塩川宗家から受け継ぎ、
武田鵬玉へ託した先代宗家
新名玉宗(にいなぎょくそう)豊明先代宗家は、塩川寶祥(しおかわほうしょう)照成宗家の直弟子として無外流を学び、免許皆伝を受けた武道家です。
1999年、塩川宗家から宗家を継承。2004年には、自らの一派として「無外流明思派」を立てました。また、無外流を国内外へ広く普及させ、国内最大級の組織へ成長させました。
武田鵬玉は、2006年から約20年にわたり、新名宗家の直接指導を受けました。居合形、内伝・奥伝、約束組太刀、試し斬り、流祖・辻月丹資茂の思想、そして公にすることのできない口伝に至るまで、その教えを受け継いでいます。
2026年7月4日、新名宗家は横浜武道館において武田鵬玉へ免許皆伝を直接授与し、別途「宗家」を名乗ることを許しました。翌日には「お前は宗家を継承したんだから」と明言し、塩川宗家から新名宗家へ伝えられた無外流を次代へ託しました。
塩川・新名伝 無外流。その「新名伝」を築き、次代へ手渡した人物です。
修行時代
新名玉宗、本名・新名豊明。1948年(昭和23年)10月2日、大分県津久見市に生まれました。
若い頃から合気道をはじめとする各種武術を学び、20代で神道夢想流杖道と無外流居合兵道の師に出会います。無外流では、第15代宗家塩川寶祥照成先生に師事しました。
三菱重工業株式会社に勤務するかたわら、全三菱合気道同好会で武道の研鑽を重ね、1986年には同会の杖道・居合道指導者に就任。翌1987年、39歳で東京都杖道連盟を創設し、杖道と居合道の一般への普及に着手しました。
武道を一部の熟練者だけのものにせず、広く社会へ伝える。のちに無外流を国内最大級へ成長させる新名宗家の歩みは、ここから始まりました。

無外流を国内最大級の組織へ
1994年、東京都杖道連盟で居合を修める門人を中心に、武道教授団体「吹毛会(すいもうかい)」を設立。その後、関東居合道連盟をはじめとする15団体へ発展させ、無外流の普及基盤を全国へ広げました。
2007年にはNPO法人無外流を設立。翌2008年には財団法人無外流を設立し、代表理事に就任しました。道場、指導者、段位制度、全国組織を整備し、無外流を国内最大級の組織へと成長させました。
また、右手に障がいのある人も居合や組太刀を修められるよう「玉心真刀流(ぎょくしんしんとうりゅう)」を編み出すなど、身体的な条件にかかわらず武道を学べる道も拓きました。
一人の達人として技を残すだけでなく、人を育て、道場を広げ、流派を支える組織を築く。新名宗家が無外流に残した大きな功績の一つです。
2012年7月、財団法人無外流の代表理事を退任しました。
宗家継承と無外流明思派
新名玉宗は、無外流居合兵道において1986年に師範、1996年に免許皆伝、1998年に範士となり、1999年、師である塩川寶祥照成宗家から宗家を継承しました。
その後、2004年に自らの一派として「無外流明思派」を立て、無外流明思派宗家を名乗りました。
そのため、本サイトでは新名玉宗を「無外流第16代宗家」とは表記せず、本人が用いた称号に基づき、無外流明思派宗家・新名玉宗と表記しています。
また、玄黄二刀流宗家、東征流短杖護身術宗家、玉心真刀流宗家を務めたほか、神道夢想流杖道、内田流短杖術、一心流鎖鎌術、一角流十手術、中和流短剣術においても免許皆伝範士八段を修めました。
一つの流儀だけにとどまらず、複数の武術を深く修めた経験は、新名宗家の無外流における技術体系と指導にも大きな影響を与えています。
明思派と塩川・新名伝 無外流の違いについて、くわしくはこちらから>>>
武田鵬玉への約20年の直接指導
