継承とは何だったのか

継承とは何だったのか

塩川・新名伝 無外流居合兵道の継承

 2026年7月4日、武田鵬玉が受け継いだのは、単なる称号ではありませんでした。

 約350年の歴史を持つ無外流の中で、塩川寶祥から新名玉宗へ、そして武田鵬玉へと受け継がれてきた技、思想、巻物、口伝、そしてその伝承責任。

 それらを受け継ぎ、次の時代へ渡していく責任を負ったのが、第17代宗家継承です。

 宗家継承とは、名前を受け継ぐことではありません。

 何を学び、何を許され、何を託され、何を次代へ伝えるのか。

 このページでは、2026年7月4日に行われた第17代宗家継承が、具体的に何を意味するものだったのかを、系譜、技術、思想の三つの側面から明らかにします。


塩川・新名伝とは何か

 無外流は、元禄6年(1693年)、辻月丹資茂によって開かれました。

 その後、約350年にわたり伝承され、時代の中で複数の系統・団体へと受け継がれてきました。

 武田鵬玉が継承したのは、無外流全体を統括するという意味での宗家位ではありません。

 塩川寶祥照成から新名玉宗豊明へ、そして武田鵬玉へと直接伝えられてきた「塩川・新名伝 無外流居合兵道」です。

 2026年7月4日、横浜武道館において、武田鵬玉はこの系譜の第17代宗家を継承しました。


第17代までの系譜

塩川・新名伝 無外流居合兵道の系譜は、開祖・辻月丹資茂から武田鵬玉へと続いています。

  1. 辻月丹資茂
  2. 辻右平太
  3. 都治紀藤多賀英
  4. 都治文左衛門資賢
  5. 都治近摩多賀幸
  6. 都治文左衛門資信
  7. 都治金市郎嘉重
  8. 高橋八助充亮
  9. 高橋達三充玄
  10. 高橋八助成行
  11. 高橋哲夫武成
  12. 高橋越太郎高運
  13. 中川士龍申一
  14. 石井悟月善蔵
  15. 塩川寶祥照成
  16. 新名玉宗豊明(明思派宗家)
  17. 武田鵬玉祐次

 この流れの中で、第15代・塩川寶祥、第16代・新名玉宗を経て、第17代として武田鵬玉が継承しました。

 2026年7月4日、横浜武道館において、第16代・新名玉宗宗家から武田鵬玉へ免許皆伝が授与され、塩川・新名伝 無外流居合兵道 第17代宗家継承の儀が執り行われました。


