塩川・新名伝 無外流の系譜

流祖・辻月丹から第17代・武田鵬玉へ

 無外流は、延宝8年(1680年)、流祖・辻月丹資茂によって興されました。
 その伝承は、辻家から都治家、高橋家へと受け継がれ、昭和以降は第13代宗家・中川士龍申一、第14代・石井悟月善蔵、第15代宗家・塩川寶祥照成、無外流明思派宗家・新名玉宗豊明へと伝えられました。
 そして令和8年(2026年)7月4日、横浜武道館において、新名玉宗豊明宗家から武田鵬玉へ免許皆伝が直接授与され、宗家を継承することが認められました。
 現在、武田鵬玉は、この師弟伝承を明確に示すため、継承した無外流を「塩川・新名伝 無外流」と表記しています。

流祖 辻月丹資茂


辻月丹から始まる無外流

流祖 辻月丹資茂
第2代 辻右平太
第3代 都治記摩多資英
第4代 都治文左衛門資賢
第5代 都治記摩多資幸
第6代 都治文左衛門資信
第7代 都治金市郎嘉重

 流祖・辻月丹資茂の時代、無外流は老中・酒井雅楽頭の庇護を受け、32家もの大名が学んだと伝えられています。
 一方、無外流一門では、無外流剣術とともに自鏡流居合も稽古されていました。無外流第3代・都治記摩多資英の伝書には、すでに「無外流居合」と記されています。
 このことから、無外流剣術と自鏡流居合の関係は、後世になって突然生まれたものではなく、無外流一門では、その初期から自鏡流居合が修められていたことが分かります。

多賀自鏡軒から始まる居合

新田宮流居合 和田平助正勝
自鏡流流祖 多賀自鏡軒盛政
佐々木竜谷子
山村荘厳昌周
山村司昌茂

 自鏡流居合は、新田宮流居合の和田平助正勝に学んだ、多賀自鏡軒盛政によって興されました。
 その居合は、多賀自鏡軒盛政から佐々木竜谷子、山村荘厳昌周、山村司昌茂へと受け継がれました。
 この自鏡流居合の系譜も、2026年7月4日に新名玉宗豊明宗家から武田鵬玉へ授与された免許皆伝の巻物に、歴代の連綿として記されています。

第8代 高橋八助充亮
第9代 高橋達三充玄
第10代 高橋八助成行
第11代 高橋哲夫武成
第12代 高橋赳太郎高運

 都治家から続く無外流剣術の伝承は、高橋家へ受け継がれました。
 無外流第8代にあたる高橋八助充亮と、その弟・高橋秀蔵は、山村司昌茂から自鏡流居合を学びました。
 ここに、辻月丹資茂から続く無外流剣術の系譜と、多賀自鏡軒盛政から続く自鏡流居合の系譜が、高橋家において重なったことを確認できます。
 姫路藩では、剣術として無外流、居合として自鏡流が、藩主・酒井雅楽頭をはじめ、藩内で広く修められるようになりました。

 ただし、無外流剣術と自鏡流居合の関係が、高橋家の時代に初めて生じたということではありません。
 無外流第3代・都治記摩多資英の伝書には、すでに「無外流居合」と記されています。このことから、無外流一門では、その初期から自鏡流居合も修められていたことが分かります。
 300年以上前の稽古の姿を、現在の映像のように確認することはできません。そのため、現在伝わる無外流居合が、いつ、どのような形で整えられたのかを、完全に断定することは困難です。
 しかし、無外流一門では初期から自鏡流居合が修められ、高橋家の伝承において、現在へ続く形に整理・編纂されていったと考えるのが自然です。

昭和以降の継承

第13代 中川士龍申一
第14代 石井悟月善蔵
第15代 塩川寶祥照成

 高橋家に伝わった無外流を、第12代・高橋赳太郎高運から学んだのが、第13代宗家・中川士龍申一です。

 中川宗家は、複数の門人へ免許皆伝を允許しました。これにより、中川宗家以後の無外流には、複数の伝承系譜が成立しました。
 現在の無外流には複数の系譜が存在し、それぞれに継承者がいます。そのため、無外流のすべての系譜を一人で統轄する、単一の宗家は存在しません。
 本ページで示しているのは、その中でも、第13代宗家・中川士龍申一から、第14代・石井悟月善蔵、第15代宗家・塩川寶祥照成、無外流明思派宗家・新名玉宗豊明を経て、第17代宗家・武田鵬玉へと続く「塩川・新名伝 無外流」の系譜です。

