次の地平を見るべきときが来た

わが師 新名玉宗と

次の地平を見るべきときが来た

  1. 新名宗家に見ていただく稽古

 先日、わが師、無外流明思派 新名玉宗宗家からSMSが届いた。
 そのSMSをいただいた日、ほんの数時間前にその月のご宗家の直接指導を受けていた。

 新名宗家の直接指導といっても、その最初は打ち合わせから始まるのが定例だ。

 いつからそうなったのだろう。
 実は毎回私は新名宗家にするプレゼン資料を用意していて、そのパワーポイントのデータをとっていた。
 残っているもっとも古い記録は平成29年。2017年だから、8年間、ある時期は毎週プレゼンをしていたことになる。
 何が起こっているか。
 迷っていることはこれですが、私はこう思っています。正しいでしょうか。
 こちらの方向にひっぱろうと思っています。いいでしょうか。

 迷っているとしても、当然この回答はこうあるべきだ、と思っていても聞くことは大事だ。
 もし私が逆の立場でも安心する。
 そして別の安心を生む。
 「こいつは俺と同じように見ている。
 こいつにまかせておけばよい。」

 さらに新名宗家は考える。
 武田は俺がそう思っていると思っているだろう。

 同じ方向を見ることができるだろうという信頼は、相手に対する「信」につながる。

2. 「武田さんは2回変わった」

 そうだ、昔は
 「力を抜け」と言われ続けた。
 「力を抜くのが武田さんの課題だ。意識がこぶしにある」と言われた。
 これがわかるまでに8年かかった。

 浅草蔵前に総本部道場を開くときに、道場開きの式典に来てくださった新名宗家は、こうおっしゃった。
 「武田さんの居合は2度変わった。
 最初に変わったのは、すみれちゃん(長女)が生まれたときだった。
 それまでのギラギラした形から、やわらかい形に変わりました。
 次に変わったのは最近です。
 ここ蔵前に道場を出す。後には退けないと覚悟を決めて変わったんでしょう。
 これからどう変わるのか楽しみです」

 私も弟子の成長を見つめられる師になろうと思った。

3. 「目の前に敵を想定して刀を振るのは、まだ初心者の段階です。」

 そして今月の稽古終わりに新名宗家は私に新しいアドバイスをくれることになる。
 「うん。
 先々月より先月の方がよかった。
 先月より今月の方がいい。
 稽古しているんだな。

 ここまで来たら〇〇に行ってきなさい」

 これは許されたとき、許された人にしか公にできないだろうから、アドバイスの内容はご容赦いただきます。

 その後、ご宗家からSMSが届くのだ。
 『〇〇で刀を抜く機会がありましたら、自分の姿を〇〇ください。

 流祖がいわれた無外流は禅だという事に少し近づけると思います。

 明思派の居合形は、〇〇から宇宙へと、〇〇して〇〇をする。或いは〇〇する事です。
 目の前に敵を想定して刀を振るのは、まだ初心者の段階です。』

 この目の前に敵を想定して刀を振ることを無外流は徹底して教える。
 それについてこの日の稽古で私は新名宗家にこう言った。
 「残心のときまで敵を想定していましたが、もしその敵を制圧してピクとも動けなくすることができたなら、こうなるんじゃないかと思ったんです。
 すなわち、前に敵なし、後ろに敵なし」

 私のそれを聞いた新名宗家は
「目の前に敵を想定して刀を振るのは、まだ初心者の段階」と話していいと考えられたに違いない。
 あの言葉を新名宗家に投げてみなければ、おそらくこのアドバイスはなかっただろう。
 これがあって、初めて師弟と言えるのではないかと思う。

 過去に同じことをやらせた弟子がいらっしゃったともおっしゃった。
 「しかし斬れなかった弟子だったし、組太刀でもやれなかったからなあ。そこができずにその場に立っても先には行けなかったよ」

4. 新しい旅に出よう

 私は近日〇〇に行く。
 次の地平を見るべきときが来た。
 準備は万全だ。
 ワクワクする。
 それは武者震いなんかじゃない。
 明日、初めての修学旅行に行く小学生、といった気分だ。
 自分がどう変わるのか、何が見えるのか、こんな旅を大人になってできるなんて思ってもみなかった。