無為自然

わが師 新名玉宗と

私の伝えたい事は【無為自然】


■ 無外流は、
辻 月丹流祖は参禅しない者は弟子にしなかったという程、禅の世界にどっぷり浸かっていました。
禅の世界が解ってくると、自然(宇宙)の中では自分の身体は、如何にチッポケな塵や芥と何ら変わらない同じような存在である、という事を先ず理解するようになります。

故に無外流明思派は、そのチッポケな身体から心を解き放し、心(意識)を無限大にして宇宙と一体になれ、と指導しています。

■ 自分の心が宇宙と一体となったら、自分の無外流は周りにいる普通の人達からは完全にかけ離れた境地にいる事を認識すると思います。
(「アレッ、周りとは何か違う」と違和感を感じると思います)

つまり、辻 月丹流祖が創設した無外流は、技量のみならず心をとてつもなく高いところに昇華させる素晴らしい武道です。

■ それで私(無外流明思派)が本気で無外流を稽古する人達に伝えたい事は、
無外流の修行は、三段階になっている、という事です。

■ 第一段階は、【一から習いて十を知り、十を知って一に戻る。されどその一は、元の一にあらず】という千 利休の教えど同じで、基本1の初太刀に始まり、万法帰一刀の横一文字に至り、基本1の初太刀に戻る。この基本1の初太刀は、元の横一文字ではない。
この第一段階を通過する時間は、当然個人差があり、それなりに時間が掛かります。

■ 第二段階は、普段の稽古の中に【真(まこと)】があるか、という事です。
誰が見ても太刀振舞に真があると感じられるかです。
真とは何か、と理解するのに時間が掛かると思いますが、この第二段階を通過する期間は、大きな個人差があります。
数年という短期で通過する人もいますが、生涯第三段階に進めない人も出てきます。

■ 第三段階は、【無為自然】を頭で理解するのではなく、体現出来る様になる事です。
つまり、宇宙の法則に則り、宇宙と一体になる。
これは相当難しく、体現出来る人はごく僅かだと思います。

■ 第三段階に至った人の無外流は、他の人達とは完全に別物になると思います。

玄黄二刀流は、
心(精神)について云々するより、先ず目の前の敵を如何に簡単に倒すかを追求しています。
つまり、人間には両手がありますから、その両手を如何に上手く効果的に遣うか。
その為の技量を高めるべく日々研鑽する武術です。

さりながら、稽古を積み重ねて行く事で、玄黄二刀流も無外流同様、心を高き境地へと昇華させる事が出来ます。

無外流も玄黄二刀流も行き着く先は【無為自然】です。

私が指導する新中和流短剣術や清派明晃流槍術、東征流短杖術は、全て行き着く先は、【無為自然】です。

「自由組太刀®」はIIO鵬玉会の登録商標

「自由組太刀®」は

国際居合道連盟鵬玉会によって商標登録されています

「自由組太刀」は国際居合道連盟鵬玉会によって商標登録されています。(登録第6923998号)令和7年5月2日に登録されました。

1)「自由組太刀®」とは武田鵬玉会長による造語である

 自由組太刀とは、国際居合道連盟鵬玉会の武田鵬玉会長による造語です。

 極真空手では、今では「組手」と言えば「自由に戦う組手」です。しかし、武田会長が足を踏み入れた昭和40年~50年前後、今の「組手」は「自由組手」と呼ばれていました。これは「約束組手」に対するものです。

 その自由組手、「組手」という言葉自体が戦後の造語であったのではないかと思います。
 その範となったのは、おそらくこの居合ではないかと思います。
 「組太刀」という言葉が、素手の空手に「組手」という言葉を作らせたのではないか、というのは想像に難くありません。

 武田鵬玉会長が居合にあった組太刀を「あくまで約束ごとにのっかった「形(かた)」としての約束組太刀」とし、居合の技術で戦う実戦を「自由組太刀」と造語したのは、これらの経緯があります。

2)商標登録された「自由組太刀」

 しかしながら、この造語は評判を呼んだのでしょう。
 あちこちで使われ出しました。
 当初は、「これで居合全体が盛り上がればいいな」とのんきに思っていましたが、近年国内外で首をかしげるような事件やできごとが多々起こっています。

 何かあってからでは取り返しがつかない。この夏の居合道選手権大会も9回目を数え、ますます盛り上がってくれば、それをほったらかしにするのは運営側の無責任です。

 そこで顧問と相談し、特許庁に商標登録を出願申請したのが2024年。
 2025年5月にこれが認められました。出版やセミナー、YouTubeをはじめとしたオンラインでの動画や、大会やイベントでこの「自由組太刀」という言葉自体、勝手に使えません。
 といっても、「自由組太刀」を鵬玉会が独占したいわけではありません。
 これをビジネスにしようと思っているわけではないのです。
 あくまで、居合の世界の自由組太刀を守りたいわけでそのためにお金と労力をかけて商標登録しました。

