孤高【第一部「血」第五回】神童

第五回 神童

川のそばに住んでいた。

その川にかかっている橋を、三輪車で渡る。

おむつをしていたか、もう外れていたか。そのくらいの頃だ。

俺は三輪車をうまく操れず、川に落ちる。

気がついたら、布団に寝かされていた。

そんなことが、二度、三度とあったらしい。

俺が覚えているのは、キコキコとこぐ三輪車が、思った方向に行けずにどんどん川に近づく様子だ。

どのくらい怖かったか?

今も高速で走っていたり、橋を通るときは頭が真っ白になりそうになるのは、そのせいさ。

「ここに住み続けたら、ユウジが死ぬかもしれない」

そう思ったそうだ。

それで、引っ越した。

次に住んだ家は、小さな家だった。

夕方になると、井戸のそばでオヤジが風呂を沸かすための薪を割る。

その近くで、俺は田んぼを眺めていた。

実った稲が、風に吹かれてそよぐんだ。

少し焦げたような匂いがした。

あの風景が、好きだったなあ。

やがて、そこからも引っ越すことになった。

おんぼろな、おんぼろな家だったよ。

どんどん目も当てられない様子になっていく。

俺は小学校に上がった。

おとなしい子だっただろう?

田舎道を、片道四十分くらい歩いて学校へ通う。

途中でレンゲ草が咲いていたら、そこに座り込んで、首飾りを作ったりしていた。

え?

予想外?

俺にも、ロマンチストになりそうな血が流れていたのかもしれないね。

家に帰ると、宿題をする。

国語の教科書を声に出して読むと、おふくろが聞いてくれた。

褒めてくれるのがうれしくて、俺はさらに勉強した。

おふくろ方のいとこたちは、困ったことに、武家の一門らしく勉強が大好きだった。

結果、いとこたちは、みんな法律関係の仕事に就くことになる。

その中で、年下の俺は、一族最後の希望みたいに見られていたんだろうね。

五年生になるとき、近所に新しい小学校ができ、俺はそこへ移ることになった。

新設校だから、各学年二クラスくらいしかない小さな学校だった。

そこで、俺に児童会長をやってくれという話になった。

五年生で児童会長になるのは、異例のことだった。

結局、俺は五年生と六年生、二年間、児童会長を務めた。

でも、田舎の子どもたちの輪には、なかなか入れなくてねえ。

俺は図書館にこもるようになった。

結果、小さな学校の図書館にある本を、ほとんど読んでしまった。

先生たちは、俺にいろんな仕事を回してきた。

新聞を一つ作るのだって、昔はガリ刷りだから大変だったんだよ。

六年生のときの担任が、思いっきり左の先生でねえ。

毎朝の「朝の会」で、

「ソ連という国は、素晴らしい国です」

と話すんだ。

朝日新聞を取っていない家は駄目だ、とか。

百科事典がない家は駄目だ、とか。

信じられるかい?

俺だって、まだ子どもだろ?

毎日聞かされて、

「そうかあ。ソ連って、凄いのかあ」

と思った。

それで家に帰り、オヤジに言ったわけ。

「ソ連はすごいげなよ」

「誰が言うたか?」

「学校の先生」

すると、オヤジは一言。

「こいとけ、って言うとけ」

あっさり拒絶。

後から知ったことだけど、オヤジは、頭山満先生の玄洋社の流れを汲んでいたわけだ。

そりゃあ、「ソ連は素晴らしい」なんて聞かされたら、はねのけるよね。

そんな頃、母方の親戚たちの期待を背負って、俺は福岡の国立中学を受験することになった。

塾なんかには行けない。

そもそも、そんなものがあることさえ知らなかった。

でも、いとこから、

「模擬試験があるから、毎月受けに行け」

と言われた。

それで、自分で調べた。

自分で電話をして、試験の日には、一人でバスに乗って会場へ行った。

当時、中学受験なんて、まったく一般的ではなかった。

それでも、このまま俺が埋もれてしまうことを恐れてくれた人たちがいたんだ。

ありがたいよね。

ところが、受験を目前に控えた頃、担任が言い出した。

文集を、生徒の手で作ろう、と。

え?

文集の制作費は、積み立てていたんじゃないの?

その金で、外注するはずだったんじゃないの?

積み立てていた金は、どこかに消えたんだろう。

おいおい、今だったら、大問題になって炎上するぜ。

でも、当時だろ?田舎だろ?親たちは、先生は偉い、だから、何も問題にはされなかった。

百歩譲ろう。

問題はその次さ。

その左の担任は、俺に文集の制作をやらせようとした。

俺ならできる。

ほかの子どもたちには無理だ。

先生は、そう思ったんだろう。

あとは俺に、

「わかりました。やります」

と言わせればいい。

でも、ちょっと待ってくれよ。

もう受験まで日がない。

俺だって、切羽詰まっている。

今回だけは許してほしい。

そう言った。

すると担任は、クラス全員の前で俺を罵った。

「自分のことしか考えない、ひどい子です」

そして、一番仲のよかったマキヤマ君にまで聞いた。

「どう思いますか? かばう必要はありません」

五十年以上たった今でも、俺は、そのときの言葉を覚えているよ。

そして、受験二日前。

その担任が、俺に言った。

「その中学の過去問があります。もし見たかったら、一日だけ貸してあげられます」

二日前。

早く言ってくれよ、と今なら思うよ。

でも、借りて帰った。

コピー機なんてない。

コンビニだってないだろ?

俺が途方に暮れながら、一問ずつ書き写していると、おふくろが言った。

「貸してごらん」

そして、一所懸命、手書きで過去問を書き写してくれた。

俺は、国立の中学校に合格した。

親戚中が大騒ぎさ。

「神童だ」

って。

今、思い出しても、はらわたが煮えくり返る。

しかし、あのとき、俺の中に、

「もっとすごくなる」

という反動のエネルギーが生まれた。

そういう意味では、感謝してんだ。

だけど、小学校の同窓会には一度も行ったことがない。

最高の復讐は、幸せになることって知ったのさ。