塩川寶祥伝 前書き
1.流祖 辻月丹から下るにつけ無外流は小さな流派へ
無外流は1680年に始まっている。
鳴かず飛ばずであった流祖 辻無外が、麻布吸江寺の住職石潭、石潭他界の後は神州のもとで参禅。石潭の名前で神州から
「一法実無外 (一法実に外無し)
乾坤得一貞 (乾坤一貞を得)
吹毛方納密 (吹毛まさに密に納む)
動着則光清 (動着すれば光清し)」
の詩偈(しいげ)を与えられたのが1680年。以後「無外流」を唱えることになる。
この五言絶句の詩偈の一説から「無外」の流派名を思いついたように私たちは思いがちだ。しかし、もともと流祖は「辻無外」と名乗っていた。おそらくこの「無外」は「無双」「無二」と同意であったと思われる。要するに「俺が天下一」というわけだ。
恐るべきはこの禅の師。「俺が天下一」という俗にまみれた意味を「真実はそれ以外にはないんだよ、その真実を追い求めなさい」という意味に昇華させたのだから。
以降、流祖以降連綿と続く弟子のすべてが、真実の一刀を追い求める流派に変わったのだから、「俺だけが天下一」と名乗る意味はない。「天下一」ではなく、後世の弟子たちの道に光を与えたのだ。だから流祖はこのとき「無外」という武号を「月丹」と変えている。
無外流と辻月丹の誕生である。最盛期には大名が50家以上学んだとされる。
入門の誓詞で、江戸の大火で焼失せずに残っているものだけで32家。まさに大名が学ぶ剣となるのは、ここからだ。
日本では皇室が天台宗、貴族が真言宗、一般民衆が浄土宗系、そして生死を常に考える必要があった武士が臨済宗系の禅宗だと言う。
真理の一刀とは何か。
生きる、死ぬとはどういうことか。
どう生きればいいのか。
それを常に考える剣であれば、昭和の巨人、臨済宗の大森曹玄老師の次の言葉はなるほど、と頷けるだろう。
「自流と禅の関係を言った剣客は多い。しかしながらほとんどの剣の流祖は時代的に学がないものも多く、その関係を説明することは難しかった。「我が剣は禅なり」と言い切ったのは、無外流の辻月丹のみであり、しかもそれは漢籍で書かれていて驚くべきことである」と言うようなことを語っている。
江戸から各地に伝わった。今で言う群馬、兵庫、高知。幕末の土佐の大名山内容堂が無外流の使い手であったことは有名であるし、父が播磨、今の兵庫の人であった斎藤一(新選組三番隊隊長)が無外流と伝わるのも私たちの妄想をかきたてる。
さて、この無外流は、五代将軍綱吉にも会える許可をとれた流祖からくだるにつれ、地方に伝わる小さな流派になってしまった。
「無外流中興の祖」と呼ばれる13代
13代宗家(代の数は、塩川宗家による)中川士竜先生の時代、つまり戦後には学ぶものの絶対数が相当少なかったのではないか、と思う。どんな流派も失伝の危機を迎えていたのだから当然だ。
14代石井悟月先生。同先生は無双直伝英信流の次期宗家と目されていたものの、宗家には指名されず、一門を率いて中川宗家の元にやってこられた。残された動画を見ると、力みはなく、指先まで柔らかく神経が行き届いた動きだと感じる。そしてその弟子の中に、私たちの宗家新名玉宗の師、のちの15代 塩川寶祥照成(ほうしょうてるしげ)先生である。
13代中川先生、14代石井先生、いずれからも学んだ塩川先生は、14代石井先生の影響が色濃いように見える。
今この流れを整理することは私たちにとって重要である。
歴史を学ぶのはなんのためか。
歴史を学ぶのはなんのためか。
私は理由が2つあると思う。
まず、どこから来たかわからなければ、どこに行くべきかがわからないこと。
もう一つは、その姿となったのは、どのような決断があったからかを知ることができること。
現在の無外流の系譜は実は2つあると私は思う。
「中川伝」と「塩川・新名伝」である。この2つは明らかに違う。ただし、中川伝の無外流を云々することは避けたい。塩川・新名伝に話をしぼろう。
塩川・新名伝の無外流は実戦的な居合だ。
これは居合の世界では実は稀有なことだ。おそらく唯一。他に私は知らない。
戦える「組太刀」、形の初太刀で斬れる「試し斬り」。いずれも私は聞いたことも見たこともない。その2つを通じて手に入れたのが、禅に通じる華麗な「形」である。
なぜそのような姿になったのか。
そして、地方の小さな流派になった無外流が、なぜ大勢力となったのか。
いや、そもそもなぜ無外流なのか。
私は、先代塩川宗家、そしてわが師新名玉宗宗家の人生を知ることで、その姿を浮かびあがらせたい。
塩川先生と過ごすことができた素晴らしい先達や、わが師新名宗家の言葉、資料を基に可能な限り主観をまじえずに記録に残そう。
ただし、私たちは無外流であり、他の武道についての必要以上の記載は避けることも事前に記載しておく。
このようなことをした弟子はいなかったので、この「塩川寶祥伝」は、まちがいなく貴重な資料となるだろう。