 本系譜における「第17代」とは、無外流のすべての系譜を統轄する代数ではありません。流祖・辻月丹資茂から、塩川寶祥照成、新名玉宗豊明を経て、武田鵬玉へ続く「塩川・新名伝 無外流」の伝承系譜における代数です。

 無双直伝英信流第二十代・河野百錬の高弟であり、同流の次代を担う人物と目されていた石井悟月善蔵は、自らの門人を伴って中川士龍申一宗家へ入門しました。
 その門人の一人が、後に第15代宗家となる塩川寶祥照成です。
 こうして、高橋家に伝わった無外流剣術と居合の伝承は、中川士龍申一宗家、石井悟月善蔵を経て、塩川寶祥照成宗家へ受け継がれました。

第15代宗家・塩川寶祥から、明思派宗家・新名玉宗へ

塩川伝の系譜上、第16代にあたる
無外流明思派宗家 新名玉宗豊明

 第15代宗家・塩川寶祥照成の教えを受け継いだのが、後の無外流明思派宗家・新名玉宗豊明です。

 平成10年(1998年)、塩川宗家から新名玉水(当時)へ無外流が継承されました。当時、新名宗家を紹介した記事にも、

「平成十年、その無外流宗家を継承」

と明確に記されています。

 その後、宗家位をめぐる経緯を経て、新名宗家は平成16年(2004年)に「無外流明思派」を名乗り、正式称号を「無外流明思派宗家」としました。
 新名宗家は、無外流明思派宗家として多くの門人と指導者を育成し、日本全国、さらに世界へ無外流を広めました。
 三菱重工業の社員として世界各地で活躍した企業人としての経験と国際感覚は、古流武道を世界へ伝える大きな原動力となりました。
 無外流を全国規模の組織へ育て、世界へ開き、後進を育成した功績から、国際居合道連盟鵬玉会では、新名玉宗豊明宗家を「現代の中興の祖」と位置づけています。

※ 新名玉宗豊明宗家は、塩川伝の系譜上16番目に位置しますが、正式称号は「無外流明思派宗家」です。

明思派宗家・新名玉宗から、
塩川・新名伝 第17代宗家・武田鵬玉へ

第17代 武田鵬玉祐次

 第17代宗家 武田鵬玉。
 武田鵬玉(当時・武田祐次)は、すでに約30年の武道歴を持っていた2005年、無外流へ入門しました。
 2006年、新名玉宗豊明宗家は武田鵬玉に、

「俺のところに来い」と声をかけ、自ら直接指導を始めました。

後に武田鵬玉が、「なぜ私を『俺のところに来い』とおっしゃったんですか?」

と尋ねると、新名宗家は、

「武田さんを教えられるのは、俺だけだろ?」と答えました。

 以来、武田鵬玉は約20年にわたり、新名宗家から月々の宗家稽古を通して直接指導を受けました。
 平成29年(2017年)には、新名宗家から直接「免許」を授与されました。しかし、これは免許皆伝や宗家継承ではなく、その後も直接指導は続きました。
 無外流の形、内伝奥伝、組太刀、試し斬り、伝書、流祖・辻月丹の思想、そして一般には公にできないものまで、新名宗家から直接伝授を受けました。

 令和8年(2026年)7月4日、横浜武道館において、新名玉宗豊明宗家から武田鵬玉へ、無外流居合兵道の免許皆伝が直接授与されました。

 同時に、新名宗家から「宗家」を名乗ることが別途許され、武田鵬玉は「塩川・新名名伝 無外流」の第17代宗家を継承しました。

 武田鵬玉へ授与された免許皆伝の巻物には、辻月丹資茂から続く無外流剣術の系譜と、多賀自鏡軒盛政から続く居合の系譜、そして、それを継承してきた歴代の名が記されています。
 こうして、流祖・辻月丹資茂から約350年にわたって受け継がれてきた無外流の伝承は、新名玉宗豊明宗家から、その直弟子である第17代宗家・武田鵬玉へ託されました。

「塩川・新名伝 無外流」とは

 武田鵬玉は、自らが継承した無外流を、

塩川・新名伝 無外流

と表記しています。

 これは、新しい流派や分派を創設したことを意味する名称ではありません。
 第15代宗家・塩川寶祥照成から、無外流明思派宗家・新名玉宗豊明へ、そして新名宗家の直弟子である武田鵬玉へと受け継がれた、明確な師弟伝承を示す名称です。
 新名宗家が塩川宗家から受け継いだ無外流。武田鵬玉が新名宗家から約20年にわたり直接伝授された無外流。
 この塩川宗家、新名宗家の系譜を「塩川・新名伝 無外流」と明確にし、その第17代宗家として継承したのが武田鵬玉です。

