夢録02
無外流明思派 新名玉宗宗家
第2回の夢録は、無外流明思派、私たち一門の長である
新名玉宗宗家のインタビュー。
武道の真髄に迫ろうとしました。そこにあったのは
私たちと変わらない一人間が努力する姿だったように思います。
1) 無外流との出会い
鵬玉会会長 武田鵬玉(ほうぎょく 以下鵬玉) 今日は「今から無外流(むがいりゅう)の門を叩いてみようかな」と思って初めて見るかたのために、ご宗家(そうけ) 新名玉宗(にいなぎょくそう)宗家にあらたまってお聞きしたいと思います。無外流との出会いから教えていただけますか?
無外流明思派宗家 新名玉宗(以下宗家) 私は元々杖(じょう)をやっていたんです。杖は大刀も使います。そこで岩目地(いわめじ)先生から「居合(いあい)をやれよ」と言われてね。
鵬玉 それで居合を学ばれたんですか?
宗家 そもそも、日本人なら日本刀には憧れはあると思うんだよ。新渡戸稲造(にとべいなぞう)が「武士道」の中に書いているように、日本人の精神のアイデンティティは刀なんだろうね。もちろん私にもそれがあったから、「居合もいいなあ」と思ったのが始まりだね。
杖の先生で師事していた塩川先生が、無外流だったから、自然と無外流と出会うことになったんだね。
2) 武士道の醸成は日本刀から始まる
鵬玉 日本刀に憧れていた、というところを教えていただけますか?
宗家 子どもの頃から映画やテレビでチャンバラをやってたからね。子ども番組でさえ「赤胴鈴之助」。「日本人はこんな世界に生きていたんだよ」というのを気づかされるような番組が多かったと思うよ。「真剣は斬れる」というのをまずそんなエンターテイメントの中で見ていたよね。
新渡戸稲造の「武士道」には、子どもの頃から刀を身近に置くというのが、武士道を醸成していく始まりのようなことが書いてあるよね。私たち、現代の日本人も本当はそうだと思うんだ。「日本刀は斬れる」。その緊張感あっての、新渡戸先生言うところの「名誉」なんだろう。「斬れる」からこそ「日本刀」なんだったら、徹底して「斬れる」ことにこだわりたいと思うようになったんだよ。
3) 極真空手大山総裁の言葉
鵬玉 無外流にはどんな印象を持たれたんですか?
宗家 まず、他の流派のことを知らないだろ?でも稽古している中で、無外流の特質に気づいていくよね。「無外流は無駄な飾りがない」極真空手の創始者、故大山倍達総裁がテレビでこうおっしゃっていた。「いろいろな居合を見たが無外流というのは最も実戦的で強い」その言葉を聞いたときには、「そうなのかなあ」と思ったよ。まだよくわからなかったんだよね。
鵬玉 私も大山総裁のそのお言葉の話を聞いたときには驚きました。
宗家 面はゆい思いですが、ありがたい言葉だと受け取りたいと思うよ。大山総裁はどんな武道を学ぶ人間にとっても無視できない武人だからね。実戦を追求された方だから、無駄な動きは省く、ということが当たり前のことだったんだろう。そんな武人の目に無外流は無駄がない、実戦的な居合だと映ったんだからね。素晴らしいことだよ。
鵬玉 そもそも二ノ太刀、三の太刀ではなく、初太刀で勝負を決してしまう技ですからね。相手に剣を抜かせず斬ってしまう。
右は岩目地先生。
宗家 シンプルなんだよね、無外流は。逆にシンプルさ故にごまかしが効かない。昔、稽古していると、2階から先生が下りてきて、「新名、今のは足が違う」なんて言われるんだよ。「見ていないのに、なんでわかるんだろう」と思ったよ。でも聞いているとわかるくらいにシンプルだ、ってことなんだよ。
鵬玉 それは東京から下関の塩川先生のところに稽古に行かれていたときですか?
