夢録20 新選組三番隊隊長 斎藤一 直系ご子孫 藤田さん (後編) 生き残る強運 武士の心構え

夢録20 

新選組三番隊隊長 斎藤一 直系ご子孫 
藤田さん (後編)
生き残る強運 武士の心構え

■後に新選組の幹部となる若者たちがその道場に集っていました。市ヶ谷にあったという試衛館。その近く、神楽坂にあるのが牛込総鎮守の赤城神社。きっと青春時代の近藤勇、土方歳三、沖田総司。永倉新八、斎藤一が足を運んだに違いありません。新選組が戊辰戦争の際に下総流山まで流れたとき、そこにあった神社も同じ流れをくむその名前も同じ「赤城神社」でした。青春のころを思い出し、懐かしく思ったかもしれません。

■2017年6月25日、近藤勇ご遺族であり、天然理心流9代目宗家の宮川清蔵勇武先生をいただく勇武館と無外流居合鵬玉会はこの赤城神社で演武をしました。朝からの雨が、演武が始まった瞬間にやんだのも「ちゃんとあなたたちを応援してくださっているのだと思いました。」(赤城神社宮司)

■その試衛館に参加した斎藤一のご子孫の夢録後編です。どのような方もそのご家庭の風土の中でお育ちになられ、その考え方や行動、判断の仕方はその風土の影響の中にあるはず。その風土を作ったのはお父さまお母さま。そのお父さまもさらにお父さまがいらっしゃるわけで、今のご子孫のお人柄を通してみれば、ご先祖のご様子、たたずまいも想像できそうです。

■今回お話した中で、問題がなさそうな部分のみを抜粋してご紹介しようと思ったのは、そういう些細な話の奥に、ひいお爺様である新選組三番隊隊長であった斎藤一さんのお姿が見えるような気がするからです。

■ただし、ご子孫は表に出られることをあまりお好みにならない方なので、あくまで「藤田さん」としてご紹介したく思います。

(インタビュー 武田鵬玉)

藤田さん
新選組三番隊隊長直系のご子孫とついにお会いすることになりました。
表に出られない方なので、「藤田さん」とだけお伝えしますが、そのお話はぜひご紹介したい内容でした。

10)居合の中でも無外流を選んだ

武田 私は武道歴だけは長くて、中学時代に極真空手の門をたたきました。福岡の大会で優勝したこともあります。

藤田さん なぜそこから居合を?

武田 東京に出てきたときに、最初は仕事関係で誰かが武道としての居合をしなければならなくなりました。いろんな流派を先入観なしに見に行ったんです。

藤田さん そうなんですか。

武田 無外流を見たときに「あ、基本を丁寧にしている」と思いました。あとあと極真空手の創始者故大山倍達総裁が「いろいろ居合を見たが、無外流が最も実戦的に見える」とおっしゃったことがあるのを知ったときに「俺の目は間違ってなかった」と思いました。(笑)

藤田さん ほう。

武田 実は無外流と新選組斎藤一さんの関係を知ったのもその後なんです。「燃えよ剣」以来のファンだったので嬉しかったし、稽古を重ねるにつけ、「こんな気持ちで刀を扱っていたのか、所作をしていたのか」と感じることも多くて。

藤田さん 感じますか?

武田 浅田次郎先生の作品「輪違屋糸里」の中で、神道無念流、剣術では最強の永倉新八と斎藤一が土蔵で向き合って動けなくなる描写があります。斎藤一は居合なので、座っているが、相手が動いた瞬間に抜刀できる。そこで動けなくなる、というシーンです。こういう居合の描写と私たちの稽古するものがダブって感じられてたまらないなあ、と思います。

11)抜刀する

藤田さん 抜刀するというのは難しいですか?

武田 形(かた)の上では二の太刀がありますが、本当は居合は初太刀で勝負を決する剣です。「居合の本義は抜刀の一瞬にあり」と言います。それを前提に考えると、相手もこちらも抜刀できるかどうか、というのは難しいように思います。相手が抜刀すると思った瞬間にはそれをさせまいと対応するわけです。

藤田さん なるほど。

武田 そういう技は宗家からちゃんと稽古させられています。新選組では入隊後「覚えている形は、一つだけにしてそれだけ稽古しろ」と言われたそうですね。私なら、「抜刀させない」形だけ熱心に稽古すると思います。(笑)これなら何流だろうが関係ない。

藤田さん (笑)

12)斎藤一さんの剣の心、志を継いでいるのは私達だ、と思って

武田 しかし、本当は生き死にの技術においては何流か、というのもそもそもあまり関係がないような気もするんです。たとえば研究が進んで、斎藤一という方が、実は聞いたこともない流派だった、ということがわかることがあるかもしれません。それが明日かもしれない。でも、私は慌てないような気がします。

藤田さん ほう。

武田 広く居合という意味で考えてもつながるんじゃないか、と思います。そして、「実際に斬る、命を懸けるための実際の間合いで組太刀を稽古する、初太刀で勝負を決するための研究をする。」そんな流派、組織はそう多くありません。少なくとも鵬玉会はそれを目指します。そんな点で斎藤一さんの剣の心、志を継いでいるのは私達だ、と思っておけばいいんじゃないかと思うんです。

