次の地平へ

わが師 新名玉宗と

次の地平へ

 新名宗家と私の稽古は、おそらく2007年から続いている。

 「こいつは、いつ違いに気がつくか。いつ違いを認識するか」と塩川先生は勿論ですが、歴史の世界(巻物や系統譜)に名を残している宗家や師範達は、弟子達をじっと観ていたんだと思います。」(いつ違いに気がつくか)

は、わが師と私の関係にももちろん当てはまる。

 「次の地平に行くべきときが来た」でご宗家からの課題が与えられたことを記録した。
 詳細を教えることにはあまり意味がない。
 何を考え、どんな回答を考え、師がそれにどんな導きをするかも自由だからだ。

 同じ地平に立たないとショートカットさせてもピンとは来ない。
 それを非難されても「それは失礼しました」と言うしかない。

 世間がGWを騒いでいる中、私は電車で行けるところまで行き、そこからレンタカーを借りる。
 何が見えるのか、ワクワクする。
 課題を与えられて、ひと月経つ前に実際に行こうとしている。
 「行こうと思っている」と「実際に行った」はまったく違う。

 新名宗家に、今日課題をやろうと向かっている、と一報入れるとSMSが返ってきた。

 「〇〇で刀を抜く機会がありましたら、自分の姿を50メートルや100メートル上空から俯瞰して見てください。(勿論、意識の中での事ですが)
 流祖がいわれた無外流は禅だという事に少し近づけると思います。

 明思派の居合形は、〇〇から宇宙へと、自分の意識を広げて形の稽古をする。或いは演武する事です。
 目の前に敵を想定して刀を振るのは、まだ初心者の段階です。」 
 
 師弟の会話はおもしろい。

 これはあくまで新名宗家と私との個人的な話の記録だ。
 そこに無外流の何かのヒントがあっても、ピンとこない人も多いだろうし、縁がない人は一門であっても、このページにはたどりつかないだろう。それでいいのだ、と私は思う。

 計算すると、「直接教えるから、俺のところに来い」と言われ、個人指導を受け続けて18年。
 私は塩川・新名伝の核心に迫れるのだろうか。
 自分がどう変わっていくかを考えるとワクワクする。