夢録08 天然理心流 勇武館副会長 井上雅雄先生(後編)

夢録08 

新選組六番隊組長 井上源三郎 五代目子孫 井上雅雄先生

第7回の夢録は、第5回6回の夢録「天然理心流 宮川清蔵勇武宗家」
の勇武館副会長 井上雅雄先生のインタビュー。
井上先生はなんと、幕末の京で一世を風靡した新選組六番隊 井上源三郎組長のご子孫なのです。

かつて作家浅田次郎先生も審査員をし、NHK大河ドラマ「新選組!」のキャストもゲスト出演した、ひの新選組まつり。

その2009年の回のこと。
この夢録でインタビュアーをしている私、武田鵬玉は近藤勇役を拝命いたしました。
全国から集まったファン300人を率いて歩いたときには、近藤勇の興奮というものを感じたように思いました。

以来演武でもご一緒し、天然理心流宗家の宮川清藏勇武先生とはありがたいご縁ができました。
その宮川先生の勇武館副会長でいらっしゃる井上雅雄先生にインタビュー。
先生は、NHK大河ドラマ「新選組!」では「源さん、源さん」と呼ばれていた新選組六番隊組長 井上源三郎の五代目のご子孫。
近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎の天然理心流と、斉藤一の無外流は新選組以来ご縁が深い流派。
そういう意味では、この夢録でご紹介するのに、ふさわしい方のお一人でいらっしゃるのではないかと思います。

内容が濃いため、今月と来月の二回に分け、前編後編でお届けします。(インタビュー 武田鵬玉)  

※ 本インタビューの記載事項は当時のままです。

井上雅雄先生
天然理心流九代目宗家宮川先生とともに、勇武館でご指導される勇武館副会長。そして新選組六番隊組長 井上源三郎の五代目子孫でいらっしゃることから、井上源三郎資料館の館長をしていらっしゃいます。

10) 文久三年、松五郎が京都につくと、新選組のメンバーが悩み相談を持ってきた

井上雅雄先生(以下井上先生) (NHK大河ドラマ「新選組!」などのドラマのイメージ 第七回を参照)まあ、こういった話も井上源三郎についての間違ったイメージというわけじゃないんでしょうがね。ちゃんとしたイメージが伝わっていれば、これから話す話もわかりやすいと思います。

武田鵬玉(以下武田) どこかで六番隊組長井上源三郎さんのイメージができたんでしょうね。

井上先生 昔新選組隊士だったひとりの人が「源三郎は文武劣等」と書いたため、そのイメージが強かったのではないでしょうか。今は源三郎の天然理心流の免許や書状などを資料館に展示しておりますので、ご覧になった方々には納得していただいています。

武田 そうですね。では、前回教えていただいた、新選組ドラマのどこにも出てこない話を教えてください。

井上先生 ええ。ではいよいよ新選組草創期のメンバーが京都にのぼった。その時期の話をしましょう。これは武田さんも驚くと思いますよ。この松五郎の手紙を見てください。文久三年、将軍家茂が上洛するので、八王子千人同心が命じられて三八八名お供について上っているんです。将軍直属ですね。

武田 これはまた誇らしかったでしょうね。

井上先生 松五郎が京都につくと、新選組のメンバーが悩み相談を持ってきた、ということがこの手紙には書いてあります。

武田 若い連中の悩みを聞いてやる大叔父さんですね。

井上先生 四月十六日には土方歳三と沖田総司が松五郎を迎えに行った。でもいなかったので置手紙をしてきた。「相談がある」というわけです。

武田 なんの相談だったんでしょう。

井上先生 問題はそこです。そこで十七日早朝に壬生まで行った、と書いてます。そして、土方、沖田、源三郎の悩みを聞いて「万事承った」と言ったと書いています。そこまでの内容と、次の文章の間に一行空いているのがわかりますか?

