夢録13 特別対談 天然理心流 ×無外流 宗家対談 宮川清蔵勇武宗家 × 新名玉宗宗家(後編) 新選組以来150年目の邂逅 「武道について語り合いましょう」

夢録13 

特別対談 天然理心流 ×無外流 宗家対談 宮川清蔵勇武宗家 × 新名玉宗宗家(後編) 新選組以来150年目の邂逅 「武道について語り合いましょう」

第13回の夢録は、天然理心流と無外流の両流派宗家の特別対談 後編を、
前編中編に続き、お送りします。

かたや、幕末の京で一世を風靡した天然理心流九代目(新選組の近藤勇局長は四代目宗家)の宮川清藏勇武宗家。
かたや 新選組三番隊組長斉藤一が使ったと言われる無外流 関東最大の一門明思派を率いる新名玉宗宗家。

新選組が京にのぼった文久三年創業の日本橋の料亭から150年目の邂逅をお届けします!

内容が濃いため、前編中編に続き、後編としてお届けします。(インタビュー 武田鵬玉)

宮川清藏勇武先生
天然理心流九代目宗家にして、新選組局長近藤勇の生家宮川家の方として見れば、まぎれもないご遺族。夢録四にご紹介した宮川豊治智正さんはお兄様にあたられます。
天然理心流勇武館館長でいらっしゃいます。
NHK大河ドラマ「新選組!」にも出演され、近藤勇、土方歳三、沖田総司らが修めた天然理心流について解説していらっしゃいました。
新名玉宗先生
1948(昭和23)年10月2日大分県津久見市生まれ、
財団法人無外流、傘下15団体一門の長.。
関東最大、無外流明思派宗家
無外流居合兵道の修道者としては86年師範、96年免許皆伝。
98年範士、99年宗家継承(無外流明思派宗家の名乗りは2004年から)。
鵬玉会では最高顧問をお願いしています。

24)免許や免許皆伝の価値

武田鵬玉(以下武田) 今日は前々回、前回に続き、日本橋で文久三年から続く名店「とよだ」で天然理心流宮川清蔵勇武宗家、無外流明思派新名玉宗宗家をお迎えしています。

天然理心流 宮川清蔵勇武宗家(以下宮川宗家)  神社の宮司に居合、それも無外流が多いですね。大国魂神社の宮司さんもそうですね。

無外流明思派 新名玉宗宗家(以下新名宗家) 元禄の頃、あそこの方を養子にしたのが無外流の流祖辻月旦なんです。

宮川宗家 そうなんですか!?ご縁というのはつくづく不思議なものですね。しかし、無外流もいろいろ別れていらっしゃいますよね。

新名宗家 お恥ずかしい話です。

宮川宗家 天然理心流もそういう話はよくあります。ある程度やられて、ある程度の段位をとられたらご自分で〇〇会を名乗る、というのがよくあります。私はそういう場合には「それでは頑張ってください」という姿勢で向かうんです。こういうのは時代なんでしょうかねえ。

新名宗家 悲しい話ですよね。「免許や免許皆伝が簡単に手に入るとしたら、その価値やそんなものをもらうことも、そこに価値はあるのか?」と思います。

宮川宗家 そうですよね。

25)晩年の無外流中川士龍宗家

鵬玉の師の師、塩川寶祥先生。1925年-2014年

新名宗家 私の先生の塩川先生は、多くの武道を修められた方でした。その中でも空手がお忙しかった。これは塩川先生から直接聞いた話です。塩川先生は下関に住んでいらっしゃったんですが、無外流宗家の中川士龍先生が芦屋から下関にいつもいらっしゃるわけです。ところが塩川先生は空手で忙しかったから、「いつもいつも来られちゃ困るなあ」と。

