第四回 血統書つき
オヤジ……。
振り返ってみると、人には話せないオヤジが、俺にとっては、とてつもなく大きな存在だったと思う。
だから、もう少し続けさせてくれよ。
いくら読んでも、このオヤジのことを、誰も本当にはわからないと思うけど。
大人になってから、オヤジのルーツを調べたことがあるんだ。
俺は、とにかく家から離れようとした。
自分の世界に逃げ込んだから、オヤジ本人から家のことなんて、ほとんど聞かなかった。
そこで、役所で調べられるだけ調べた。
やがて限界を感じ、本家の菩提寺へ行けばいいと知ったわけ。
運のいいことに、姪浜にあるその寺には、まだうちのことを知っているおばあちゃんがご存命だった。
俺は、ついているよね。
話を聞いて驚いた。
父方の家は、かつて漁師町だった姪浜で「網元」であり、「材木屋」と呼ばれていたそうだ。
近郷近在に知られた金持ちだったのだろう。
「うちの寺の大黒柱も、あなたの家の寄進ですよ」
お寺のおばあちゃんは、そう教えてくれた。
驚く俺に、さらに言う。
「愛宕神社に行ってごらんなさい。展望台にある石の椅子には、あなたのひいおじいさんの名前が刻んであるから。それも寄進ですよ」
もちろん、行ったさ。
その頃は、まだちゃんと残っていた。
石の椅子の脚には、ひいおじいちゃんの名前が刻まれていたよ。
近隣のおじいさんたちの話によると、うちは「御前さま」と呼ばれていたという。
そして、こんな話も聞いた。
「あんたの家は、倭寇で財を成したからなあ」
私貿易をして財を成し、交渉が決裂すれば相手を襲う。
そういう海賊が、俺のオヤジの先祖だったというんだ。
おじいちゃんは、ひいおじいちゃんがまだ生きているうちに、財産を分けてもらったそうだ。
甘いものが大好きだった。
それで、甘いもので商売をしようと思い、始めたのが饅頭屋だった。
そういえば、幼稚園に上がる前、小さかった俺を喜ばせようと、年末には餅つきをしてくれた。
ついた餅から、片手でひょい、ひょいと、あんころ餅を作ってくれるんだ。
その姿が、子どもの俺には、たまらなくカッコよかった。
「おじいちゃん、すごい、すごい」
そう言っていたんだよ。
でも、商売のセンスはなかったんだろうね。
俺が生まれる頃には、饅頭屋はもうつぶれていた。
それでも、家の敷地は広く、竹林も持っていた。
近所にパチンコ屋ができるときに頼まれて、駐車場として売ってしまったけどね。
おじいちゃんは、俺が三歳になるかならないかの大晦日に亡くなった。
「ああ、餅も食った。『てなもんや三度笠』も見た。もう思い残すことは何もなか」
そう言って、床についたそうだ。
明けて正月。
おじいちゃんの息は、もうなかった。
ケンカの仕方は、オヤジを見て覚えた。
負けたことはない。
血が、すべてを決めるとは思わない。
「先祖は〇〇」って自慢しても、先祖は先祖、自分は自分で勝負しなきゃいけないんだから。そこんとこ誤解はしない。
「戦う血」と言ったって、俺だって、小さい頃はかわいかったし、おとなしかったんだから。
けれど、家の気風というものは、どこかに残るんだろう。
いったん戦うと決めたときの自分を振り返ると、ああ、そういう血なのかもしれないな、と思う。
覚悟の決め方だけは、海賊の先祖から受け継いだものなのかもしれない。
俺は、戦うことにかけては、きっと血統書つきなんだと思う。


