夢録12 特別対談 天然理心流 ×無外流 宗家対談 宮川清蔵勇武宗家、新名玉宗宗家(中編) 新選組以来150年目の邂逅 武道修行の時代とは

夢録12 

特別対談 天然理心流 ×無外流 宗家対談 宮川清蔵勇武宗家、新名玉宗宗家(中編) 新選組以来150年目の邂逅 武道修行の時代とは

第12回の夢録は、天然理心流と無外流の両流派宗家の特別対談 中編を、
前編に続き、お送りします。
かたや、幕末の京で一世を風靡した天然理心流九代目(新選組の近藤勇局長は四代目宗家)の宮川清藏勇武宗家。
かたや 新選組三番隊組長斉藤一が使ったと言われる無外流関東最大の一門明思派を率いる新名玉宗宗家。新選組が京にのぼった文久三年創業の日本橋の料亭から150年目の邂逅をお届けします!

内容が濃いため、前回の前編に続き、中編としてお届けします。(インタビュー 武田鵬玉)

宮川清藏勇武先生
天然理心流九代目宗家にして、新選組局長近藤勇の生家宮川家の方として見れば、まぎれもないご遺族。夢録四にご紹介した宮川豊治智正さんはお兄様にあたられます。
天然理心流勇武館館長でいらっしゃいます。
NHK大河ドラマ「新選組!」にも出演され、近藤勇、土方歳三、沖田総司らが修めた天然理心流について解説していらっしゃいました。
新名玉宗先生
1948(昭和23)年10月2日大分県津久見市生まれ、
財団法人無外流、傘下15団体一門の長.。
関東最大、無外流明思派宗家。
無外流居合兵道の修道者としては86年師範、96年免許皆伝。
98年範士、99年宗家継承(無外流明思派宗家の名乗りは2004年から)。
鵬玉会では最高顧問をお願いしています。

12) 実際の殺し合いの場面に出会ったら

武田鵬玉(以下武田) 今日は前回に続き、日本橋で文久三年から続く名店「とよだ」で天然理心流宮川清蔵勇武宗家、無外流明思派新名玉宗宗家をお迎えしています。

天然理心流 宮川清蔵勇武宗家(以下宮川宗家) 居合の場合には、相手が仮想ですからねえ。天然理心流でももちろん素振りをします。でもただ木刀を振ればいいわけではない。相手はどのくらいの身長か、どのくらいのからだの幅か、間合いはどうか。今これで斬れる位置なのか。そういうことを考えながらやらないと、ただ振っているだけになりますよね。そう言います。

無外流明思派 新名玉宗宗家(以下新名宗家) まったくその通りですね。身長が2mあるようなアメリカ人がアメリカの組織にはたくさんいます。この人たちの相手をすると、多少の身長差なんてものじゃないんです。

宮川宗家 真上から刀が降ってくる感じでしょうね。

新名宗家 そうなんです。これでその形の理合は受け返しだから受け返さなければ、なんて思っていたら潰されるだけです(笑)。

武田 ぐしゃっと潰されそうですね(笑)。



新名宗家 だからと言って、そこまで高いところから刀をたたきこまれると、受け流そうにも受け流すことすら難しいんです。

宮川宗家 それでは体捌き(たいさばき)しかないですね。

新名宗家 そうなんです。普通の会員がいつも同じような動きをしているのはなぜか。それは同じような身長の人間としかやらないからです。形の理合いの中では「こういう動きだ」とされているかもしれない。でも実際の殺し合いの場面に出会ったらそうじゃないんだよ、だからどうやって相手を崩すかを考えなければならないんだよ、と言うわけです。

宮川宗家 それこそ池田屋に飛び込んだときに、同じような身長の者ばかりじゃなかったでしょうしね。からだの大きさも、運動能力の得意不得意、体捌きの好みなど、さまざまな要因が本当はあるはずですからね。それにしても、アメリカ人相手は大変ですね。

13)「これが本当の居合なのか」

新名宗家 驚きました。向こうの責任者は200kgを超える巨漢で、最初あったときは抜刀道をしていましたし、日本の居合をバカにしていました。体格差は歴然としていましたし、巻き藁だって何本も並べて斬れるんですからね。ところが抜き打ちで私の弟子たちが斬り、自分達で同じように抜き打ちで斬ろうとしたら、斬れない。

宮川宗家 居合の抜き打ちですね?

