無外流の歴史 流祖から鵬玉会まで
無外流 HISTORY
無外流とはindex
無外流の歴史
1)流祖辻月丹
2)江戸時代の伝播と現代までの継承
3)塩川・新名伝から鵬玉会へ
4)流祖から鵬玉会までの流れ
無外流を考える
1) 無外流の特色
2) 無外真伝剣法訣 2
3) 無外真伝剣法訣 3
百足伝
偈
無外流の歴史1 流祖辻月丹
※ 13代宗家中川士竜先生の「辻無外伝」もご参照ください。
無外流の流祖・辻月丹資茂とは
無外流の流祖・辻月丹資茂は、江戸時代前期に活躍した剣客です。
辻月丹は、慶安元年(1648年)に生まれたと伝えられています。幼名を辻兵内といい、13歳で京都へ出て、山口流の山口卜真斎に剣術を学びました。
その後、愛宕山での祈誓や北陸・越後への武者修行を経て、26歳頃に山口流の免許を受け、江戸へ出ました。
江戸では麹町に道場を開きましたが、剣術の修行だけにとどまらず、麻布の吸江寺において禅の修行にも取り組みました。
この頃は辻無外と号を名乗っています。
辻無外に禅の道を教えたのは、石潭和尚です。
しかし、辻月丹が長い参禅修行の後に偈(げ)を受ける際、石潭禅師は亡くなっていたため、神州禅師が石潭禅師の名によって授けたと伝えられています。
その偈が、
一法実無外
乾坤得一貞
吸毛方納密
動着則光清
です。
偈とは、仏教や禅の教え、悟りの境地を、短い詩の形で示した言葉です。
辻無外は、この偈の第一句「一法実無外」から、自らの流儀を「無外流」と称したと伝えられています。
そして号を辻月丹としました。

「居合の本義は、抜刀の一瞬にあり」
月丹は剣術に加え、居合の技法も修めました。
伝承には、師である山口卜真斎の前で、抜き打ちによって灯明の火を三度消してみせたという逸話があります。
居合の本義は、抜刀の一瞬にあり
無外流において、居合の核心は、刀が鞘に納まった状態から抜き放つ、その一瞬にあります。
抜刀後の攻防は剣術です。だからこそ、鞘の中から生まれる最初の一刀を、生涯かけて追究します。

「一法実無外」と無外流の誕生
「一法実無外」とは、宇宙の真理は一つであり、その外には何もない、という意味です。
これは、単に一つの技や一つの方法だけを学べ、という意味ではありません。
世界、自然、人間、生と死、そして剣。
それらを貫く真理は、ただ一つである。
無外流で言えば、
真理の一刀、それだけを追いかけなさい。
という、後の弟子たちに遺された課題であろうと考えられます。
無外流の修行は、多くの技を覚えること自体を目的とするものではありません。
最初に学ぶ抜き打ち横一文字から始まり、居合形、組太刀、試し斬り、内伝、奥伝へと進みながら、修行者はその「真理の一刀」を追い求めていきます。
そして奥伝「万法帰一刀」において、修行者は再び、最初に学んだ抜き打ち横一文字へ帰ります。
万法帰一刀
すべての法は、一刀に帰る。
数多くの形と理合を学びながら、最後には最初の一刀へ帰る。
無外流とは、その一刀の中にある真理を、生涯をかけて追い求める武道なのです。

流祖から約350年
流祖から約350年
辻月丹の門下には、諸大名や幕臣、その家臣など、多くの武士が名を連ねました。
現存する誓紙によれば、門下には、
- 一万石以上の大名 32家
- 直参 156人
- 陪臣 930人
が確認されています。
これらは、明暦の大火を経て焼け残った誓紙に記された人数です。
失われた誓紙もあったと考えられるため、実際の門人数は、これよりさらに多かった可能性があります。
この数字からも、無外流が一部の剣客だけに伝えられた流儀ではなく、大名家、幕臣、諸藩の武士たちへ広く伝わった流派であったことが分かります。
月丹が遺した技と思想は、その後、さまざまな地域と系統へ伝播し、約350年を経た現在まで受け継がれています。
国際居合道連盟 鵬玉会では、塩川寶祥、新名玉宗を経て、塩川・新名伝 無外流居合兵道 第17代宗家・武田鵬玉へ受け継がれた伝承に基づき、無外流を指導しています。




