孤高【第二部「拳」第二回】通信教育

第二部「拳」第二回 通信教育

考えてみれば、小学二年生の頃から極真空手をやってみたかったのに、十三歳でその門を叩くまで、六年もかかっている。

俺は小さい頃、勉強と読書しかしない子だと思われていたしね。

言えないよね。

「空手をやりたい」なんて。

それに、当時の空手道場には、子どもなんかいなかった。

いるのは、怖いおじさんばかり。

映画の中に出てくる空手家も、「唐手つかい」だの「唐人拳」だの、そんな感じだった。

だいたい悪役。

しかも、飲んだくれ。

後になって読んだ極真の大山倍達総裁の本には、

「そういうイメージを変えたいんです」

と書いてあった。

正義の人、清廉潔白な姿三四郎。

その一方で、悪役で飲んだくれの空手家。

当時は、そういうイメージだったよ。

ところが、発売日に買ってきた講談社の『少年マガジン』を開くと、『空手バカ一代』の隅に、こんな言葉が書いてあった。

「興味をもった日から君も仲間だ!」

大山倍達総裁――当時は館長だった――の「神技ブロック割」の写真と一緒にね。

そう。

通信教育さ。

近所の空手道場じゃない。

牛殺し大山倍達の弟子になれるんだ、これって、すごくない?

「リアルな道場か、通信教育か」なんて、何もわかっていないヤツが言うことさ。

本物に習えるかどうか、いったい誰に学ぶのか?
それだけが重要なんだよ。

それを知っていた13歳の俺を褒めてやりたいよ。

中学一年生の、いたいけな俺は、さっそく問い合わせた。

おふくろにも頼み込んだ。

「やらせてくれ」

俺は、運動が得意な子どもではなかった。

実は、運動音痴だったんだ。

おまけに、肥満児一歩手前。

勉強は好きだった。

本を読むのも好きだった。

でも、外には出ない。

友達とも、あまり遊ばない。

自分から何かをやりたいなんて、めったに言わない。

そんな子どもが、

「やりたい」

と言ったんだ。

おふくろも、許してやろうと思ったんだろうな。

ただ、俺が空手をやりたかった理由は、『空手バカ一代』への憧れだけではなかった。

もう一つ、理由があった。

オヤジが荒れていたんだ。

怖くてね。

もし、何かあったら。

俺が家族を守らなくちゃいけないかもしれない。

十三歳の俺は、本気でそう思っていたんだよ。

入門した。

これは、ずっと後になって知ったことだけど、この通信教育は、梶原一騎先生の実弟で、極真総本部首席師範代だった真樹日佐夫先生が任されていた。

その数年後に「カラテ大戦争」って映画で主役をはる真樹日佐夫先生は、空手バカ一代の原作者梶原一騎先生の実弟だ。
俺、真樹先生にいつか会えるんじゃないか、って思ったもんね。

実際に会うのは、それから14年後のことになる。

さて、出版にも詳しい真樹先生の発想で、専門誌まで作られていた。

『現代カラテマガジン』という雑誌が、毎月送られてきたんだ。

その誌面には、山崎照朝師範、芦原英幸師範といった、綺羅星のような豪傑たちが、毎月グラビアを飾っていた。

そう。

今どきなら、水着姿のグラビアアイドルを見たいと思う年頃だろう?

ところが俺は、

「うわあ、山崎師範の回し蹴り、カッコいい!」

「ああ、ケンカ十段の芦原師範が笑ってる!」

と、胸をときめかせていたんだからね(笑)。

変わった子だぜ。

後年、極真について取材を重ねていたドキュメンタリーライターから、夜中に電話がかかってきたことがある。

そのとき、教えてもらった。

当時、通信教育の「マス大山カラテスクール」だけで、四万人もの会員がいたという。

四万人だぜ。

すごいよね。

なぜ、その規模がわかるのか。

通信教育で使う空手衣の注文数が、わかっているからだそうだ。

この通信教育には、もう一つ大きな意味があった。

極真の支部道場がない地域まで、カバーできたんだ。

そして、スクーリングという合宿を行う。

そこで、

「お、こいつは筋がいい」

という若者を見つけたら、その地域のキーマンに育てていく。

単なる通信教育じゃないよね。

道場のない土地に、本物へ通じる入口を作る。

そこで人材を見つけ、次の拠点を作っていく。

ものすごい仕組みだよ。

俺の家にも、空手衣が届いた。

胸には、「極真会」と刺繍されていた。

そして、テキストとカセットテープ。

当時は、ビデオなんかないだろう?

だから、カセットテープ。

再生してみる。

「気合入れて!」

「イチ!」

「エイ!」

「ニイ!」

「エイ!」

何をやっているのか、さっぱりわからないよ(笑)。

それでも俺は、「極真会」と胸に刺繍された空手衣を着た。

頭の中に、いろいろなものを思い描きながら、一所懸命に身体を動かした。

すると、驚くなかれ。

開脚は、百八十度まで開くようになった。

体重も、みるみる落ちていった。

三日で、ブリッジができるようになった。

逆上がりもできなかった運動音痴が、三年後には大車輪までできるようになった。

ブリッジをしたまま歩いて、学校の渡り廊下を渡ることもできたからね。

傍から見れば、

「お前はエイリアンか?」

という感じだったと思うよ。

笑うだろう?

テキストと、何をやっているのかよくわからないカセットテープだ。

それでも、俺の身体は変わった。

できなかったことが、できるようになった。

『空手バカ一代』を読んで、頭の中だけで思い描いていた超人追求が、自分の身体の中で始まったんだ。

武道とは、どんなものなのか。

それを全部語ろうと思ったら、原稿用紙が何枚あっても足りない。

ともかく、こうして俺の五十年にわたる武道人生は始まったわけさ。