新名宗家 ええ。最初から抜刀した状態で構えてなら斬ることはできても、刀が鞘のうちにある状態からの抜き打ちでは斬れない。彼は「ああ、これが本当の居合なのか」と感動したそうです。それで仲間を引き連れて入門です。

14)無外流は居合ではなく、剣術から始まった

宮川宗家 無外流は居合ばかりかというと、実は剣術もあるんですね。

新名宗家 ええ。組太刀という形で残っていますが、元々流祖が学んだのは山口卜真斎の山口流なんです。その弟子伊藤大膳に習って江戸に出て、山口流で道場を開くがパッとしない。それで禅を始めて参禅すること20年、45歳のときに初めて師からこんな偈(げ)をもらうわけです。

武田 禅での卒業のようなものでしょうか。

無外流の流祖 辻 月丹(つじ げったん) 1648年(慶安元年) – 1727年7月31日(享保12年旧暦6月13日)) 流派の名前の基となった「偈」についてはこちらを参照


新名宗家 そうだな。そして、その偈の中にあった「無外」という言葉をとって無外流と名乗りました。そこから大名家とかに伝わっていったんですね。

宮川宗家 パッとしなかったところから大きくなったんですね。

新名宗家 多分心の持ち方の問題だったんじゃないでしょうか。「術」から、心にシフトし「道」になったあたりから世に認められたんじゃないかと思います。

宮川宗家 なるほど。

新名宗家 当時は荒い稽古だったそうです。元禄の反動でしょうか、戦国の気風にあこがれていた大名がいたようです。それが当時の無外流の荒っぽさ、激しさと合致したんでしょう。殿様を放り投げたり、庭に転がしたり。

宮川先生 (笑)。

新名宗家 それが逆に認められて「やるなら無外流だ」となったようです。

宮川宗家 そうすると最初は居合ではなく、剣術からですね?

新名宗家 そうなんです。

宮川宗家 居合はどこから始まったんですか?

15) 無外流三代宗家 都司文左衛門の伝書に出てくる「無外流居合」という表現

剣聖 二天一流の宮本武蔵。新選組では服部武雄(御陵衛士に参加)が二刀流だったというが、油小路事件で落命。

新名宗家 無外流では、合わせて自鏡流の居合をやっていました。その自鏡流居合をやっていた者のほとんどが無外流の人たちだったもので、三代都治記摩多資英の伝書には「無外流居合」と書かれるようになりました。

宮川宗家 相当古い話ですねえ。

新名宗家 俗に言う二刀流、二天一流の剣聖宮本武蔵が亡くなったのが1645年、流祖辻月丹が生まれたのがそれより遅れて1648年です。

宮川宗家 宮本武蔵没後三年に生まれたんですか。随分長い歴史ですね。

新名宗家 1693年に無外流を名乗りますから、2014年で321年になります。辻月旦の弟子から先が土佐、姫路を始め大名36家を超え、根付いたと言われますが、その土佐無外流も川崎善三郎先生で消えました。

宮川宗家 歴史は残酷ですねえ。土佐と言えば、土佐の山内容堂侯は無外流だったと言いますね。

新名宗家 本当かどうかわかりませんが、2mの高さの木の枝から飛び降りながら抜き、着地するまでに納刀できたと、司馬遼太郎先生が書いていらっしゃいますね。

17) 命をギリギリ守る刃境を知れ

宮川宗家 各流派それぞれ大変な時代があったんでしょうね。

新名宗家 私は思うんです。どんな流派も無外流も私たちの組織の中の者も、もし殺し合いの中にあれば、理屈は簡単なはずだと。たとえば、無防備に手を出して抜こうとしたとしたら、どんな流派でも簡単に殺されてしまうでしょう。そこは命をギリギリに守る刃境(はざかい)なのに、今やそれを考えず腕を伸ばす者のなんと多いことか。

宮川宗家 刃境。いい言葉ですよねえ。

新名宗家 能書きではなく、形で斬れなければ意味がないと思うんです。組織の内外問わず、私は置藁(おきわら)で斬れたら初めて話を聞こう、ということにしています。

宮川宗家 ふむ。

新名宗家 しかしその斬り方も、形の理合のうちにある。斬るか斬られるか。いざ、というときに初めて間合いに入っていくわけです。だからタメもある。無防備に手だけ出ていくことはありえません。手だけ出すなら、相手は黙っていませんよね。