武田 はい。空白がありますね。

井上先生 ここに書かれた内容は差し障りがある可能性がある。もし何かあったら破いて捨てていいよ、ということで破けるように空白があるわけです。

武田 ちょっとまずい話だったのかもしれないんですね?なんだか井上先生から危険な話を聞かされているような気がしてきました。

11) 京に上った井上松五郎に相談に来たのは、土方、沖田、井上の三名

御上洛御帰館提供諸用日記(井上松五郎) 文久3(1863)年3月21日~5月12日

井上先生 わかりますか?その次の行に書いてあるのは「何分近藤天狗になりて」。その先にも空白が開いているんです。そして「門人一同腹をたて」と書いてありますよね。

武田 門人一同腹をたてている、というのはそもそも穏やかではありませんね。近藤勇が天狗になってしまった、というのは芹沢鴨の線から考えると、水戸の天狗党になったとか、その影響を受けているということでしょうか、それとも文字通り天狗になっている、ということでしょうか。

井上先生 その通りです。近藤勇は京都守護職松平容保公に呼ばれて「天然理心流を見せろ」と言われているんですが、土方歳三と藤堂平助等にやらせている。容保公は非常に褒めたそうです。天狗になったのかもしれません。

武田 なるほど。

井上先生 ところが左に「水会」と書いてあります。この「水」は水戸であり、天狗党です。「会」は会津を現している。何分、自分一人で決められることではない。水戸を代表するのは新選組では芹沢鴨です。その芹沢は京でこの直前にトラブルを起こしている。土方、沖田、井上は近藤に文句を言う。

武田 同門の気安さもあったでしょうしね。

井上先生 ところが近藤は芹沢をかばう。浪士組のときから近藤は芹沢に傾いているんです。だから天狗になっていると考えるわけです。そこで土方、沖田、井上三名で松五郎に相談をする。

武田 それも、いつでも破いて捨てなければならないような危険なことを相談したということでしょうか。

井上先生 武田さんはどう思います?

12)五か月後、芹沢鴨粛清

武田 本当に聞いてはいけない話を聞き、見てはいけない文書を見てしまったような気がします。芹沢鴨暗殺はもう少し先ですよね?

井上先生 ここからわずか五か月後です。

武田 むむう!

井上先生 暗殺を実行したのは土方、沖田、井上、山南です。他の人を使えば情報を漏らす恐れもあったでしょう。そして近藤勇はそこにいなかった。なぜか?

武田 それを物語るのはこの手紙だというわけですよね。これはどの小説にもドラマにも描かれていない裏側ですね。何か危険な真実があったのかもしれませんね。

井上先生 そうですね。そんな危険なドラマがこの手紙の裏に見えてきそうです。

武田 これは本当に貴重な資料ですね。しかし、これを理解するためには、そもそも松五郎さん、源三郎さんのことを知る必要がありますね。

13)その後の新選組

晩年の井上泰助

井上先生 そうですね。井上家からはまだこの後の新選組に参加する人間が出ています.。それは井上泰助とNHK「新選組!」で捨助のモデルになった松本捨助です。この両名は新選組二次募集から行っているんです。

武田 NHK大河ドラマ「新選組!」で、中村獅童さんが演じていらっしゃった軽妙な役どころですね。

井上先生 泰助は十一歳で新選組に入り、近藤勇の刀持ちを勤めています。近藤勇が馬上で肩を撃たれてからは、源三郎と一緒に六番隊に入っているんです。泰助が十二歳のときに鳥羽伏見の戦いが起こる。

武田 十二歳ですか?!

井上先生 その戦いで一月四日に戦死した源三郎の首と刀を持って日野まで帰ろうとしました。

武田 年だけ考えたら凄い子どもですね!

井上先生 本当にねえ。当時の子どもの精神は凄い。しかし、状況が持って帰れるようなものじゃなかったそうです。そこで近所のお寺の門前に穴を掘って埋めたと言います。

武田 それも凄いですね。十二歳なんですからね。

井上先生 ええ。さて、これが土方歳三の手紙、佐藤彦五郎の手紙です。なぜ新選組は負けたんだ、っていうことに答えているんですね。源三郎のお兄さん松五郎に送った手紙です。元込め銃だから、弾が飛ぶ距離が違うし、当たる確率が違う、と書かれています。鳥羽伏見では大砲と銃の戦いに変わっていたんでしょうね。

武田 しかし、この写真見ると、やはり修羅場をくぐったようなお顔をされていますね。

井上先生 面構えとでも言うんですかねえ。本当に。さて、新選組関係者についての後日談をお話しましょう。この写真を見てください。近藤勇の生家、宮川家の家です。

14)その後の近藤勇生家

武田 史跡として残してほしかったですね。

井上先生 今では残っていません。近藤勇の祖父(宮川源次郎)は、新田開発に参加し、地元でも有数の豪農となったのですが、近藤勇は板橋の刑場で処刑され、京の三条河原にさらし首になりました。結果、「罪人である」という意識を代々宮川家はもったんですね。その後、戦争が始まるときに「調布に飛行場を作るから土地を寄付しろ」と軍がやってきたそうです。

武田 寄付したんですか?