宮川宗家 ほう。

新名宗家 そこで芦屋の近くに住んでいらした、ある先生に「相手をしてくれ」とおっしゃった。中川先生は今度はそちらに行かれるようになった。中川先生は昭和56年に亡くなられたんですが、54年に何人もの人に免許皆伝をあげられた。塩川先生の一番弟子の岩目地先生という、うまい方がいらっしゃいます。この方は昭和36年に免許を授与されています。でも、全剣連で「無外流に塩川あり」と言われたくらいに上手かった塩川先生や、その岩目地先生をさしおいて、免許皆伝を与えられた方がいるんです。

26) 天然理心流、宮川勇五郎宗家の撥雲館道場

無外流免許皆伝から継承の証まで

宮川宗家 そういうケースは理心流にもあります。撥雲館(はつうんかん)という道場は、近藤勇五郎(近藤勇の甥。宮川家から近藤勇の娘たまの婿になる形で養子に入り、天然理心流四代目宗家近藤勇の跡を継ぎ、五代目宗家となった)が建てた道場です。宮川家の裏山から木材を伐りだし、門人の大工が作ったんですが、食事を用意したり風呂を準備したり、身の回りの世話をしている門人がいました。それがいつの間にか免許皆伝だ、となったものですから他の門人から何やかやと言われるようになったそうです(笑)。

新名宗家 どこの団体でもあるんでしょうがねえ。

宮川宗家 古武道には多いですね。その中でも無外流は団体も大きく、有名であるがゆえに多くあるのかもしれませんね。

新名宗家 天然理心流にくらべれば、有名なんておこがましいです。今の時代、実力がないまま八段だ九段だ、はたまた十段だ、という肩書きだけ手にすることがまかり通っていますが、本来この世界は実力勝負ですからねえ。

宮川宗家 武田先生も、この宗家のお傍で稽古できるのはうらやましいですねえ。

武田 入門以来ご宗家にしごかれて幸せだな、と思います。

新名宗家 しかし、昔のような稽古をしたら大抵の会員はついて来ないでしょうねえ。

武田 武道の世界で大きな団体になれば、欲も出てくれば、損得で動く人もいるでしょう。それは人間の正直なところでしょうから、私は何も否定したくありません。でも、本来の武道というのは素晴らしいものです。日本人としてのアイデンティティを見つけられる武士道に最も近いものです。その魅力をこれから始めようかとご興味をもたれる方に伝えられるように頑張ろうと思います。それを継いでくれる次世代、子ども達が出てくれれば素晴らしいことです。

27)免許皆伝に書かれた〇の意味

宮川宗家 武道というのは心です。結局正しいものが残っていくような気がします。ときの勢いというのはあるでしょうが、鼻高々になってはいけません。

新名宗家 なるほど。終わりがあるわけではありませんからね。実は、無外流の免許皆伝をもらったときに、単に〇を書いて「さらに参ぜよ三十年」と書いてあったんです。この〇の意味がわからなかったんです。それがずっと私の課題でした。ところがもう12,3年前でしょうか。初めてその〇の意味がわかりました。「ああ、こういうことか」

宮川宗家 ほう!

新名宗家 そして、無外流には「万法帰一刀」という最後の形があります。最後の形ではありますが、動きとしてはなんのことはない、鯉口を外切りして、走っていって、直前の間合いでスパッと相手に向かって横一文字で斬り、相手に「自分より上だ」と思わせて戦意を喪失させるんです。相手が逃げていくのをじっと見る。私はこの格好、動きだけはできる。できはしましたが、今一つ技の根源がわからなかった。それがわかったのが一昨年の1月4日。「ああ、万法帰一刀」というのはこういうことか!」と納得しました。やはりずいぶん時間がかかる。だからと言ってできるわけではない。そこからがようやくスタートですよね。

宮川宗家 そうですよね。終わりがありません。

ボイジャー

新名宗家 私の居合が変わったのは、もう16年ほど前になりますかね、丸の内線四谷駅にポスターが一つ貼ってあったんで

宮川宗家 なんのポスターですか?

