わが師 新名玉宗と
いつ違いに気がつくか
わが師、無外流明思派 新名玉宗宗家からのSMSを整理している。
当時わからなかったことも、見返すと思わず腑に落ちることが多い。
そしてブレがないことに驚く。
『塩川先生は「居合形を稽古している時は、刀を大きく振れ」といつも言っていました。
敵が目の前にいるのに、刀を大きく振っていたら、隙ができ、自分が斬られたり、突かれたりします。組太刀の稽古をしていたら、よく分かると思います。』
塩川・新名伝の約束組太刀は、たとえ形であっても斬りあいの間合いで行う。内弟子には、「仕太刀が甘ければ、打太刀が勝つこともある。居合にラスボスはなく、瞬間の判断を間違えた方が死ぬだけだ」と稽古させる。
『しかし無外流居合は、【動く禅】だと言われ、
小さな身体から心を解き放し、宇宙と一体となり、無限大の心で刀を振れ
と教えます。』
ご宗家に話したことがある。
2023年の秋、京都くろ谷の金戒光明寺で秋の特別拝観を1か月やったときのことだ。
そもそも家康が二条城のほかにいざ火の手があがったら金戒光明寺を第2の拠点にする、と決めていたほどの古刹だ。そんな京都の古刹が武道団体に依頼する、なんてありえないことだった。
21日間、午前と午後の2回演武をする。
メディア向けの特別な演武を含めると43回。
午後には早くに終わるだろうから、どこか観光しよう、なんて甘いことを考えていたけど、翌日分の畳表の水浸け、片付け、掃除、なんてしていたらそれどころじゃなかった。
でも、毎朝早くにお寺につくと、少しずつ色づく紅葉や、空の色の変化を見ることができる。
「ご宗家、気づいたんですよ、毎回庭に続く階段を埋め尽くしてお客様がいたんですが・・・なんか途中からその視線もまったく気にならなくなったんです。」
演武のときに、それまでのいつもの演武のように「よし!」と思っていた初期から、毎日やっているうちに気持ちが変わっていることに気づいた。
試し斬り用の畳表を見るのはすれ違うほんの一瞬だ。
視界にも入らなければ、自然、気負いも消える。
ああ、鳥が飛んできて本堂の木に止まった。
紅葉が鮮やかになってきたなあ。
「たぶん、なんとなく力が抜けた感じで、「ああ、これ、忘れちゃだめだな」と思いました。以来、何かするときは、あのときの庭から見た、お寺の様子や夕日を思い出すようにしたんです。」
ご宗家はじっと私を見ていることが多い。
『そこで無外流は、居合形と組太刀の時の刀の使い方や姿勢は、異なるんじゃないかという事に気づくと思います。
つまり、居合形と組太刀の時の刀の使い方は「別物である」と認識出来るか否かという事が重要です。
「こいつは、いつ違いに気がつくか。いつ違いを認識するか」と塩川先生は勿論ですが、歴史の世界(巻物や系統譜)に名を残している宗家や師範達は、弟子達をじっと観ていたんだと思います。
居合形においては、
自分の刀を月や火星まで、或いは天王星や海王星まで届かせる為には、自分はどういう事になっているかと考えた時、なるほど無外流は【動く禅】だと理解出来ると思いますし、理解出来た後の、自分の居合が前とは違っている事に気づくと思います。
組太刀においては、
最短最速で、ムダな動きをせず、前の敵を斬る。或いは突く。
体捌きと刀の使い方(刀の軌道)を、考えて稽古する事です。
教えられた動きを、追いかけるだけで、遠い間合いで、木剣を打ち合う音をたてていたら、組太刀が出来ていると考えていたら、大きな勘違いをしているという事になります。
自分の居合形や組太刀の稽古を、改めて見直してみて下さい。』
でも凡人だから、禅の勉強をあわせてしないと先に進めないね。