宮川宗家 そうですよね。

新名宗家 手を斬り落としてしまいます。抜き打ちでは鞘をひき、いくぞというときにはタメを活かして一気に斬りにいきます。

宮川宗家 なるほど。

18)脇構えに知る!近藤勇の心

新選組 近藤勇局長


新名宗家 間合いというのは考えれば考えるほど奥が深い。天然理心流の脇構えで近藤勇が立っているのを考えるといいですね。刀身の長さもわからないから間合いが想像つかない。普通ならなかなか飛び込めませんね。

宮川宗家 ええ。そこに近藤勇の心があるように思います。

新名宗家 普通は道場で教えない技があります。ようやく教えてもいいレベルになった弟子には教えますが、そのときに、「いや、実は相手が脇構えだったらどうするか」とか研究するのは楽しいですね。

宮川宗家 いや、面白いですねえ。新名宗家のお話は刺激的です。「だったら、あんな攻撃はどう対応するか」と自分の頭の中にもいろいろな想定が浮かびますね。

新名宗家 突き詰めれば体捌きだと思います。剣道なら「浅い」とかになってしまうでしょうが。浅かろうが深かろうが、刀の身幅分だけ頭に斬りこめば、死を与えることができるわけですからね。

宮川宗家 なるほど、命の奪い合いですね。

新名宗家 殺し合いという前提で考えればいろいろ納得できる話がありますね。工夫し、研究するのが一番おもしろいです。新当流で相手が下がった、こちらが踏み込んでこめかみを斬っていく形がありますね。

宮川宗家 はい。

19)「斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ」

宮川宗家の勇武館では、新選組近藤勇局長が精進したであろう稽古が、今もそのご遺族宮川宗家によって行われている。


新名宗家 あれだって、外されたら終わりです。そこでどうやったら外されないか。柄をすっとずらしさえすれば10cmは変わる。

宮川宗家 間合いがまったく変わりますね。

新名宗家 片手一本で滑らせれば、まったく変わりますよね。そんなことばかり考えます。下がれば斬られる、とかですね。

宮川宗家 前に、ですね。

新名宗家 一歩前に踏み込めば斬られない。柳生石舟斎の「斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 一足ふみこめそこは極楽」あれは剣の真理を表した素晴らしい歌なんじゃないかと思います。相手はものうちで斬りたいのに、それより中に入ってしまうわけですから。

宮川宗家 理心流では打太刀が仕太刀に先をとられて下がる。一歩出て居直ると言います。確かにそうでなければ斬られるし、一歩踏み込めば生き残る道があるんでしょうね。

新名宗家 一歩前に出るのは入り身です。入り身ならもう相手の大刀の間合いではなくなってしまう。

21)天然理心流 「五月雨剣」

宮川宗家 理心流で剣術、柔術があり、小具足という形の入り身の位があります。その入り身が綺麗に入れると形がスッと決まります。新名宗家のお話と同じく、命のやりとりで重要なのは入り身の問題ですね。五月雨剣というのが理心流にはあります。佐藤彦五郎さんが残した伝書によれば、仕太刀は上段から一歩前に出て平正眼。押し込んで打太刀左小手を打つ。返して相手の右面、左面、右小手を打つ。左面右面を打つ。左小手を打ち、右小手を打ち、上段になりお互いの面を打ち合いすれ違う。振り向いて相手が乗っ込み打ち来るを払って面を打って居直る、と書かれています。反撃の暇がない。

新名宗家 そうすると、それが沖田総司の三段突きになったんですかね。

宮川宗家 そうかもしれませんねえ。三段突きと言いますが、五月雨剣の変形で構えなおす隙を与えなかったのかもしれません。彦五郎さんはそれを見て、あまりに早かったので「三段突き」と思ったのかもしれませんね。