武田鵬玉(当時・武田祐次)は2005年に無外流へ入門。翌2006年、新名玉宗宗家のもとへ呼ばれ、直接指導を受け始めました。宗家継承後の現在も、新名宗家は武田鵬玉の稽古を見守り、指導を続けています。
当時、武田は極真空手をはじめ、すでに約30年の武道歴を持っていました。その武田に対し、新名宗家は初期には毎週、その後も月々の宗家稽古を通じ、約20年にわたって無外流を直接指導しました。
居合形20本、内伝・奥伝8本、約束組太刀98本、試し斬りをはじめ、流祖・辻月丹資茂の思想、無外流の偈、免許皆伝の巻物に記された教え、そして公にすることのできない口伝に至るまで、その指導は技法と思想の両面に及びました。
それは、形の順序や外見だけを伝える稽古ではありませんでした。なぜこの間合いなのか。なぜこの位置へ身体を運ぶのか。形に残された動きは、実際の斬り合いでは何を意味するのか。新名宗家は、武田鵬玉に「斬れる居合」としての無外流を伝えました。
2010年、武号「鵬玉」を授ける
2010年、新名玉宗宗家は、それまで本名の「武田祐次」で活動していた武田に、「鵬玉(ほうぎょく)」という武号を授けました。
新名宗家は日頃、
「俺は武号を考えない。本人が考えてきたものを認めるだけだ」と語っていました。ところが武田に対しては、新名宗家の方から、
「『鵬玉』はどうだ?」
と提案しました。
「鵬玉」は、新名宗家にとって、師・塩川寶祥照成宗家との思い出を宿す「寶玉会(ほうぎょくかい)」の「寶玉」と同じ音を持ちます。
また武田にとっては、敬愛する新選組副長・土方歳三の雅号「豊玉(ほうぎょく)」とも同じ響きでした。
武田は武号をいただける、というとき、新名宗家の武号「玉宗」から、
「ご宗家の一字である『玉』をいただきたい」
と願っていました。授けられた「鵬玉」では、その「玉」が下に置かれていました。師の一字が下に置かれることは、長男、すなわち後継ぎを示す置き方です。それまでそんな弟子が新名宗家の直弟子にいなかったことから、武田は驚いたことを今も鮮明に覚えています。
2026年の宗家継承より16年前。新名宗家から与えられた「鵬玉」という武号には、塩川宗家から新名宗家へ、そして次代へとつながる意味が、すでに込められていました。
2026年7月4日、免許皆伝と第17代宗家継承
2026年7月4日、横浜武道館。新名玉宗宗家は、約20年にわたって直接指導してきた武田鵬玉へ、無外流居合兵道の免許皆伝を授与しました。
三宝に載せられた免許皆伝の巻物は、新名宗家の手から武田鵬玉へ直接手渡されました。「宗家の名乗り」を許され、「今後は宗家を名乗れ」と席を譲られた武田鵬玉は、塩川宗家から新名宗家へと伝えられた無外流を継承する決意を公にしました。
その後、新名宗家は武田鵬玉に、
「お前は宗家を継承したんだから」と明言しました。
武田鵬玉は、
「今後、国内外に、塩川・新名伝の無外流宗家を継承したと公に名乗ってがんばります」
と答えました。
こうして、流祖・辻月丹資茂から受け継がれてきた無外流の師弟伝承は、塩川寶祥照成宗家、新名玉宗豊明宗家を経て、武田鵬玉へ託されました。
武田鵬玉が継承したのは、「無外流明思派」という派名や団体ではありません。
新名宗家から授けられた免許皆伝、流祖以来の師弟伝承、そして宗家です。
正式称号は、流祖辻月丹から塩川宗家、新名宗家を経た系譜の無外流の17代目として、
塩川・新名伝 無外流居合兵道 第17代宗家 武田鵬玉
です。
塩川宗家から受け継いだ無外流を国内外へ広く伝え、武田鵬玉を約20年間直接指導し、次代へ手渡した新名玉宗。
その功績と教えは、塩川・新名伝 無外流と国際居合道連盟鵬玉会の中で、これからも受け継がれていきます。
関連リンク


