夢録15 新選組副長助勤 三番隊隊長 斎藤一 雑誌「歴史人」掲載記念 特別編

夢録15 

新選組副長助勤 三番隊隊長
斎藤一
雑誌「歴史人」掲載記念 特別編

雑誌「歴史人」五月号掲載内容紹介

雑誌「歴史人」2015年5月号に無外流居合 鵬玉会が掲載されました。

その内容は新選組三番隊組長 斉藤一に関するもの。
「夢録」の特別編として、ここにその内容をご紹介します。

斎藤 一(さいとう はじめ)
天保15年1月1日(1844年2月18日) ~ 大正4年(1915年)9月28日)
幕末期に新選組で副長助勤、三番隊組長、撃剣師範を務める。一時期御陵衛士に入隊。戊辰戦争では旧幕府軍に従い新政府軍と戦う。明治維新後警視庁の警察官となった。階級は警部。西南戦争では警視隊に所属して西郷隆盛軍と戦う。
退職後、東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学)の守衛、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の庶務掛兼会計掛。出自、経歴は不明な点も多い。勲等は勲七等青色桐葉章。

新選組の剣の使い手は沖田総司を筆頭に神道無流本目録の永倉新八。この順に一番隊、二番隊の組長、撃剣師範を務めたわけだが、これに並ぶのが三番隊組長で同じく撃剣師範を務めた斎藤一だ。
その剣の流派はよくわかっていなかったが、斉藤一の研究で知られる作家赤間倭子氏の研究で、近年「無外流」であったことがわかった。
その無外流では、古流の団体でも最大級の無外流明思派。その宗家を最高顧問にいただく「鵬玉会(ほうぎょくかい」会長の武田氏に聞いてみた。

「無外流であったことがわかったのは、平成六年警察博物館であった『警察のはじまり、特別展』がきっかけです。初代大警視(警視総監)、『日本警察の父』川路利良と、その部下斉藤一を調べたものです。警視庁広報課で、元警視庁剣道助教西尾俊勝さんが調べた警視庁に残る記録によるものです。」

「居合と剣術は違います。剣術は剣を抜いて『さあ来い』。居合は出会い頭、抜き打ちの一撃で勝負を決する剣です。無外流は本来剣術でしたが、三代都治記摩多の伝書には『無外流居合』と書かれており、居合が認識されていたようです。

斉藤一が暗殺の現場にいつもいたのは抜き打ちで斬れる居合だったからでしょう。ぜひ歴史人の読者にも無料体験を受けていただきたいです。斎藤一の気持ちがわかるような気がしますよ。」

(左)新選組近藤勇局長のご遺族で天然理心流第九代宗家の宮川清蔵勇武先生と。

(左)各道場で稽古生募集中。初心者の無料体験は毎週実施されている。問合せは遠慮なく。
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無外流居合 鵬玉会 会長武田鵬玉さん 無外流明思派の新名玉宗宗家を最高顧問にいただく鵬玉会の会長。国際大会を開く居合道会の理事も務める。東京、栃木、福岡、熊本の会員の指導にも飛び回る。「誰もが刀に初めて触るわけです。ですから、基本から丁寧にお教えしています。」

「歴史人」2015年5月号より

鵬玉独白

今回は雑誌「歴史人」掲載内容をそこで終わらせるのはもったいなく、特別に「夢録」にご紹介しました。
斎藤一の研究は割と新しいのですが、維新後は警察に奉職していたこともあり、警察の手で研究が進んだ、というような経緯があります。実は残された羽織から身長を170cmと割り出すなど、明らかにされたことも多いようです。さすが警察だと思いますね。
私たちはその後輩として、生死を賭けて剣を抜いたその心持を学びたいと思います。