井上先生 ええ。それは宮川家の今のご当主宮川豊治さんが十六歳の頃のことだそうです。そこで2,120坪、7km×7kmの土地を寄付したんだそうです。

武田 7km×7km!とてつもない広さですね!

井上先生 近藤勇の生家だけはなんとか残せないか、と頼んだそうですが、「飛行機が着陸する際にこの家があると邪魔だ。壊せ」とい命令を持ってきたそうです。

武田 むむう。

井上先生 宮川家としては、「勇が国に迷惑をかけた、申し訳ない」と思ったようで、だから国に寄付したんでしょう。ところがまだ収まりません。

武田 また何かあったんですか?

井上先生 新宿から京王線に乗り、八王子に向かう途中に聖蹟桜ヶ丘という駅があります。そこに宮川家は山を持っていたそうです。また同じ人が来て「この山に天皇陛下の記念館を造ることに決まったので、山を寄付しろ」ということだったそうです。

武田 近藤勇の生家ということで、目をつけられていたということでしょうか。

井上先生 そうでしょうね。そこに旧多摩聖蹟記念館が作られたんです。普通そんな寄付ならどこかに「宮川家贈」とか書くでしょうが、どこにもそんな文字はありません。賊軍だ、という扱いが続いたんですかね?

15)井上先生と天然理心流

天然理心流九代目宗家、近藤勇の生家宮川家の宮川清三勇武先生と

武田 皆さんご苦労なさったんですね。では井上先生のお話をお聞かせください。そんな凄かった井上松五郎さん、源三郎さんをご先祖として意識されることも大きいと思いますが、先生が天然理心流と出会われたきっかけを教えていただけますか?

井上先生 宮川先生がうちに来られたんですよ。

武田 えー!近藤勇のご遺族が、井上源三郎のご遺族にお誘いをされたんですね?

井上先生 はい。「日野で天然理心流を教えたい」という志をお受けして、最初は四人くらいでスタートしました。

武田 ほんの小さなところからスタートしたんですね。

井上先生 ええ。私は十歳くらいから剣道をやっていたんです。

武田 井上源三郎さんのご子孫であるという意識はおありだったんでしょうか。

井上先生 私が剣道の試合に出るときに、いつも剣道の先生だった日野八坂神社の第三代目宮司 土淵英夫先生が「源三郎、がんばれよ!」とおっしゃるわけです。段々わかってきて、意識しだすとプレッシャーになりました。(笑)

武田 宮司さんはおくわしかったんですね。

井上先生 よくお調べになった方でした。一番最初に新選組の研究をされた方だと思います。

16)天然理心流の指導の上で

武田 新選組の井上源三郎のご子孫である、という意識は、今も稽古の指導の際にもおありですか?

井上先生 源三郎のように素晴らしい人間、そして指導者になりたいと思います。目指すことが重要じゃないでしょうか。

武田 私は井上源三郎さんのイメージがガラリと変わりました。

井上先生 そうなっていただければ、今回お話できたことも意味深いと思いますよ。

武田 私たちは、実際に刀を扱う武道を稽古しているわけです。他の武道とくらべても、侍を意識することは大きいかと思います。そういう側面ではおなじ「武道」でも他とはちょっと違います。

井上先生 そうですね。

武田 よく言われる、刀を扱う武道は、そういう意味では武道を志す人が最後にいきつく最終武道であろうかと思います。そんな武道を追及されるからこそ、技の中、所作とかの中に当時の新選組を理解するものとかありますか?

井上先生 武道は素晴らしいものだと思いますが、難しく考えずに柔軟にやっていいんじゃないかな、と思います。おそらく昔もそうだったんじゃないかな。だって人の持つ心の強さ弱さはそう変わりがないように思います。そんな事例が三代宗家の近藤周助さんと九代宗家の宮川宗家です。

武田 というのは?