塩川寶祥から新名玉宗へ

 現代の塩川・新名伝を語るうえで、塩川寶祥照成の存在は欠かせません。

 塩川寶祥は、無外流の技と精神を厳しく伝え、その技法を新名玉宗へと託しました。

 新名玉宗は、塩川寶祥から受け継いだ無外流を長年にわたり研鑽し、全国へ普及させ、現代無外流の再興と隆盛の中心を担いました。

 武田鵬玉は、その新名玉宗宗家のもとで、約20年にわたり直接指導を受けました。


約20年の直伝

 武田鵬玉が無外流に入門したのは2005年。

 翌2006年から、新名玉宗宗家による直接指導が始まりました。

 それから約20年。

 居合形だけではなく、約束組太刀、試し斬り、無外流の思想、巻物に記された教え、公にはされていない口伝まで、長い時間をかけて伝授を受けました。

 宗家継承の日だけを見れば、一日の出来事です。

 しかし、その一日の背後には、約20年に及ぶ師弟の時間があります。

 第17代宗家継承は、その積み重ねの上に成立したものでした。


継承された技術

 武田鵬玉が新名玉宗宗家から直接学び、伝承してきたものには、次のものがあります。

居合形

・居合形20本
・内伝5本
・奥伝3本
・秘伝5本

 内伝、奥伝、秘伝へ進むにつれて、公開される範囲は限られ、伝承の内容も深くなっていきます。

 単に動作を覚えるだけではありません。

 その技をなぜ行うのか。

 どの間合いで、どの理合で、どのように成立させるのか。

 そこまで含めて伝えられます。

約束組太刀49本

 約束組太刀は、併伝を合わせて49本あります。

 一つの組太刀の中には、勝つ側である仕太刀と、負ける側である打太刀があり、その動きはそれぞれ全く異なります。

 したがって、49本を双方から修めるためには、仕太刀49通り、打太刀49通り、合計98通りの異なる動きを身につけることになります。

 さらに、表に示される動きだけではありません。

 口伝として、仕太刀側の裏、打太刀側の返しなどが存在し、実際に伝承される技法は、単純に「49本」「98通り」という数字だけで数えられるものではありません。

試し斬り

 試し斬りもまた、塩川・新名伝における重要な稽古です。

 刀を正しく扱えているか。

 刃筋が通っているか。

 間合い、姿勢、身体の使い方が正しいか。

 形や約束組太刀で学んだものを、実際の斬撃によって確認します。


「抜き即斬」の思想の継承 

 継承されたのは、技の本数だけではありません。

 その技を何のために学ぶのか。

 居合とは何であるのか。

 そうした流儀の根幹にある思想もまた、新名玉宗宗家から武田鵬玉へと伝えられてきました。

 無外流において、抜刀は単なる準備動作ではありません。

 「抜即斬(ぬきそくざん)」

 鞘から刀が放たれた、その瞬間に技が成立する。

 「居合の本義は、抜刀の一瞬にあり」

 この「抜き即斬」の思想は、塩川・新名伝の根幹にあるものです。

 形を美しく演じることだけが目的ではありません。

 その技は本当に間に合うのか。

 相手が動いたときに使えるのか。

 刃筋は本当に通っているのか。

 技は常に、実際に機能するかという問いにさらされます。


武道の根幹は、強さである

 武田鵬玉は、武道についてこう考えています。

「武道の根幹は強さである。ならば、居合の命は組太刀と試し斬りである」

 形で技を学ぶ。

 約束組太刀で、相手との間合い、攻防、理合を学ぶ。

 試し斬りによって、その刀筋が実際に斬れるものなのかを確かめる。

 そして、相手の動きがあらかじめ決められていない自由組太刀®によって、学んだ技術を自由な攻防の中で検証する。

 これらは別々のものではありません。

 使って初めてわかるものを、形に戻す。
 だから「わかったつもりの形」ではなく、生きた「斬れる居合形」になる。

 「抜き即斬」という思想を、形だけの観念に終わらせず、実際の技として確かめ続けるための稽古です。


実践を重んじる 

 塩川・新名伝の技は、観賞するために伝えられてきたものではありません。

 刀を抜く。

 相手と向き合う。

 間合いを読む。

 斬る。

 その一つ一つが、本当に機能することを求めます。

 だからこそ、武田鵬玉は形だけに偏ることなく、組太刀と試し斬りを重視し、さらに自由組太刀®を体系化しました。

 これは伝統から離れるためではありません。

 受け継いだ技と思想を、現代においても実際に検証し続けるためです。


禅と武

 しかし、強さだけを切り離して追い求めるものでもありません。

 無外流の根幹には、辻月丹以来の禅があります。

 技を磨き、相手と向き合い、己と向き合う。

 斬る力を持つからこそ、それをどう扱うのかを問う。

 鵬玉会が掲げる、

 「禅なき無外流は、ただの暴力。
 術なき無外流は、ただの妄想。」

 という言葉は、その両者が離れてはならないことを示しています。

 術と禅

 実践と精神

 その双方を失わないこともまた、塩川・新名伝から受け継いだ無外流を次の時代へ伝える責任です。


一法実無外――無外流を通じて、真理とは何かを問う

 無外流に伝わる言葉に、
「一法実無外」があります。

 宇宙の真理は、ただ一つ。
 他にはない。

 かつて武田鵬玉は、この言葉を武道家への問いとして、