藤田さん 多分本人も固執していないのでしょうね。言い残しがないのですから。(笑)

13)〇〇流が強いのではなく、個人が強いのだ

武田 斎藤一さんが、天然理心流の道場に出入りしながら居合を稽古していたのを考えると、天然理心流9代目宗家宮川先生とおつきあいしていただきながら居合をやっている鵬玉会の一門は皆が斎藤一さんの志を継いでいる、と思っておけばいいような気がします。

藤田さん ふむ。

武田 私がもう一つ、あまり流派に固執していない理由として、「こう感じている」ということもあるように思います。私の武道歴の始まりは当時大ブームになった極真空手からです。「地上最強の空手」と言われていましたし、「最も強い格闘技は空手だ」と思っていました。でも今になってみると、どの武道が強い、というのは間違いだと思うんです。武道や流派に関係なく、強い人が強い。結局流派ではなく個人。多分これが真理です。

藤田さん なるほど。

武田 そう考えると、「無外流だから」というのも本当は関係なく、その人が一歩でも半歩でも本物に近づこうと稽古を重ねればいいのではないかと思います。きっと斎藤一さんがお聞きになっても「そうだよ」とおっしゃっていただけるのではないでしょうか。(笑)

14)「150回忌総供養祭」の感想

藤田さん 無外流の演武は塩川先生の演武を見たのが初めてで

武田 先代ですね。その弟子が私の師である、宗家の新名玉宗です。

「150回忌総供養祭」最前列でご覧になられているのが、会津松平家第14代松平保久(もりひさ)氏。松平容保公のご子孫の前で演武。京で斎藤一さんが容保公の前で演武したのを思い出しながら。

藤田さん 先日、「150回忌総供養祭」で演武を生で見る機会を得ました。ふと思い出したことがあるんですが、よろしいですか?

武田 お聞かせください。

藤田さん 会社に入社した頃に、尊敬していた上司から、「他人の力が自分と同じと思ったら向こうの方が上、他人の力が少し上と思ったら本当は向こうの方が遥かに上。」と教えられました。

武田 含蓄の深い言葉ですね。

藤田さん それから長年仕事をしていて学んだことは次のようなことです。「知識や技など、全てのことについて、自分より実力が劣る他人についてはそのレベルや問題点が一目で良く判る。自分よりレベルが高い他人についてはそのレベルや、どこがどれだけ優れているかを判断することは難しく、自分との差は小さく見える。」

武田 なるほど。

藤田さん 私は曽祖父と違い、剣については心得がありません。あのとき見た技がどれだけ優れたものであるのか、全くと言っていいほどわかりませんでした。ただただ見ていました。先の先輩の言葉を重ねて考えると、どれだけ稽古されたのだろう、どこまで行かれたのだろう、と感じました。

武田 斎藤一さんのご子孫にそう言っていただくと、穴があったら入りたくなりますが、嬉しく思います。今はおかげ様で、あちこちの演武に今お呼ばれされています。

15)東映ビデオ × 無外流居合鵬玉会

藤田さん 斎藤一を描いた漫画も多いようですね。

武田 そう言えば、東映ビデオからのオファーで「舞台 警視庁抜刀課 Vol.1」に居合監修として組むことになりました。

藤田さん 「警視庁抜刀課」・・・ふふ。

武田 そうです。警視庁抜刀隊、明治の斎藤一さんがモチーフですよね。

藤田さん ふふ。

武田 監修だけではなく、舞台で演武をしたり、トークをしたり、パンフレットの中ではジャパン・アクション・エンタープライズの殺陣師青木哲也先生と対談も掲載されているようです。

藤田さん ジャパン・アクション・エンタープライズ・・・

武田 昔は千葉真一先生や真田広之さん、志穂美悦子さんで有名だったとこです。

藤田さん ほう。

武田 その殺陣師さんの勧めで私達鵬玉会にお話が来たんです。極真を描いた映画「空手バカ一代」も東映だったのでご縁を感じましたし、嬉しく思いました。

藤田さん ふふ。

武田 別に私のところではなくても、世に凄い先生はたくさんいらっしゃるんですから。

藤田さん そうですか。

武田 本当は浅田次郎先生の、斎藤一を描いた小説「一刀斎夢録」を映画にしてほしいんですが。主役はかなわなくても、斬られる役でも出てみたいです。(笑)

藤田さん ふふ。

武田 浅田次郎先生は「一刀斎夢録」では、京都に残っていた研ぎの記録まで調べたそうですよ。

藤田さん それは読んだことがあります。

東映ビデオ × 無外流居合鵬玉会 「舞台 警視庁抜刀課 Vol.1」舞台アフタートークイベント

16)武道という世界の大問題

武田 まあ、私達武道に関係する者だけの問題ではないと思いますが、今問題なのは、本当は武道人口の減少ではないかと思います。極真空手を総合すると14万人だと言います。柔道で17万人とか。

藤田さん へー!

