プレスリリース

「自由組太刀®」は

国際居合道連盟鵬玉会によって商標登録されています

「自由組太刀」は国際居合道連盟鵬玉会によって商標登録されています。(登録第6923998号)令和7年5月2日に登録されました。

1)「自由組太刀®」とは武田鵬玉会長による造語である

 自由組太刀とは、国際居合道連盟鵬玉会の武田鵬玉会長による造語です。

 極真空手では、今では「組手」と言えば「自由に戦う組手」です。しかし、武田会長が足を踏み入れた昭和40年~50年前後、今の「組手」は「自由組手」と呼ばれていました。これは「約束組手」に対するものです。

 その自由組手、「組手」という言葉自体が戦後の造語であったのではないかと思います。
 その範となったのは、おそらくこの居合ではないかと思います。
 「組太刀」という言葉が、素手の空手に「組手」という言葉を作らせたのではないか、というのは想像に難くありません。

 武田鵬玉会長が居合にあった組太刀を「あくまで約束ごとにのっかった「形(かた)」としての約束組太刀」とし、居合の技術で戦う実戦を「自由組太刀」と造語したのは、これらの経緯があります。

2)商標登録された「自由組太刀」

 しかしながら、この造語は評判を呼んだのでしょう。
 あちこちで使われ出しました。
 当初は、「これで居合全体が盛り上がればいいな」とのんきに思っていましたが、近年国内外で首をかしげるような事件やできごとが多々起こっています。

 何かあってからでは取り返しがつかない。この夏の居合道選手権大会も9回目を数え、ますます盛り上がってくれば、それをほったらかしにするのは運営側の無責任です。

 そこで顧問と相談し、特許庁に商標登録を出願申請したのが2024年。
 2025年5月にこれが認められました。出版やセミナー、YouTubeをはじめとしたオンラインでの動画や、大会やイベントでこの「自由組太刀」という言葉自体、勝手に使えません。
 といっても、「自由組太刀」を鵬玉会が独占したいわけではありません。
 これをビジネスにしようと思っているわけではないのです。
 あくまで、居合の世界の自由組太刀を守りたいわけでそのためにお金と労力をかけて商標登録しました。

 そのため、当面はこの用語に使用料をかけようとは思いません。
 一言「今回の〇〇について、自由組太刀という言葉を使わせてください」と筋だけ通してください、ということです。
 筋さえ通していただければ構わないのです。

 これで居合自体が盛り上がればいいな、と思います。

2025年5月吉日

国際居合道連盟鵬玉会 会長
武田鵬玉

フジテレビ「禁断の対決」撮影顛末記

フジテレビ「禁断の対決」撮影顛末記

【本文は、フジテレビの撮影が終了し、放送前の段階で撮影に直接協力した方だけに今日お祐されたものです】

フジテレビの撮影がいったん終了しました。
撮影にご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。
個別にお礼を言いたいところですが、「あのとき何が起こっていたのか?」を私が語ることでお礼にしたいと思います。

また、「なぜ勝ったのか」「なぜ負けたのか」を考察することで、本人たちだけではなく、その場で同じ空気を吸った剣士たちの成長を促すことができるのではないかと思います。
厳しいことを書くかもしれませんが、みな自分のこととして良薬に変えてほしいと思います。

起床4:30 衛藤さんの迎え5:30 武道館入りセッティング6:00 カメリハ開始7:30 本番9:00開始

第1戦目 箕輪〇 × 川尻×

第1戦目が始まった。
アイマスクをした2人。
内弟子なら知っている。
光も遮断し、前は一切見えない。
しかし、川尻は怪物だ。
すぐに箕輪の対角線左前に向かって歩き出す川尻。
川尻は明らかに箕輪をとらえた。
これは、フジテレビのカメリハで湾岸スタジオに行き、「天才」とフジが称した箕輪の対戦相手をオーディションしたときの川尻の戦い方だ。