 そのため、当面はこの用語に使用料をかけようとは思いません。
 一言「今回の〇〇について、自由組太刀という言葉を使わせてください」と筋だけ通してください、ということです。
 筋さえ通していただければ構わないのです。

 これで居合自体が盛り上がればいいな、と思います。

2025年5月吉日

国際居合道連盟鵬玉会 会長
武田鵬玉

神道流四通八通と明思派四通八通

1)理事会問答「吹毛方納密」第385回(会員通信より) 

(1) 神道流剣術の四通八通

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武田会長(以下会長); 無外流の併伝として学ぶ組太刀は今まで37本だけが公開されていました。

安村副長(以下副長); 仕太刀(勝つ方)と打太刀(負ける方)の動きを別とすると、×2ですから、動き自体は37×2の74本あるんですよね。

会長; そうです。しかし、それそれの組太刀は表の形です。
一般にも知られていいものを表の形として学びます。
私は、ご宗家からそれぞれについての「裏の形」、そして打太刀が仕太刀の技を返せる「返し技」を学びました。その中には組太刀として八通りの太刀の形と四通りの小太刀(脇差)の形があります。
これを四通八通(しつうはっつう)と言います。
夢想権之助って、ご存じですか?

ジュリアーノ熊代国際部長(以下ジュリアーノ); すみません、知りません。

衛藤豊神奈川支部長(以下エトウ); 宮本武蔵と戦った人ですよね?

会長; そうです。
剣聖武蔵に一度負け、福岡の竈門(かまど)神社に籠り開眼し、武蔵ともう一度戦って引き分けたとか。
この夢想権之助はもともと神道流剣術の達人と言われ、それを元に編み出したのが神道夢想流杖道です。

ミノワ; ということは、杖と剣は表裏一体なんでしょうか。

会長; 無外流を極めようとすれば、杖の動きを学ぶことで違うアプローチができるという所以です。

(2) 神道流剣術とは

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ミノワ; 神道流剣術を作ったのは誰ですか?

会長; 天真正伝香取神道流に始まり、鹿島心陰流・鹿島神流として完成した、というのが一説。
これだと飯篠(いいざさ)長威斎(ちょういさい)に始まり、門人松本備前守政信という流れとなる。

ミノワ; ということは別の説があるんですね?

会長; 磐城の国船尾庄の豪族国井源八郎景継が白河鹿島神社(福島県白河市)に参籠して創始。
松本備前守政信と一緒に完成させた、という説もある。

副長; !白河には國井さんという会員がいましたね!

会長; 縁があるんじゃないかなあ、と俺も思ったよ。
そう考えるとおもしろいよね。

副長; 縁があるんですねえ!

会長; この神道流剣術の大元が天真正伝香取神道流だとすると、新当流、示現流、願立流など多くの流派がここから生まれているからね。
みんな、居合道の祖がだれかは知っているよね?

ジュリアーノ; 林崎甚助・・・だったような。

会長; そう。
この林崎甚助も飯篠長威斎に神道流剣術を学んでいる。
その後、25歳で山形県村山市の林崎明神に参籠、夢想剣を得て、神夢想流居合を編み出したそうだ。
この林崎甚助から、田宮平兵衛重正が学び田宮流が生まれ、それに学んだ和田平助正勝が新田宮流、それに学んだ多賀自鏡軒盛政が

ミノワ; 無外流が学ぶ居合ですね!?自鏡流だ!

会長; そう。そこから辻月丹の無外流の中に自鏡流の居合が入ってくるわけだ。
剣術として神道流四通八通を併伝するけど、無外流の中にその流れがある、という二重三重の縁を感じるよね。

副長; 私たちのこの神道流四通八通は、そんな系譜だったんですね。

会長; 第14代宗家の石井悟月師範の弟子だった第15代宗家塩川寶祥先生が、第13代中川士龍先生の弟子で免許皆伝の中嶋浅吉師範から継承した大阪系の四通八通が私たちのものです。
他に東京系、福岡系のものがあります。

(3) 明思派四通八通

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会長; この神道流のものにも実は裏がある。


ミノワ; 裏は実戦的なんですよね?