 新名玉宗豊明宗家の正式称号は「無外流明思派宗家」ですが、武田鵬玉が継承したのは、「無外流明思派」という派名や団体ではありません。
 新名宗家から免許皆伝を授与され、塩川宗家から新名宗家へと受け継がれた無外流の師弟伝承と宗家を、「塩川・新名伝 無外流」として継承しました。
 「塩川・新名伝 無外流」という名称は、その伝承の出自を明らかにし、先人への敬意と、継承者としての責任を示すものです。

 また、本系譜における「第17代」とは、無外流のすべての系譜を統轄する代数ではありません。流祖・辻月丹資茂から、塩川寶祥照成、新名玉宗豊明を経て、武田鵬玉へと続く「塩川・新名伝 無外流」の伝承系譜における代数です。

塩川・新名伝 無外流 歴代系譜

流祖 辻月丹資茂
第2代 辻右平太
第3代 都治記摩多資英
第4代 都治文左衛門資賢
第5代 都治記摩多資幸
第6代 都治文左衛門資信
第7代 都治金市郎嘉重
第8代 高橋八助充亮
第9代 高橋達三充玄
第10代 高橋八助成行
第11代 高橋哲夫武成
第12代 高橋赳太郎高運
第13代 中川士龍申一
第14代 石井悟月善蔵
第15代 塩川寶祥照成
塩川伝の系譜上、第16代にあたる 無外流明思派 新名玉宗豊明
第17代 武田鵬玉祐次

居合の伝承系譜

新田宮流居合 和田平助正勝
自鏡流流祖 多賀自鏡軒盛政
佐々木竜谷子
山村荘厳昌周
山村司昌茂
高橋八助充亮・高橋秀蔵

山村司昌茂に高橋八助充亮と高橋秀蔵が自鏡流居合を学んだことによって、多賀自鏡軒から続く居合の伝承と、高橋家に伝わる無外流との明確な接点が生まれた。

その伝承は、高橋家から中川士龍申一、石井悟月善蔵、塩川寶祥照成、新名玉宗豊明を経て、武田鵬玉祐次へと受け継がれている。

流祖・辻月丹から第17代宗家・武田鵬玉へ

 流祖・辻月丹資茂から始まる無外流剣術の系譜。

 自鏡流流祖・多賀自鏡軒盛政から始まる自鏡流居合の系譜。

 二つの歴史的な流れは、無外流一門の中でともに修められ、高橋家へ伝わりました。
 その伝承は、第13代宗家・中川士龍申一、第14代・石井悟月善蔵、第15代宗家・塩川寶祥照成、無外流明思派宗家・新名玉宗豊明を経て、第17代宗家・武田鵬玉へと受け継がれています。

 流祖・辻月丹から第17代宗家・武田鵬玉へ。

 人から人へ、約350年にわたって手渡されてきた無外流の技術、思想、そして精神を背負い、次の時代へつないでいく。
 それが、「塩川・新名伝 無外流」と、その第17代宗家・武田鵬玉の使命です。

関連リンク

※ 宗家称号について

 武田鵬玉が継承したのは「塩川・新名伝 無外流」であり、「無外流明思派」という派名および団体を継承したものではありません。

 新名玉宗豊明宗家の正式称号は「無外流明思派宗家」です。

 武田鵬玉は、新名宗家から無外流居合兵道の免許皆伝を直接授与され、塩川寶祥照成宗家から新名玉宗豊明宗家へと受け継がれた無外流の師弟伝承と宗家を継承しました。

 武田鵬玉の正式称号は「塩川・新名伝 無外流第17代宗家」です。

 したがって、「無外流明思派第17代宗家・武田鵬玉」という表記は正しくありません。

FAQ

Q.武田鵬玉は、無外流明思派の第17代宗家ですか?

A.いいえ。武田鵬玉は、無外流明思派という派名および団体を継承していません。

新名玉宗豊明宗家から免許皆伝を直接授与され、塩川宗家から新名宗家へと受け継がれた師弟伝承の系譜を「塩川・新名伝 無外流」として継承した第17代宗家です。

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