宗家 そうだったと思うけど、あんまり昔のことだからひょっとしたら下関の造船所に赴任していた時かもしれない。
4) 免許皆伝!そのとき宗家は・・・
鵬玉 その無外流は初段、二段という道以外に錬士、教士、範士があり、奥入書があり、そのずっと向こうに免許や皆伝がある。それこそ、この道に志した人の中でも、何千人に一人がそこに到達できるというものだと思います。
ご宗家が免許皆伝をいただいたときのお気持ちをお聞きしていいですか?
宗家 先生から免許をもらい、いよいよ「免許皆伝をやるぞ」と言われたときには参った、と思ってしまったよ。
鵬玉 どういうことですか?
宗家 「金がない!」と思ったんだ(笑)。
鵬玉 茶道、華道もそうですが、武道も確かに段位が上になってくるとそうですよね。
宗家 塩川先生に思わず「先生、金がありません!」と言ってしまった。まあ怒られたよ、「こういうものは、何としてでも手に入れるもんだ!」いやあ、あのときは参った。
鵬玉 奥様にご相談されたんですか?
宗家 いや、内緒にしていた。
鵬玉 さすがですね、私だったらすぐに相談します(笑)。
宗家 宗家継承するときは先代に茶室を一つ進呈していた、という時代もあったんだよ。早稲田の建築学科の博士過程にいた者に「茶室っていくらくらいするんだい」って聞いたら、「最低1000万円くらいはかかるんじないですか?」って言われたよ。
今の時代だからそうはかからないとしても本当に頭を抱えたよ。
結局勤めていた会社の組合から金を借りたよ。女房には内緒で借りて給与から天引き。
鵬玉 奥様に怒られませんでしたか?
宗家 若いときから武道やってたからね。そもそもその前に杖でもらっていたしね。
わかっていたから何も言わなかったよ。
鵬玉 奥様が凄いっていう見方もできますね(笑)。
宗家 女房には一切お金の話をしたことはない。給与の明細も見せてないし、金額が減ったのは、残業がつかなくなったからだって説明してたよ。
鵬玉 残業はよくされるほうだったんですか?
宗家 いや、あまりしない。
鵬玉 豪快ですね(笑)。きっと奥様はだまされたふりをなさっていたんでしょうね(笑)。でも普段聞くことができない、なんだかリアルなお話です。しかし、一面そんな裏話を秘めながらも武道を追求していくことは素晴らしい。
ご宗家にとって武道とは何でしょうか。
5)武道の10年、その次の10年が問題だ
宗家 「武道とは何だろう」と思いながら稽古する人がいる。そういう人は、本当に厳しい稽古をする人達だよね。音をあげない。注意されれば、注意されたところをメモしながら追いかけて武術としての技量をまず追いかけるよね。10年位修行すれば、自分が強くなったのがわかる。でも次の10年が問題だ。
もし次の10年を精進すれば人の強いのがわかってくる。
さらに10年経てば、自分の至らなさに気づき、自分の弱さに気づく。
真剣に追求すればそういう道を踏むと思う。
でもなあ、この10年に落とし穴があると思うんだ。10年やった人達、いや10年やらないでも3,4年で慢心して「俺は強くなった」と思ってしまう人が多いと思うんだよ。慢心というヤツだが、どんな武道でもそうだよね。
6) 万日をもって極と「なす」
鵬玉 極真の大山総裁はそれを戒めて「千日をもって初心とし、万日をもって極となす」とおっしゃいました。
宗家 千日で初心ですよ、万日だったら30年くらいかな、そのくらいの日数修行して極となれるようにがんばりなさい、ということじゃないのかな。「極とす」ではなく、「極となす」と言われたんだろう?