相手の横に回り込み、そこからまっすぐ攻撃に入る。
相手の準備が整う前に一気呵成に攻め立てる。
この前に前に攻めていく攻撃を私は「前々の攻撃」と呼ぶことを内弟子は知っている。
これは無外流本来の特長ではない。
剣道の動きだ。
ジュリアーノ熊代も、衛藤も準備が整わないままそれに沈んだ。
熊代も衛藤も、まったく川尻に刃が立たなかったのだ。
ディレクターは「もし自分がアイマスクをしてなくて、川尻さんがしていたとしても、まったく勝てる気がしない」と感嘆した。
フジは川尻を「怪物」だと称した。

しかし、箕輪は動いた川尻に気づいた。
回り込むのは、相手が気づかないからできることだ。
箕輪は川尻が動くとそちらにからだを向ける。
川尻は回り込んで箕輪に向かって前々の攻撃をしかけたが、箕輪は川尻が抜刀したのを気づき、からだを沈めて足を狙った。

一本。

私は既視感を感じた。
そうだ、これは熊代が4戦のうち1勝をもぎとった3戦目の勝ち方だ。
あのとき、いきなり前々の攻撃をしかける川尻に2敗した熊代は、意地をかけたのだろう。
「もう一戦させてもらえませんか」と言った。
熊代は逃げつつ、追いかける川尻を誘い込み、長身を沈め足を狙った。
川尻の刀は空を切り、熊代は川尻をつかまえた。

箕輪はあのオーディションには関係が無かった。
箕輪の相手をできる選手を探すためのオーディションだったからだ。
しかし、彼は来て、そして見た。

あの熊代の貴重な1勝に箕輪はこう思っただろう。
川尻の攻撃はひたすら前々。
しかも抜刀して一番近いところを狙うから中段へ攻撃をかける。
上下に散らせばまずは1勝だ。

だから最初から狙っていたように見えたのだ。

箕輪は、熊代から勝ちパターンを手に入れなりふり構わず自分のものとした。
獣はなりふりを構わない。

この後、印象的だったのは、インタビューでの2人の回答だ。
川尻は、相手の位置がなぜわかるかという質問に「音ですね。」と何度も答えた。
箕輪は、「相手の気配はわかる。こちらに殺気が向かうから。わからないときはわざと動いて、相手の次の動きを誘う。動けば空気が変わるからわかる。そのためにも坐禅を学んだ」と答えた。
フジが求めたのは、番組が日本を感嘆させる答えだ。
この場合は、「あー、音なんだ」という川尻の答えではない。
「坐禅をして、武道の稽古をすれば、気配がわかる」という箕輪の答えだ。
このインタビューで、流れは決まったのではないか、と私は感じた。
勝負を俯瞰して見れる方が勝つのは勝負の鉄則だ。

第2戦目 箕輪× × 川尻〇

休憩を十分にとったあと、ほら貝の音で第2戦が始まった。
主審熊代の「はじめ!」の声とともにずんずんと川尻が前に進んだ。
明らかに箕輪の位置を把握している。
それを跳ね返そうと箕輪は抜き打ちで狙ったが、川尻は飛んだ。
これを「玉光」のバックステップだと言ったが、本当はそうではない。
上に飛ぶからだ。
もし、見えていれば、間合いは同じなので箕輪のものうちは川尻をとらえたであろう。

後ろがない箕輪にさらに前に進み斬りつける川尻。
箕輪はこのとき、川尻が間合いの中にいるのを知ってバックステップした。
しかし、思った以上に近い川尻は、その箕輪を斬り捨てた。
箕輪は背中に壁を背負っていたため、そのまま下がることができずに斬られてしまった。

川尻を応援しているのは、埼玉から東京城北支部だ。
元気がいいから大騒ぎになった。
押せ押せ、の雰囲気が生まれた。
数値的に1勝1敗だと言っても、雰囲気で箕輪は完全に押されている。
実況をしていた第3道場から様子を見に行くと、控えで箕輪は頭を抱えて目をつむっている。
追い込まれているのだろう。