新名宗家 縦1mくらい,横1m20~30cmくらいありましたか、ボイジャーが撮った写真で、粟粒くらいの地球が真ん中にありました。それを見たときに、「ああ、こんなちっぽけな地球の中でごちゃごちゃやっているのか」と思いました。その後、自分の身長が10mだったら、100mだったら、いや1万mだったらどんな刀を振るだろうか。仮に足をパッと出したらその足がハワイまで伸びた、そういうことがあったとしたら刀はどこまで伸びるだろうか。技がどう、とかではなく、心の変化と言うんでしょうか。そのとき以来、居合が変わりました。

28)技は変わらない。気持ちが変わるのだ

宮川宗家 ふっ切れたんですかね。ひらめきは重要ですよね。技は変わらない、気持ちが変わるんでしょうね。

新名宗家 居合というものに対する意識が変わったように思います。「技は変わらない。気持ちが変わるのだ」まさしくそうですね。武田さんや鵬玉会の会員、一門の皆さんにわかってほしいのはそこです。

武田 頑張ります。

新名宗家 風呂から出て寝るまでに、意識の世界で遊ぶのが楽しみなんです。呼吸法は塩川先生からうるさく言われましたが、鼻から吸って口から出しますよね。そうして意識の中で刀が銀河を越えていかないか、なんて遊ぶんです(笑)。

宮川宗家 (笑)。呼吸法は武道にとって重要ですよね。

新名宗家 呼吸法と言えば、岩目地先生からも言われました。「新名さん、吸っているときに攻撃されたらどうしようもないぞ。だから息を吸っているところが絶対にわからないようにしなさい。」

宮川宗家 「自分が息を吐いているときに攻撃しろ」と私もうるさく言われました。「相手が吐ききって吸うときに斬れ」と・

新名宗家 そうですね。呼吸を止めるなんてことも言語道断です。我々の呼吸は武息です。普通の呼吸は凡息、マラソン選手なんかが息を整えるのが調息。我々は武息を身につけなければなりません。「息を止めてものを斬るんじゃないぞ」と。

武田 そこはどんな武道も同じなんですね。空手でも息を吸っている、からだが緩んでいるときに攻撃を受けると効きますよね。だから呼吸を意識していくんですよ、と指導しますが、呼吸を止めている人は多いし、見ていればわかりますよね。「あなた、今呼吸を止めていましたね!」と(笑)。

29) いい先生につくことが武道の世界を行く上では重要です

宮川宗家 武道というのは奥が深いですねえ。まだまだ目指さなければならない。

新名宗家
 宮川先生のような方にそうおっしゃられると大変ですね(笑)。みんなまだまだだ、ということになる(笑)。

宮川宗家 そういう意味でも、いい先生につくことがこの世界を行く上では重要です。武田先生もいい先生につきましたね。今日話をしてわかりましたが、新名先生は不思議な魅力をお持ちの方です。その魅力がきっとあれだけの一門の方がついてこられる根源なんだなあ、と感心しているところです。初めてお会いしましたが、この宗家なら年数をかけて学んでみたい、と思わせる方だなあ、と思います。

新名宗家 よしてください(笑)。宮川先生のような先輩にそう言われると恥ずかしく思います。宮川先生は柔軟な方で頭が下がります。考えてみれば、私もいい先生方について幸運だったなあ、と思います。今でも岩目地先生には電話して聞いたりします。「聞ける」というのもありがたい。一緒に考えてもくれますし、わからなければポンと答を出してくれる。

武田 昨年来、宮川先生のお話をお伺いする機会も多く、先生のお弟子さん達は幸せだなあ、と思います。私たちの新名宗家も同じで、こういう求め続ける謙虚な姿勢こそが、武道家として素晴らしく感じます。今日できないとしてもがんばろう、と思えます。

30)脈々と続いてきたもの

新名宗家 脈々と続いているんだよ。私を指導してくれた塩川先生は「おい、ここは俺の道場だから自由に使え」と言ってくれる。夜10時くらいまで指導を受けたあと、そのまま道場で一人稽古をする。先生は「俺はもう上に上がるからな」と階段をのぼっていく。しばらく稽古をしていると、ビール瓶を片手に降りてきてこう言うんです。「新名、足が違うぞ」

武田 え?見ていないんですよね?

