「ケンカの仕方は——」以降は削らず、次回へ回した。第一回は、父の華やかさから生活の転落、雪のホームに立つ母までで締める。
第一部 血
第一回 雪のホーム
福岡。
1963年、俺はこの町に生まれた。
今の子たちがどんな感覚かは知らない。
俺が上京してから、もう随分たつからね。
俺がいた頃、福岡市の連中は、「どこ出身?」と聞かれたら、「博多」と答えるのが一般的だった。
「福岡市」とは言わない。
大牟田や筑後とは違うぜ。
「博多」という言葉には、そんな感覚があった。
ただ、本来の意味、狭義では、那珂川から東が博多、西が福岡だ。
中洲は、博多側にある。
俺は後になって、当時の中洲を知る人たちに、オヤジのことを聞いたことがある。
「お父さんは、いい男やったけんねえ。現れたら、女の子たちの騒いでからねえ」
相当もてたらしい。
そんなオヤジが、まだ二十歳になるかならないかのおふくろと所帯を持ったのは、福岡の西の中心地、西新だった。
俺はその後、この町がどんどん大きくなっていくのを見ることになる。
だが、俺が小さかった頃の西新は、映画『三丁目の夕日』の世界、そのままだったよ。
この頃のことや、オヤジのことを知っている人は、俺の弟を除けば、五本の指で数えられるほどしかいない。人には言えなかった。
普通じゃなかったからね。
「ぼっちゃん」
そう呼ばれていた時期がある。
でも、小学校に入る頃には、「底辺」と呼ぶのがぴったりな生活になっていた。
おふくろの実家は、有馬藩の武家の家系だった。
爺さんは、警察官だった。
親戚の家へ行くと、決まって大人たちの話し合いが始まる。
「ちょっと遊んでおいで」
そう言って、俺だけ部屋の外へ出される。
俺は内向的で、人としゃべらない、おとなしい子だった。
だから遊びには行かず、ドアの向こうで、大人たちの話をぼんやり聞いていた。
「まだ若いんだから、別れなさい」
嫌だったなあ。
オヤジは怖かった。
だけど、オヤジはオヤジなんだよ。
今も、一つの光景を覚えている。
田舎の親戚の家から、福岡へ帰る途中だった。
途中の駅で、列車を乗り換える。
雪が降っている。
おふくろは、ちっちゃな俺のオーバーコートのボタンを気にしている。
雪が降っている。
おふくろは、ぼんやりとホームの向こうを見る。
あのとき、おふくろはいったい何を考えていたんだろう。