しかし、本当はそうではなかった。
箕輪はそこまでの2戦から戦術を変えようと考えを変えたのだ。
前々の戦いをし続ける川尻に対して、1戦目は下段に行くことでつきあい、2戦目はバックステップでさらにつきあった箕輪。
落ち着け、本来前々の戦いから卒業したはずではないか、そう自分に言い聞かせていたのだろう。
この決意は3戦目でわかることになる。

第3戦目 箕輪〇 × 川尻×

実況席のモニター

3戦目が始まった。
川尻陣営は押せ押せムードが高まっている。
箕輪に対して進む川尻。
箕輪は川尻の位置がわからずに派手に動いた。
誘いだ。
これに気づかず、逃すまいとさらにずんずんと前に入った。

箕輪は目の前にいる。
川尻が抜刀しようとした空気を箕輪は感じたのだろう。
1戦目、2戦目とは明らかに違う動きをした。
左にからだをサバいたのだ。
川尻の刀は少し離れた箕輪をとらえようとするが、抜けばそのまま川尻が前にいる箕輪の刀の方が速いのは一目瞭然だ。
サイドから川尻の脇をとらえ、ついで抜刀する右腕をとらえ、川尻の刀を吹き飛ばす。

一瞬で下がった箕輪はアイマスクをしているからわからないものの、「刀を落としたんだろう」と想像した。
主審、副審すべての旗が箕輪の白を上げたとき、箕輪は血ぶりをしていた。

この3戦目のインタビューで箕輪の怒りが爆発していたのを私は感じていた。
「川尻さんの戦いは、猪突猛進だ。読み合いする間もない」

箕輪は、道場での稽古でも無外流居合を標榜する鵬玉会として、”闇夜の形”である奥伝「神門(かみのと)」を使おうとしていた。
私がそれを使ってほしいと、形を番組で披露するのをちゃんと理解していたのだ。
30秒のCM一本を新春のフジの特別番組で流すとしたらいくらするのだろう?
それをおそらく30分以上使わせてもらえるのだ。
「無外流居合の保守本流、鵬玉会ここにあり!」という絶叫を、いま任されているのだ、なぜ番組の看板である気配の読み合いをせずに、平気で間合いに入って来るのだ?
これでは神門は使えないし、番組をおもしろくできないではないか!

その怒りが「猪突猛進」「読み合いする間もない」という言葉に現れていた。
それも聞こえるように大きな声で。
『川尻、番組なんだぞ、自分が勝つことだけを考えるな』
という声が私には聞こえるようだった。
そして
「前々攻撃はもう効かないぞ!俺は無外流だ!」という宣言のように感じた。

第4戦目 箕輪〇 × 川尻×

実況席。今湊アナウンサーと。

箕輪2勝1敗、川尻1勝2敗で迎えた運命の4戦目。
もし箕輪が勝てば5戦目を待たずに勝利。
もし川尻が勝てば、決戦は5戦目となる。
川尻は刀を抜き始めた。
見ていたものは、ここで初めて川尻は、それまでの「抜き打ち」から始めるという戦い方を変えたと思ったと言う。
しかし、川尻の戦い方はまったく変わっていない、とモニター越しに実況席から私は思った。
川尻は得意の突きで勝負に出る気だ、これこそ前々の攻撃だ。

本当の驚きは次の瞬間だ。
川尻が前に出てくるのを感じた箕輪は、3戦目の勝ちパターンである「左へ回る」を捨て、「右へ回る」という賭けに出たのだ。

突きへのサバキは右に回るが定石だ。
「川尻は負けられないと、得意の突きに来るのではないか」と読んでいたかもしれない。
なんとその突きは箕輪の顔の脇を数センチで通り抜けた。
この瞬間箕輪の刀は川尻をとらえた。
実況専用となった第3道場ではアナウンサーも絶叫していた。
ディレクターは「まるで漫画です!見えているんじゃないか、って思うほどです!」と大騒ぎだ。
たしかに劇的だ。
しかし、仮に見えていたとして、そんな勝負を誰ができると言うのだ?

