

■ 「術」から「道」へ。
 新名宗家の立場に立ってみたら、弟子が同じようなことを言っていた、ということなのだと思った。
 師の人生のテーマを弟子が理解した。
 そしてこれは禅の世界の話だ。禅というのは恐ろしい。「わが剣は禅なり」「無外流は禅の教導いたすところ」という無外流は、なんとすばらしいのだろう。
 さて、このインタビューの解釈は、あなたの考える余地として残しておきたい。

■ さて、このコピーをいただいた後、新名宗家に、娘と息子が期末テストの真っただ中で勉強していると伝えると、「ちょっと待ってろ」と道場を出ていかれた。
 帰ってきたご宗家の手には、息子たちへの団子とどら焼きの山。
 赤ん坊のときからこの道場に来ている息子は、近所のみたらし団子が大好きなのを新名宗家はご存じなのだ。
 「試験勉強の休み時間に食べさせろ、がんばれって。」
 まるで孫の心配をするかのようで、本当にありがたい。