武田 しかし、居合は寂しいものです。「居合」という言葉自体を知らない方も多いですからね。私達無外流の一門が多いと言っても国内で千人単位の規模です。「居合は最終武道」「最も侍に近い武道」と言われながらも、極真空手や柔道の人口とくらべると微々たるものです。日本にあるほとんどの流派がおそらく数十人規模。その中で技術や精神の継承ができるのか。本当に疑問です。

藤田さん なるほど。

武田 動物だって個体数が減ったら「絶滅危惧種」の指定を受けるじゃないですか。実はまさにそんな感じなんじゃないかと思います。ですから「会を持て」と宗家に言われたときからずっと考えたんですが、この素晴らしい武道を普及しよう、と覚悟を決めました。そこで、藤田さんもお読みになっていたという作家の島地勝彦先生の勧めで、今年の初めにお墓参りに行ったんです。

藤田さん どなたのお墓参りですか?

武田 大山倍達総裁と梶原一騎宣先生のお墓です。故大山総裁は、単一の武道団体としては世界最大の組織を作り上げた方です。梶原先生は、メディアに訴えかけて、世に極真の大ブームを巻き起こした方です。「お力をお貸しください」とお願いしてきました。そしたら「空手バカ一代」を映画にした東映のオファーですからねえ。

藤田さん ふふ。

武田 ほぼ同時に東芝のプロモーションへの協力依頼が来ました。日本人が日本人のアイデンティティを失いかけ、思いやりを無くしかけ、インターネットでは好き放題に誹謗中傷しています。でも本当のグローバル化というのは、アイデンティティが重要です。「自分が何者か」というのを語れなければそもそもコミュニケーションできません。

藤田さん 外国人とのコミュニケーションは難しいですからね。

武田 わかりあうためには、まず自分の根っこと向き合うことが重要だと考えれば、自分と常に向き合おうとする武道というのは非常に力があるように思います。少なくとも稽古の中には疑似として常に「生きる死ぬ」という感覚がある。それで肚を練っていくことができると山岡鉄舟先生もおっしゃっています。

藤田さん そうですか。

新選組三番隊 斎藤一隊長
藤田さんからの情報。「福島県立博物館には、上記の藤田五郎の写真(原本)を所有者が寄託してあります。また藤田五郎が松平容保公から賜って、私の家に持っていた容保公自筆の和歌の色紙二点を今年春に寄託してあります。同館では会津祭りに合わせて、(2017年)9月16日から24日まで、それらの寄託品の特別展示をするとのことです。」あなたもぜひ。

17) 藤田さんにとっての新選組

武田  藤田さんにとって新選組、ひいお爺様であられる斎藤一というのはどんな存在でしょうか。

藤田さん 子どもの頃はわけがわかりませんから怖い人たちだ、と誤解していました。だんだんわかってくると、あの時代には必要な存在だった、と思うようになりました。特に松平容保公が幕府のために頑張ったあげく賊扱い、負けた新選組もそうでかわいそうですが、形勢が悪い中でもがんばったわけですから。

武田 そうですよね。私は新選組があったのと仮に無かったのでは、変わったであろうことがあると思います。それは「武士はこうあるべき」という後世の概念です。きちんと筋を通す、という生き方を示せただけでも、ものすごく重要な存在ではないかと思うんです。それこそが武士道でしょうから。美しい花です。もちろん、その当時の重要な役割は人それぞれ違ったわけですが。

藤田さん 容保公のご子孫、保久(もりひさ)氏は、容保公と斎藤一に共通していたのは愚直なことで、二人ともひたすら愚直に頑張った、とおっしゃいましたよね。ぐっときました。ほんの150年前くらいの先祖の話ですから。

武田 作り話ではないから、迫力があります。自分には同じことができなくても、一歩でも半歩でも、です。

藤田さん そうですね。

武田 斎藤一さんが残されたのは武士の心構え、心であって、それが一族に生き残る強運を作られた。だからこそ、何があってもおかしくない中、お母さまが手を離さず連れて帰られた藤田さんが世界に羽ばたいた。その力いっぱい生き抜かれた生き方を見習いたいと思います。今日はありがとうございました。

鵬玉独白

新選組の三番隊隊長斎藤一。
巷間「無外流であった」とされるその泣く子も黙る大幹部のご子孫は実に私のイメージ通りの方でした。
どんな家庭も家風というものがあります。子どもはその家風の中で薫陶をうけ、次の世代へまた伝えます。
私はこの藤田さんのものの見方や考え方がきっと斎藤一という方を知る一つの側面を見せてくれるものだと思いました。

話してみてわかったことは、生き残る心構えでした。
それは武士の心構えでもあるのでしょう。
私たちは無外流の技術云々だけに視野を求めるのではなく、こういう心構えも学ぶべきではないかと思います。
それが居合を通じて古の武士に一歩でも二歩でも近づく道ではないでしょうか。
私が藤田さんとお話して学んだのはそういう重要なことでした。