私が育てた箕輪は、圧巻の勝負を決めた。
なぜ2戦目に負けたか、神経が磨り減るほどに考え、川尻の前前に付き合うことをやめ、無外流として戦い、都度戦い方を変えた箕輪。
自分の勝ちパターンに固執し、「戦い方を読んだぞ、番組を成立させ、組織のためにも戦い方を変えろ」という箕輪の絶叫を理解せず、最後まで剣道の前々という戦い方を変えなかった川尻。

対照的だ。

終了後、試し斬り収録でかつて誰も映像の中でやっていない「破図味」で飛びながら斬った箕輪。
川尻は「置き藁で斬る」ことを宣言していたため、映像の中でダブることを避け私は試し斬りをしなかった。
ここまでの流れを考えれば、同じく置き藁で斬れる箕輪があえてそれをしなかった理由は察することができる。
かつて極真会で、ビール瓶切りができた芦原英幸師範が、メディアの中で一度もそれをしなかった理由と同じだ。

私が少年時代はその単行本で、長じてからは10年以上にわたり薫陶を受けた、元週刊プレイボーイ編集長の島地勝彦さんは、かつて私にこう言った。
「人間には格がある。特に凄い人は別格と言う。ここまではいる。しかし、実はその上がまだある。それは、規格外の破格だ。武田、それを目指さなければならないよ」

箕輪は破格を目指せる位置にある。
ぜひ目指してほしい。

内弟子ならば、その背中を追わなければならない。
逃がしては駄目だ。
追撃し、追い落とす。
それを目指してこそ、組織の成長はある。

川尻は今回の経験をただの思い出にせず
成長を目指さなければならない。
君の武道家人生はここからだ。

最後につけ加えておきたい。
どんなときも自分で背負わなければならない。
サムライは言い訳を用意してはならない。
箕輪は実は少し前に事故にあっていた。
あの試合のとき、むち打ちが残っていて万全ではなかったことをひとは知らない。
なぜなら、彼は言い訳につかわなかったからだ。

箕輪は勝つべくして勝った。
終了後、撤収のために荷物運びをした車の横で、私のところに箕輪は来ていった。
「覚悟を決めました。
鵬玉会に自分を捧げます」

彼は1月、武徳殿で五段を允許される。

※ 感想があれば、コメント欄に残してください。

武道を考える 空手の大会で起こった不幸な事故

武道を考える 空手の大会で起こった不幸な事故

【ネットで騒がれている、空手の大会で起こった危険な瞬間】

凄い勢いで空手の大会での衝撃的な事故の動画がほんの数日で拡散しました。
見られた方もいらっしゃるでしょう。
ご存じない方のために、この動画を見たまま記載して、考察をしたいと思います。

小学生がフルコンタクト空手で戦っている。
相当練習した同士のようです。
向かって左の選手のパンチが右の選手のあごに入ったようです。
主審の「止め」が入ったようです。
フルコンタクト空手であっても、顔面へのパンチは危険なので反則なのです。
右の選手は小学生ですから、自分のセコンドに向かって歩いて行きながら「あごを叩かれた」と訴えている、そんな瞬間、左のセコンドから「いけー!」というコーチの声が聞こえます。
その瞬間、左の小学生は脱兎のごとく右の選手に向かっていき、後ろを向いてセコンドに歩いて行っている無防備な彼の後頭部を前蹴りで突きました。
右の選手は完全にノックアウトされたように前に突っ伏していきました。

「これをどう見ているのか?」という質問を数件いただきました。
すぐにお答えしたかったのですが、ご宗家の奥様ご逝去と、葬儀関係があり、お返事が遅れたことをお詫びします。
この事件が起こった直後にはモザイクもぼかしも入らない動画が出回っていました。
今はモザイクやぼかしを入れたものの拡散が続いているようです。

