居合とは

居合とは


居合の本義は抜刀の一瞬にあり

 「サムライ」というキーワードを日本の武道は重要視します。しかし、日本人が「武道」という言葉で思い出す競技のほとんどは、かつての武士は知りません。それらはすばらしい武道であっても、現代武道、つまりサムライの時代が終わってから誕生した武道だからです。

 wikipediaにはこう記載されています。「居合術(いあいじゅつ)、もしくは居合(いあい)、抜刀術(ばっとうじゅつ)とは、日本刀を鞘に収めて帯刀した状態より、鞘から刀を抜き放つ動作で相手に一撃を与え、続く太刀捌きでさらに攻撃を加えたのち、血振るい残心、納刀するに至る形・技術を中心に構成された日本の武術である。

 刀剣を鞘から抜き放ち、さらに納刀に至るまでをも含めた動作が、高度な技術を有する武芸として成立している例は、世界でも類を見ない。このように日本固有の形態を有し、かつ日本の武を象徴する日本刀を扱うことから、居合は「日本の武道・武術の中でも最も日本的なもの」と表現されることもある。」

 後段に関しては、いささか主観に走っていますが、前段を見ると居合の特徴をよく表しているかと思います。すなわち「居合の本義は抜刀の一瞬にあり」です。

剣術と居合

 ここで剣術と居合は違うことがわかります。剣術は刀を抜いた状態から始まり、居合は鞘に納めた状態から始まります。どんなシュチエーションなのか、と考えればさらに理解が深まりそうです。

 「刀を抜け、立ち会え!」とお互いに刀を抜いた状態から始まっているのが剣術なら、その相手が敵かどうかわからない、いつ始まるのかわからないのが居合と考えたらどうでしょう。
 ばったり出会った相手。そんなときに刀を抜いて歩いている人なんているはずがないわけですから、まず刀を抜かなければなりません。
 しかし、どうでしょう。もしあなたが敵なら刀を抜くのを待つでしょうか?考えるといかに刀を抜くことが難しいか。
 そこから始まるのが居合なのです。

林崎甚助に始まり、流派は分かれていった

 居合の歴史を語るときに必ず出てくるのは室町時代末の剣客、林崎甚助です。

 ここから学んだ人たちがそれぞれ枝分かれするように流派が分かれていきました。
 枝分かれした、多数の流派が生まれた、と言う点を考えると、その数だけ考え方や哲学があり、その優劣を云々しても仕方ないでしょう。
 どんな流派でも強い人が強いのですから。

 現代において居合の優劣は「形(かた)」によって行われます。どの時代からそうなったのかは誰にもおそらくわかりません。
 参考になるだろう記録があります。
 戦後の杖の普及をしたのは、全杖連の前身の大日本杖道会の会長の頭山泉先生に選ばれた、中嶋浅吉師範と無外流居合 故 塩川寶祥宗家のお二人です。頭山泉先生は、著名な頭山満先生のご子息です。
 この杖の試合をどうするかという戦後の課題を、「空手の形試合にヒントを得た」と中嶋師範が解決されました。後に糸東流空手の宗家になられる塩川先生がいらっしゃったわけですから、「空手の形試合」を模したというのは納得できる話です。
 当然、居合の形試合もそこからヒントを得られたと考えるのが自然です。
 流派にこだわらず、この方法でまずは普及しようと塩川先生が望まれた、その道統に私たち鵬玉会は存在します。

昭和36年から大阪城内の機動隊道場で始められた形試合。大阪剣連理事長高見先生の前に審判の旗を持っているのは塩川先生、中嶋先生、小島先生。

 「伝統的な形試合を守る」と言っても、それは無外流 塩川宗家の発案が大きいところであり、戦後の始まりだとしたらどうでしょう。

 この武道をどうやって継承していったらいいか、という課題はこのような歴史を抜きには考えられないのではないでしょうか。