第二部「拳」第五回 映画館の空気が変わった
空手。
十三歳の俺は、自分で空手衣を洗った。
当時の大山倍達館長が、
「空手着を親に洗わせてはいけない。自分で洗いなさい」
とおっしゃったからだ。
まあ、手洗いしたのは二回だけ。
あとは洗濯機だけどね。
だって、大変なんだよ。
とにかく、ゴワゴワしている。
当時の空手衣は、本当にゴワゴワだった。
それでも梶原一騎先生は、
「ずいぶん良くなった。昔はゴム引きのようだった」
とおっしゃっていたよ。
さて、その頃、とんでもない嵐がやってきたんだ。
わかる?
ブルース・リーさ。
『燃えよドラゴン』。
うーん。
そのときは、それほどでもなかったかな。
世の中が浮かれているんだから、一緒になって浮かれていたら馬鹿野郎だ。
そんなふうに思っていた気がする。
俺がノックアウトされたのは、『死亡遊戯』さ。
その頃、ブルース・リーは、もう死んでいた。
もう、この世にはいないブルース・リー。
残されていたフィルムは、アクションシーンだけだった。
え?
ブルース・リーは俳優であって、格闘家じゃない?
そうだな。
そんなつまらないことを言うヤツは多いよ。
言い合ってもつまらないし、
「そう?」
と言うだけさ。
俺には、そんなことはどうでもよかった。
『死亡遊戯』、見たことある?
ドラマシーンは、ブルース・リーのそっくりさんを使って撮影し、残されていた本人のフィルムとつなげて作ったんだよね。
俺が初めて見たのは、おふくろの田舎だった。
田舎には、何もないからね。
従兄弟たちも、小さい頃は近所で遊んでくれた。
でも、ある程度の歳になるとね。
それぞれ、自分のことがある。
とにかく、暇だったんだよ。
考えてみれば、その後の人生で、あんなに暇だったことはない。
暇つぶしに、映画を見に行ったわけさ。
地方の町だから、映画館は一つか二つしかない。
かかっていたのは『死亡遊戯』。
同時上映は『Mr.Boo!』だった。
うらぶれた映画館で、客もそれほど入っていなかった。
ふむふむ。
そっくりさん、頑張っているじゃない。
まあ、いいんじゃない?
ところが、だぜ。
ブルース・リーが出てきた途端に、画面の空気が変わった。
いや。
映画館の空気が変わったんだ。
映画館の闇が、燦然と輝きだした。
驚いたよ。
それから俺は、『死亡遊戯』が地方館にかかるたびに見に行った。
全部で七回見た。
彼は、見せ方を知っていたんだとは思う。
でも、そんな理屈はどうでもいい。
その人が、そこにいるだけで空気が変わる。
そんな人間になりたい。
後になって、そう思うようになったのは、あの瞬間を知ったからだな。
いたいけな中学生だった俺は、まだ、そんなことを言葉にすることもできなかった。
ただ、わけもわからず、
「本物になりたい」
そう思ったのさ。
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