「真理の一刀を追い求めよ」と捉えていました。

 しかし、第17代宗家という位置に立ち、これまでの修行を振り返ったとき、その意味はさらに深いものとして感じられるようになりました。

 無外流を通じて、真理とは何かを問う。

 そのためには、まず術を身につけなければなりません。

 できるべきできるべきことは、できるようになる。

 無外流の形20本を修める。
 約束組太刀を修める。
 刃筋を修める。
 間合いを修める。
 相手が動いたときにも、学んだ技が働くところまで身につける。

 そういったすべてを「器」という意味で「形(かた)」と言うなら、形には、先人が残した理があります。

 だから、まずその形を徹底して身体に入れる。

 その先に、初めて「形破り」があります。

 形を知らずに形から外れることは、形破りではありません。
 あるべき形を身につけ尽くした者が、その理を身体の中に持ったまま、形を超えていく。

 そして、技ができるようになったその先で、初めて感じるものがあります。

 十牛図を知り、禅を学ぶことで、それが何であるのかを少しずつ感じ、理解する者もいるでしょう。

 技術をすべて伝授されても、その先に何も感じない者もいるかもしれません。
 それでも、技術の伝承は成立します。

 しかし、その先を感じる者がいる。

 技の向こうにある理を感じ、さらにその奥にあるものを求め始める者がいる。

 無外流は、技を完成させるためだけの道ではありません。
 技を修めたその先で、真理とは何かを問い始めるための道でもあるのです


巻物に記された教え

 無外流には、代々伝えられてきた巻物があります。

 そこには技の名称だけではなく、その流儀が何を大切にし、何を後世へ伝えようとしてきたのかが記されています。

 巻物は単なる古文書ではありません。

 伝承者にとっては、先人から託された教えそのものです。


公にはされていない口伝

 武道には、文章や映像だけでは伝えることのできないものがあります。

 技の細部。

 間合い。

 身体の使い方。

 考え方。

 師から弟子へ、直接伝えられることで初めて意味を持つ教えがあります。

 武田鵬玉は、新名玉宗宗家から、そうした公にはされていない口伝も含めて伝授を受けてきました。


明思派宗家位の継承ではない

 ここは、明確にしておく必要があります。

 2026年7月4日に武田鵬玉が継承したのは、無外流明思派の宗家位ではありません。

 新名玉宗宗家は、現在も無外流明思派の宗家としてその立場にあります。

 武田鵬玉が受け継いだのは、新名玉宗宗家から約20年にわたって直接伝授された、塩川・新名伝 無外流居合兵道です。

 現在の正式な表記は、

塩川・新名伝 無外流居合兵道 第17代宗家
武田鵬玉

となります。


第17代宗家として何を担うのか

 第17代宗家となった今、武田鵬玉は、自らが歩いてきた道を振り返り、一つのことを強く感じています。

 免許皆伝までの道のりは、完成への道ではなかった。
 その先へ入るための、入口だった。

 技を伝授されることと、その流儀のすべてを理解することは同じではありません。

 むしろ、できるべき技を身につけたとき、初めて見えてくる深さがあります。

 その深さを感じ、さらにその先へ進もうとする者は、決して多くありません。

 形を修め、その理を知り、やがて形に囚われない「破格」へ向かっていく者。

 宗家とは、そうした者を見つけたとき、初めて次の時代へ何を託すのかを考える存在なのかもしれません。

 武田鵬玉自身も、宗家継承が決まる以前、新名玉宗宗家との対話をきっかけに、いくつもの課題を与えられました。

 一つを越えると、次の課題。

 そして2025年、宗家名代として演武する機会が与えられました。

 それらが宗家継承のための試験であったのか、新名宗家から明言されたわけではありません。

 しかし、後に免許皆伝だけでなく第17代宗家継承まで認められたことを振り返れば、武田鵬玉にとって、それらは技術だけではない何かを見定められていた時間だったように感じられます。

 宗家継承とは、過去の技を保存するだけのことではありません。

 受け継いだものを正しく守ること。

 次の世代へ伝えること。

 そして、時代が変わっても、その本質を失わない形で生かし続けること。

 宗家には、その責任があります。

 守るべきものは、技と精神

 伝える方法は、時代に合わせて進化させる

 第17代宗家として武田鵬玉が担うのは、約350年の無外流を保存することだけではなく、その本質を次の時代へ渡していくことです。


横浜武道館での継承へ

 2026年7月4日。

 横浜武道館において、新名玉宗宗家から武田鵬玉へ、無外流居合兵道の免許皆伝が授与され、塩川・新名伝 無外流居合兵道 第17代宗家継承の儀が執り行われました。

 約20年の師弟の時間が、一つの節目を迎えた日です。


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継承の瞬間

免許皆伝が授与され、第17代宗家継承が執り行われたその瞬間。

写真と映像で、2026年7月4日の宗家継承を記録します。

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