「極ですよ」ではなく、「極とするよう努力しなさい」だ。どんな武道も同じで、そこを甘く見て10年もいかないのに慢心する人がなんと多いことか。
術しか身につけてない、技量だけ身につけて「俺は強くなったんじゃないか」と誤解し、肩で風を切って歩きたくなる。しかし、本当は世の中に強い人は一杯いるんだよ。そこに気づいてきて初めて修行の道が始まると思うんだ。ようやくそこからなんだよ。
武道を長くやってきた人はそこに気づいて飄々としている人が多いよ。探究心が尽きることはないし。そこにあるのは人に勝つとか、勝たないとかじゃなく、自分の世界なんだよね。
これがようやく術から道に入るところなんだろうと思うよ。
7) 術に始まり道に至る
鵬玉 「術に始まり道に至る」という考えはいいですね。まず術だ、というのが現実的に聞こえます。
宗家 無為自然、老荘思想に近いのが武道修行の道のように思うよ。武道というのは人と比べてどうだ、ではなく終わることない自分個人の修行じゃないかな。
鵬玉 結局武道というのは組織云々ではなく、個人のものですもんね。
宗家 そうです。
鵬玉 流租辻月丹(げったん)はあれほど当時認められ、さらに偈(げ)を得た時点では、「一すなわち絶対の真理以外には何もない」と大悟さえしている。
なのに、人生の最後の最後に「さらに参ぜよ三十年」と終わりがない、まだまだだ、と思っています。
宗家 免許皆伝をもらったときに巻物見てね、私は考えたんだよ。巻物には最後に〇(マル)が書かれてあるんだ。そこにさらに参ぜよ三十年と書いてある。
「なんで〇が書かれているんだろう」と疑問に思ったんだよ。「何を意味しているんだろう?」ってね。しかし、ようやく10年くらい前にあの○の意味がわかった。塩川先生にすぐに電話してそのことを言ったんだ。嬉しかったなあ、あのときは。
鵬玉 いい話ですね。
宗家 しかしそれから何年もかかったのが「万法帰一刀(ばんぽうきいっとう)の意味の理解。「なんでこんなことをやっているんだろう」とずっと考えていたんだよ。
理屈ではわかっているけど、核心はそんなとこじゃなかったんだよね。ようやく自分の答を見つけたのが昨年だ。
8) 禅の公安 皆伝をもらってさらにスタート
鵬玉 禅の公案のようなものですね。
宗家 そうだね。さらに参ぜよ三十年とはよく言ったものだと思うよ。免許皆伝もらったから終わりじゃないんだよ。
同じような気持ちでさらに稽古しなさい。そしたらさらに一歩進むよ、と言われているようなものだよね。
鵬玉 皆伝もらってさらにスタートですか。先の長さに気が遠くなりますね(笑)。
宗家 修行だからね。武道がスポーツと違うのはそこだと思うよ。わからなくなる、納得いかんようになると岩目地先生に電話して聞いたりもしていた。
岩目地先生も考えてくれるんだな。「新名さん。そこはこうじゃないかな」と。
今でも研究、研究なんだよ。
9) 鵬玉会は会員が増えないかもしれないが(笑)
鵬玉 ではご宗家、鵬玉会に望むことを教えていただけますか
宗家 会を大きくしようと思ったら、サークル的にやりたい、カルチャークラブの延長のようにしてやりたい、という人までいれないとダメなんです。そういう会も実際にあるだろう。
でもそうじゃない団体が一つくらいあってもいいと思ってたんです。それは武道を追求したい人達の集団ですよね。
武田さんは極真の洗礼を濃厚に受けている人だよな。そして今回福岡で一緒に稽古した日野さんは極真会館熊本大津道場責任者。
上手くなれば誰もできなかった実戦的な武道としての無外流に行くことができるかもしれない。そういうところまで行く人たちがいる団体に育つのを鵬玉会に期待したいかな。サークル気分で入ってくる人はすぐにやめていくかもしれないけど(笑)。
鵬玉 (笑)笑い事じゃありませんね。それは困るかもしれません(笑)。
宗家 いいじゃないか、そういう会があっても、と思うよ。
10「誠」を尽くす
鵬玉 浅田次郎先生が「一刀斎夢録」の中で、そういう真摯な姿勢を一言で表すなら「誠」だ、と書いていらっしゃいました。私も自分の至らなさを知った上で真摯に努力し、武道に対して誠を尽くしたいと思います。
宗家 でも案外、鵬玉会の「誠」に惹かれる人はいるかもしれないね。
鵬玉 同じ学ぶならやはり私は一門の長に学ぶべきだと思います。鵬玉会はご宗家が最高顧問ですからチャンスがある。お預かりした鵬玉会を最高顧問のご宗家が誇りに思っていただけるよう、頑張りたいと思います。
これからもよろしくお願いします。