井上先生 近藤周助さんは、勝った人をもちろん褒める、でも負けた人も褒めたんだそうです。どんな人でもめげることはありますからね。でもちょっとでもよかったところを褒めてもらえると元気も出ます。近藤周助さんは「よくやった、あそこはよかった」と褒めたんでしょうか。

武田 なるほど。負けても次に頑張れそうですね。

井上先生 実は宮川宗家もそうなんです。その姿勢だからこそ、厳しい指導もすんなり受け入れられるんでしょう。

17) 弱さを知ってどう乗り越えるか、それが修行

武田 私は稽古を見学させていただいて、凛とした雰囲気だと思いました。その一方、宮川先生、井上先生ともに表情がお優しく、親身に指導されているのが印象的でした。そうですね。昔の人だって、鬼のように鋼の心を持っていたわけじゃないでしょうしね。

井上先生 その弱さを知ってどう乗り越えるか、それが修行ですね。武道はそのために最高のものだと思います。

武田 天然理心流と剣道は違いますか?

井上先生
 足の運びから違いますよね。古武道と近代剣道はやはり違います。

武田 ではもう少し核心に迫らせてください。武道を現代においてやる意味は何でしょう。

井上先生 やはり武士道じゃないでしょうか。今の社会だからこそ必要なものだと思います。礼だって、そのうちの一つです。

武田 井上先生の考えられる武士道とは一言で言うと何でしょう。

井上先生 人間育成への道、神に向かい礼から始まり神により近づく道だと思います。

18) 武士道は人間育成への道

井上先生 武士道は元々の日本人の心の中にはあると思うんです。

武田 なるほど

井上先生 例えば土方歳三という人は武士道を追及した人です。であるなら、今流行のドラマや小説のように、近藤勇に対して「お前、そうじゃねえだろ」なんて口のきき方はしてないと思います。恩師であり、兄でもあるわけですから。そう説明すれば、日本人は「それもそうだな」と思うわけです。これが武士道を元々日本人が持っていると思う所以です。

武田 なるほど。

井上先生 武士道を曲げていくものが最近多いので、少なくとも私たち武道に携わるものがそうならないようにしていくべきですよね。

20) 武道の素晴らしいところ

武田 ありがとうございました。これから武道を学ぶ人のために何かメッセージをいただけますか?

井上先生 武士道精神というものを意識するだけで自然と背筋が伸びると思います。そこが武道の素晴らしいところです。ですから武道の入り口は「礼法」、「服装」。そう考えるだけでも社会生活に役立つことがわかります。

武田 なるほど。

井上先生 教えていただいた方に受けた恩を意識していきましょう。そこが無ければ武士道に裏打ちされた武道ではありません。自分がある程度できるようになると、「もう自分は強いんだ」と思ってそこから分裂したがる人が多いですね。でも私はそれはいかがなものかと思います。

武田 武道団体には多いですね。10人いれば10人言いたいことはあるのかもしれませんが、言わば天に届くメッセージがなければ、人の心にも届かないような気がします。宮川先生、井上先生は実際にご遺族ご子孫であるわけです。そんな幕末の新選組以来血族だからこそ考え続けて来られた言葉があって、重みを持って伝わってくるような気がします。

井上先生 宮川宗家は古文書の解読も一所懸命やってこられました。その文書を通して天から降りてくるものもあるのかもしれませんね。自分の狭い心だけでいろいろ考えても限界がありますよ。

武田 私も心がけて、自分の感情だけで走らないようにします。

井上先生 最後まで徳川様のために戦い抜いた井上源三郎は、甲州武田の血を受け継ぎ、武士道精神を貫いた多摩最強の剣士だったと言えると思います。

武田 新選組副長助勤六番隊組長 井上源三郎様の血を受け継いでいる責任もおありなのですね。今後ともよろしくお願いいたします。

井上先生 今後もご一緒に武士道精神を貫きましょう。私たちの使命としてね。

鵬玉独白

古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ
前編に続いて、井上源三郎ご子孫の井上雅雄先生の後編をお届けしました。
井上源三郎という歴史の中に埋もれた事績をお届けした今回はいかがだったでしょうか。
残された手紙を見ると、胸が躍りますね。
その当時を生きた人たちの気持ちの一端を感じながら居合を修めていきたいと思います。

まだ出会っていないあなたとも、一緒に居合の向こうを見る機会を持てることを祈って。