攻撃した方もされた方も子どもですから、大人の責任の深刻さは並大抵ではありません。

基本的に武道の指導者は、私たちがイメージする、「姿三四郎」を導く師のような武道家 ではありません。技術は学んできたが、精神的な修養も、学問的な成長もなく、ある日コーチのようになった人が多いのは事実です。

私はそのような姿になるのは武道に対する裏切り行為だと思うので、座学を内弟子たちには教え、恵林寺の老大師に禅を学び、弟子たちにも学ばせ、武道家への道を開かせようとしています。「脳みそや心までが筋肉であってはいけない」と私の言葉を聞いた弟子は一人やふたりではありませんから、彼らに聞いていただけばいいと思いますが、そのようなことを学ぶ環境はほとんどの組織はありません。
素晴らしい術は、奥深い道につながっていなければなりません。

では私の見方をここに記録しておきます。
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■ 武道の基盤は武士道でなければならない
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武道は武士道にその基盤がなければならない。
もし、武士道にその基がなければ、武道はただの殺し合いの技術である。

柔道も空手も剣道も合気道も、あるいは派生するすべての武道が生殺与奪の権利を争う技術として誕生している。

武道がスポーツと違う一つは、本来は歴史の上で実践され、実証された「殺人の技術である」という点だ。

■ 「武士道」が技術に魂を与える

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武士道はその技術に魂を与える。
武道の技術を磨きに磨き、その技術を鞘に納めたままで使わずに相手を活かすことを求めるのが武道の最終目標となるのは、そこに「武士道」という魂があるからだ。
禅を修養し、自分が生きる死ぬことを考えるだけではなく、相手のことを考える。
それがかつてのサムライの求めた成長の道だ。

■ 道を求めるからこその「道場」であり、「教室」ではない
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武道の稽古場所を道場というのは、上記のように道を求めるからだ。
道場は決して「教室」「稽古場所」ではない。
道場が「教室」「稽古場所」となったときに魂は失われてしまう。

■ 「私を産んだのは父母である。私を人たらしめたのはわが師である」(新渡戸稲造翁)

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その前提で考えれば、まず指導者の存在価値は技術を伝えるだけではない。

道を示すことだ。
新渡戸稲造翁が160年前に「武士道」でこう言っている。
「私を産んだのは父母である。私を人たらしめたのはわが師である」
師として、道を示し人としての成長を手伝えるか。それが重要だというのだ。
それに挑戦する武道の指導者は師であって、「コーチ」ではない。
ところがその存在価値を失い、相手を踏みつけても勝つことを教えたときに武道はただの殺人の技術に堕する。

■ 命を受け止めてくれる相手への尊敬

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試合は、命をぶつけ、受け止めてもらうものだ。
命をぶつけることができるのは、受け止めてもらえるだけの技術がある相手がいるからだ。
それを理解したときに、必死で自分の命を受け止めてくれる相手への尊敬が生まれる。
尊敬がなければ、何をしようが勝つ事への快感を求めようとするだろう。
勝利の瞬間、勝ったことを主張するためにガッツポーズでアピールするだろう。
負けた瞬間、自分は負けてないと過敏に主張したくなるかもしれない。
これでは人では無く獣だ。
快感があるのは事実だから、誰もが心の底にそんな獣が存在していると言えるだろう。

そんな獣の心に打ち勝ち、人を人たらしめるために、師は道を示すのだ。
その挑戦は師にも学びを要求する。

師には覚悟が必要だ。

■ 武道の結界は戦場だ
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戦場に立ったら、その戦場から離脱するまでは伏兵がいるかもしれない、という戦の心構えを知らなければならない。
武道の試合においては、通常「コート」は外の世界と分けて考えられる。
その切れ目は結界だ。
結界の中に敵がいるのに後ろを向くことは危険な行為であることを師は教えなければならない。
武道はスポーツではないから、師には「戦場を去るまで敵はいるかもしれない」と教える義務がある。