新名宗家 突くのも、何もからだではなく手でもどこでも突く場所はいいわけですからね。ちょっと捌いて突けばいい。

宮川宗家 そうですよね。小手をとったのが突きに見えたかもしれませんしね。開いて打ち直しているかもしれませんしね。

新名宗家 そんな動きをされれば逃げようがありませんしね。

武田 宮川先生、誤解があったらいけませんのでここで言っておきますが、みんながみんなそんな稽古をしているわけではありません。本当にごく一部、ようやくレベル的にもいけるようになってきた一部だけです。入口はだれでもできるように広く、簡単なように教えるよう気をつけています。

宮川宗家 なるほど。

新名宗家 無外流は元々剣術ですから、組太刀も、刀の合理的な扱い方を理解できなければなりません。

宮川宗家 いいですねえ。

22) 龍源寺の松原哲明和尚

新名宗家 宮川先生の夢録に近藤勇の菩提寺として龍源寺の名前が出てきたので驚きました。同名のお寺が三田にあり、私はそこに行っていましたから。

宮川宗家 どういうお寺だったんですか?

新名宗家 三田にある臨済宗の寺ですが、そこの松原泰道和尚、そのお子さんの松原哲明和尚とおつきあいさせていいただいていました。「かわかない心」という哲明和尚のご著書を読んで感動し、会社からすぐに電話をかけて、哲明和尚に会いに行きました。



宮川宗家 そりゃまた気の早い(笑)。

新名宗家 (笑)。「20分だけ時間をくれ!」と押しかけたんです。その後、居合の顧問になっていただきました。

宮川宗家 ほう。

新名宗家 和尚は、流祖辻丹が参禅していた吸江寺の住職も兼ねていました。

宮川宗家 ご縁というのは不思議ですねえ。国学院の裏ですね?

23)吹毛会誕生秘話

新名宗家 ええ、そうです。「和尚は吸江寺の住職も兼ねているんだから、無外流の会の名前も考えてくれませんか?」と頼んでつけてもらった名前が「吹毛会(すいもうかい)」なんです。無外流という名前もそもそもたどっていけば中国の碧巌録(へきがんろく)から来ているんです。

武田 碧巌録というのは何ですか?

新名宗家 中国の仏教書です。臨済宗では特に大事にされている。そこで会の名前も同じく碧巌録から選んでくれました。

  僧巴陵に問う 
    如何なるか是れ 吹毛の剣
  陵曰く
    珊瑚枝々 月をとう著す

  そうはりょうにとう
    いかなるかこれ すいもうのけん
  りょういわく
    さんごしし つきをとうじゃくす

という一節から来ています。

武田 すみません、これを読む方のためにも解説をお願いしていいでしょうか。

新名宗家 羽毛が飛んで来ても自然と二つに斬れるほどの、凄い斬れ味の剣『吹毛剣』とは何か、というのが問です。その答が、「珊瑚枝々 月をとう著す」なんです。珊瑚の枝々が、月の光を浴びてキラキラ光っている、というのが答なんだけど、「和尚、吹毛の剣なのに、なんで珊瑚に月ですかね。私はこの意味がわからん」と言ったら「それが禅だ」と言われましたよ。

宮川宗家 (笑)。そう言えば松原泰道先生が書かれた般若心境の本を読んだことを思い出しました。不思議なご縁ですねえ。深いものを理解しようと考えること、求めようとすること、それは武道を志すものにとっては避けることができないのかもしれませんね。

23)稽古を重ねる日々でしか生まれない思い出がある

新名宗家 ご縁ですねえ。北軽井沢に日月庵という、龍源寺の修行する場所がありました。1000坪くらいの土地に合宿できるところがありました。洗心庵という名の風呂場があり、座禅堂もありました。「和尚貸してくれ」と頼むと「一日3000円でいいぞ。あとは自分達で飯作って勝手に使え」と言われて鍵を預かり、よく合宿で使いました。和尚も時間を作って車を飛ばして来てくれる。終わったら車を飛ばして帰る。平林寺という寺の若い住職もつれてきてくれました。でも座禅になると見事なもので、まるで「岩」です。絶対に追いつかないと思いました。あのとき聞いた雨の音や鳥の鳴き声は今も私の財産のように思います。

宮川宗家 稽古を重ねる日々でしか生まれない思い出がありますね。それは宝物です。じゃあ、近藤勇の菩提寺、龍源寺という同じ名前を聞かれて驚かれたでしょう。

新名宗家 ご縁だと思いました。

いよいよ武道の核に迫る後編へ!>>>