新名宗家 音を上から聞いていて、「違う」と気づいたんだろうね。びっくりしたよ。

宮川宗家 空気の流れというのがあります。昔は真っ暗闇です。その中で空気の流れが変わる。殺気なんかはすぐに感じたでしょうね。武道を稽古していくと、それを意識するようになります。

新名宗家 そうでしょうねえ。

宮川宗家 今の方々はその点無防備です。後ろから近づいてくる人にでさえ気づかずぶつかってしまう。おそらく昔はそんな武士はいなかったでしょう。

新名宗家 そういう意味では自転車に乗っていても稽古はできますよね。後ろから自転車に追い抜かれる。そんなとき、もし後ろから来る自転車に気づいていなかったら、「あ、自分は昔なら殺されていた」と思います。そう意識するだけでも随分違うはずです。まだまだ駄目だなあ、と何度も思います。

武田 新選組の当時だったら、毎日毎日が「今日も生き残った、よかった」という連続でしょうね。

新名宗家 本当にそうだよね。武道の稽古はただ道場で刀を振っているだけじゃないんだよね。

武田 今から武道を学ぼうか、自分にもできるだろうか、と興味をお持ちの方も多いと思います。何もやったことがない、という人でも、古の剣豪に近づける可能性はあるものでしょうか。それを両ご宗家にお聞きしたく思います。

31)「目指してみたい」と思うこと

宮川宗家 あるんじゃないんでしょうか。問題意識を持つことが重要だと思います。目指してみたい、という意識を持つことだと思います。足の親指の爪がその間合いに入るかどうか、たとえて言えば刃境を超える超えないというようなことを考えるかどうか。そういうことを言えるかどうかだと思います。新名先生はいかがでしょう。

新名宗家 その通りだと思います。そういう意識がなければ、ただのサークル活動になってしまいますからね。「右足が出るときは死ぬか生きるか二つに一つだぞ!今命を守る刃境を越えたぞ!」という稽古をさせてくれるかどうか。そういうことが重要じゃないでしょうか。

32)斬るか斬られるかの差

甲州勝沼線での新選組近藤勇局長を描いた錦絵

宮川宗家 斬るか斬られるかの差はどこでしょうかね。

新名宗家 相手との間合いをしっかり読み、相手より刀が早いか、どうかじゃないんでしょうか。宮本武蔵は一寸の間合いを読み切れたと言いますが、それは難しいところです。塩川先生は「わしは一寸は無理だ。わしはようやく5センチだ」とおっしゃっていました。

宮川宗家 理心流の宗家は「間合いと気合だ」 と言っているんです。「間合いと気合なくして勝ちに至らず」と。ですから、刃境、言わば間合いというのは非常に的確な言葉です。生きるか死ぬかの境目、刀は当たれば終わりですからね。

新名宗家 気合だ、というのは相手を飲み込むということだと思いますね。

宮川宗家 相手を飲み込み、自分の間合いで斬る、というのは真理ですね。流祖の言葉を理解するのに大事な言葉だと思います。

33)新選組近藤勇局長の気合

新名宗家 宮川先生のご先祖、池田屋事件のときの近藤勇の気合は凄かったんでしょう。たった数人で池田屋にいた20数人に勝つわけですから。気合、気魂無ければ飲み込まれますよ。

宮川宗家 「気合」という言葉は簡単ですが、意味は簡単ではありませんね。

新名宗家 居合は「後の先」、相手の先を誘ってそれを利用して勝つ。

新名宗家に稽古をつけていただく鵬玉。


宮川宗家 相手の殺気を利用するんですね。

新名宗家 居合で間違えやすいのはそこです。一人で形をやっているとわからない。組太刀、剣術をやらなければ、本当に相手の動きなんてわかりませんね。

宮川宗家 武田先生は新名宗家と道場では?

