孤高【第二部「拳」第一回】トップに近いほどいい

第二部「拳」
第一回 トップに近いほどいい

俺の住んでいた町には、ドブ川があった。

異臭、という言葉がぴったりだった。

今はもう、あんな川は見ないよね。

そのドブ川の手前を曲がると、空手道場があった。

今の空手道場は、明るいだろう?

半世紀前は、そんなイメージじゃなかった。

「空手は、不良がやるもの」

世間では、そう思われていたんじゃないかな。

空手じゃなく、唐手。

怖い。怖い。

それでも、俺はものすごく興味を持っていた。

それには、理由があった。

話は、小学二年生の頃まで遡る。

バス停の近くに、たばこ屋があった。

店先には、漫画雑誌が並んでいた。

その中の一冊に、俺の目が止まった。

仮面ライダー。

俺は、初期の仮面ライダーが好きでね。

革ジャン。

革パン。

漆黒の仮面ライダー。

闇の中で繰り広げられる、孤独な戦い。

その日は、オヤジと一緒だった。

病院の帰りだったような気もする。

オヤジが、その漫画雑誌を買ってくれた。

家に帰って読んでみると、テレビで見ていた仮面ライダーとは違っていた。

十三人の仮面ライダーに、森の中で追われている本郷猛。

変身することもできない。

絶体絶命だった。

ドラマがちゃんとあると、本当に面白くなる。

物語の中へ、どんどん入り込んでいけるんだよ。

『あしたのジョー』も、そこで読んだ。

小学二年生の俺にも面白さがわかる、『少年マガジン』だった。

その中に、一つだけ異色の漫画があった。

――その男は実在する。

そんな言葉で始まる漫画だった。

なんとも、おどろおどろしい絵だった。

それもそのはずだ。

その数年後、『恐怖新聞』で日本中の少年たちを恐怖のどん底に叩き込む、つのだじろう先生の作品だった。

原作は、『あしたのジョー』や『巨人の星』と同じ、梶原一騎先生。

主人公は、仮面ライダーではない。

改造人間でもない。

生身の人間だった。

生身の人間が、空手の修行によって、こんなことまでできるようになるのか。

俺は、なぜかその物語に魅入られた。

いや。

今考えれば、惹かれたのは当然だったのかもしれない。

生身の人間が、自分の限界を越えようとする。

昨日までできなかったことを、血のにじむような修行でできるようにしていく。

超人追求の物語。

それが、『空手バカ一代』だった。

読めば読むほど、

「これこそ本物だ」

と思ったんだろうな。

だから俺は、ドブ川の手前を曲がった先にある空手道場じゃない、と思った。

俺の中では、あの道場は偽物になった。

習うなら、『空手バカ一代』の主人公、大山倍達先生のところがいい。

大山先生本人に習えないのなら、その弟子でもいい。

とにかく、大山先生に近ければ近いほどいい。

本物は、そこにある。

小さな俺は、そう信じたんだよ。

それから年月がたった。

十三歳になった俺は、極真空手に入門する。

ここから、俺の武道人生が始まった。

考えてみれば、俺は子どもの頃からわかっていたのさ。

武道は、何を学ぶかだけじゃない。

誰から学ぶかで決まる。

その考えは、無外流に出会ってからも変わらなかった。

俺は、先代・新名玉宗宗家に二十年間、直接学んだ。

トップに学び続けた俺は、気づいたらトップになっていた。

武道は、トップに近ければ近いほどいい。

俺は、子どもの頃から知っていたってわけさ。