■ コーチ、蹴った選手、蹴られた選手、審判

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さて、上記を考えれば、
この事故を招いた指導者は師ではなく、ただのコーチであった。その点では指導者ですらない。エンターテインメントとしてのプロの世界ならまだしも、武道の指導をするべきではなかったのではないかと思う。
止められなかった主審は、暴漢が学校に入って来るのを呆然と見ていた教師のようなものだ。主審をするということは、結界の中で事故を決して起こさないぞ、双方がはらってきた努力を公平に扱うぞ、という覚悟が必要だ。
攻撃した選手は、たとえコーチの声が攻撃を示したとしても、相手へのリスペクトを持って踏みとどまらなかった点で獣であった。武道の師に出会わなかった彼は不幸であった。生涯この行為は彼の心から離れないだろう。大人の責任である。
攻撃を受けた選手は、後ろを向いてはならなかった。戦場の心構えを誰からも学べなかった彼は不幸であった。後遺症が残らないことを心より祈りたい。

■ 彼らが学んだのは、ただの技術

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彼らが学んだのは素晴らしい武道としての空手道ではなく、殺し合いの技術であった。
だから倒れた子どもの対応ではなく、「どうしたらいいか」を主審・副審が集まって協議したのだ。こんなに無様な大人はいない。
誰も子どもたちの怪我に責任を持っていなかったのだ。
空手云々以前の話だ。

■ 誰とつきあうかは重要だ
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この空手団体がどこであったのかは知らない。
その直後に強いリーダーシップで対応がなかったことを考えれば、この団体とは私は関わるのはいかがなものかと思う。

■ 道からぶれることなく学び、成長しよう 

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武道は殺し合いの技術では終わらない。
自分を極限まで磨き、自分の気持に勝つ。
これを新渡戸稲造翁は自分の心に打ち勝つ心として「克己心」と言い、山岡鉄舟翁はサムライがめざす「施無畏」と言った。
その成長があるから感動があるのだ。
私たちが目指す武道は、その道からぶれることなく成長を目指したい。 鵬玉会はこの事件からさらに学び、本来私たちに社会が求める「人としての成長」を導くお手伝いをしたい。

REVIEW2024 VISION2025

REVIEW2024 VISION2025

1)各支部のプレゼンテーションはリアル、オンラインを問いません。
2)上記1)のいずれも難しい場合は、誰かに預けても構いません。
3)状況を把握するために下記フォームにご記入ください。
4)下記しめきりを11月10日(日)とします。
5)参加だけの希望者は、場所長・支部長を希望する方のみとします。

タイムスケジュール
オープニング 9:00
【北海道】
北海道道北支部 9:05

【東北】
福島支部 9:20

【関東】
東京総本部 9:35
東京都心支部 9:50
東京城東支部
東京城西支部 10:05
東京城南支部 10:20
東京城北支部 10:35
東京武蔵野支部 10:50
 休憩 11:05
神奈川支部 11:10
栃木宇都宮支部 11:25
千葉支部 11:40
山梨支部 11:55
埼玉支部 12:10

【東海】
新潟支部 
長野支部 12:25
愛知支部 12:40
 休憩・昼食 12:55

【近畿】
京都支部 13:35 
兵庫支部 13:50
大阪支部 14:05

【九州】
福岡支部 14:20
佐賀支部
熊本支部 14:35
オンライン 14:50
休憩 15:05

【会長】
REVIEW2024/VISION2025 15:15
新理事会発表 16:45

閉会 17:00 

鵬玉会一門 大会座席プレゼント

鵬玉会一門 大会座席プレゼント

鵬玉会一門には、大会座席がプレゼントされます。

・鵬玉会一門は、一席5000円のA席をプレゼントされます。(発売開始は5月15日を予定しています)
・選手、観覧希望の会員は自分の分を含めて希望の座席数を申請してください。パートナー、ご家族、友人等、関係は問いません。
・5/11以降は、有料となるので、必ず5/10までに申請してください。(選手の荷物は控室です。荷物用の座席の確保をする必要はありません。荷物を置くために座席の確保をすることはご遠慮ください)