武田 いつも一緒です(笑)。私がいるときには大抵様子をご覧に来られます。黙ってみてらっしゃって、後で指導を受けます。月に2回は二人だけで指導を受けています。

宮川宗家 それは幸せなことですね。

宮川宗家 武道を学ぶということには終着駅がないですね。古い文書を読むと、今の剣道の常識なら違和感を覚えるようなことが書いてあったりします。「平正眼から左小手」?右小手しか認められない、というのはあくまでルールの上での話ですから、考えてしまうわけです。

34)本来、剣は「殺し合い」だった

新名宗家 要するに「殺し合い」だったはずで、「なんでもあり」の世界ですからね。死んだものが「そんな手を使うなんて」と言っても、知ったこっちゃない。

宮川宗家 そうですよね。だからスネも狙えば、肩口も狙う。「殺し合い」、「なんでもあり」と聞けば非常に腑に落ちます。

新名宗家 だから、それぞれの形が独立しているわけではないんだということです。無外流の形が20本あるとしたら、20本まとめて一本なんです。

宮川宗家 確かに。生きた形なればこそ、その場そのとき、その相手によって刻々と変化するわけですからね。

新名宗家 形の形たるところにとらわれてはいけないということです。

宮川宗家 いわば無限ですね。理心流も表木刀5本すべてで実は一本だと考えれば、生きた形になり、無限になりますね。派生していろいろな動きも出てくる。確かに基本的には「殺し合い」ですからね。

35)縦横無尽に使えるからこそ神の技

新名宗家 相手がどう動くかわからないからですね。

宮川宗家 表木刀5本からスタートだということですね。流祖が「神の技だ」と言いましたが、縦横無尽に使えるからこそ神の技なんですね。今日気づきました。一つ一つが神の技だということではないんでしょうね。だから京で近藤勇や井上源三郎が活躍できたんでしょうね。

新名宗家 そうでしょうね。

宮川宗家 5本で終わっているわけではなく、実は5本からスタートするんでしょうね。形の稽古で終わったらいけないんでしょうね。

新名宗家 固まった形では動きはありませんし、応用はきかないので動きがないでしょうしね。死んだ形になってしまえば、間違いなく自分は死ぬでしょうね。

宮川宗家 そうですよね。そこからスタートです。動きを覚えれば終わりというわけではないんです。そこから始まるんですから。

新名宗家 殺し合いなんですから。

宮川宗家 殺し合いなんですからね。納得しました。もう一晩中お話してもいいくらいに楽しく思います。

新名宗家 こちらこそ貴重なお話の数々ありがとうございました。

(左から)対談を行った日本橋とよだの当代で、吹毛会橋本会長、武田鵬玉、宮川宗家、新名宗家。

鵬玉独白

坂本龍馬が西郷隆盛との会談の後、勝海舟からその印象を聞かれたときの言葉は有名です。「大きくたたけば大きく響き、小さくたたけば小さく響く」

人の引き出しから言葉を引き出すためには、引き出せる力が必要です。私はこの「夢録」で当代の一流の方たちの言葉を引き出し、そこから武道や武士道の核をつかもうと思います。
しかし、今回の対談は、対談でなければ出てこない言葉や話がたくさんありました。天然理心流と無外流。道を究めたお二人のぶつかりあいだからこそ打っては響き、響いた音にまた響いたに違いありません。
だからこそこんなに楽しそうなご様子だったのでしょう。
どんなところまで行っても「まだまだだなあ」と思われるお二人の姿勢を学び、素晴らしい武道の道を行きましょう。
新選組を率いた近藤勇、土方歳三を初めとする天然理心流、三番隊組長であり、居合であったがために武田観柳斎、谷三十郎などの暗殺の現場にいたという無外流斉藤一。
そんな新選組150周年を記念するかのような二つの流派を現代に継ぐお二人の宗家の対談は歴史を背負ってロマンティックでもありました。