会長; 何かあったら、実際に戦う必要があったわけやけんね。
この裏を整理して、一般の人にも稽古できるようにしたのが「明思派(めいしは)四通八通」だ。
これを知ったらしびれるよ。

ミノワ; 楽しみです。

会長; しかし、技術がまだない人には危険な技だ。
だから、まずは弐段までは神道流を身につけてもらおう。
参段以上の審査は明思派四通八通だから、高見を目指そうと思うなら、弐段になったらすぐに稽古してほしい。

ミッション改訂のお知らせ 

「無外流最大の組織力を通じて会員一人一人の成長に貢献する」(2045年改訂)

■ 無外流居合 鵬玉会として、新名玉宗宗家からの指示を受け会をたちあげて12年。

国際居合道連盟鵬玉会として居合の武道団体としてはほとんどない法人化をなしとげて5年。

その間、鵬玉会のミッションは「無外流居合の普及・指導活動を通じ、武士道の醸成に貢献する」でした。

■ 会長である私は、前職の会社が「協会経営のコンサルタント」をしていました。
これはアメリカからの導入で、アメリカでは私企業と同じくらいに協会や連盟といった組織が多く、その経営を請け負う会社が業界を形成しているのです。

その仕事を請け負うときに、最初にやるのは「ミッション」を作ることです。
ミッションは「存在意義」とも言われます。

これには定型文があり、「(A その組織が競合にたいしてもつ「圧倒的な強み」)を通じて(B サービスを提供する相手)の(C その相手の求めている「ニーズ」)に貢献する」というものです。

どんな組織の運営も、「自分の組織の強みは何か?」を言い合えば、「あれ、なんかみんな違うことを言っている」と認識がずれていることに気づきます。

それでは、活動が同じベクトルでできようがありません。

このミッションが「存在意義」と言われる所以で、アメリカでは「ミッションがなくして発展できるはずがない」と言われます。

このあたりは、ベストセラー「ビジョナリーカンパニー」を読んでいただければさらに理解を深めることができるでしょう。

■ 12年前、どの無外流の組織も、新名宗家の写真は出すが、その組織の責任者は表に出ていませんでした。メッセージも発信はありません。

表に出てたたかれたくない、という姿勢ではこの武道は次代への継承もできないだろうと私は思っていました。

旧ミッションにあった「普及活動」は広報のことであり、内向きではなく、常に外へ外へと向かったのは、この「普及活動」ゆえです。

旧ミッションにあった「指導活動」の結果を確かめられるよう、大会を準備いたしました。

鵬玉会はオンラインまで充実している全国組織ですから、大きな大会を開くことができます。

小さな地域密着型のサークルができないのは、この大会開催です。

■ しかし、そこから時間がたち、組織の規模も、運営の核となるメンバーもさまがわり、代替わりをしました。

理事会も新しいメンバーとなり、この古いミッションを今の姿にあわせたものにしようと、4月から8月までの4カ月に渡り話し合ってきました。

時間をかけて議論をしてきたので、このミッションのベクトルにブレは無くなっていると思います。

■ A その組織が競合にたいしてもつ「圧倒的な強み

無外流最大の組織力

鵬玉会は無外流最大です。この組織力は圧倒的です。
この組織力があるから、京都や大阪などの行政府による団体「関西観光本部」や、東京都の「東京観光財団」も私たちを動画の主演に選んでくださいました。

全米3大ネットワークのNBCもアメリカから撮影に来られました。

その他、名前を出すことができない、世界の要人が私に会いに来てくださったのも、この理由は無関係ではありません。
この組織力があるからこそ、「形」「組太刀」「試し斬り」の重要な居合の要素の3つに対しての全日本大会も開催できますし、技術の合宿だけでなく、坐禅や滝行合宿といったような人間的成長・武道としての無外流の理解を深める機会提供ができるのです。
鵬玉会には「私は鵬玉会に入門すべき」理由がはっきりあるのこのゆえんです。

B サービスを提供する相手

;会員ひとりひとり

「サービス」という言葉は武道団体とは親和性がないかもしれませんが、鵬玉会で得られるものを求めてこられるのは、決して「武道マニア」ではありません。

自分の汗を流してみよう、と考える真摯な方たちが会員です。

その会員は、決して集団としての会員ではなく、それぞれの会員を指しています。

つまり、「あなた」であることを意味しています。

C その相手の求めている「ニーズ

;成長

どんな人も成長を求めています。

技術的な成長はもちろん、人間的・精神的な成長に貢献できるよう、組織の活動を行うことを明記しました。
この成長に関しては、もちろん自分の自由でいいのです。
楽しみながら自分と向き合うことも、最強を目指すことも鵬玉会ではありえるのは、このゆえんです。
ちなみに、技術的な成長、有段者においてはその格もあわせた成長を周囲も確認できるように準備したのが「袖章」です。
袖章代金が加算されるので負担にならないか、と私は迷いましたが、理事会で袖章の意味を考え、実現化を決定しました。

ミッションにそった鵬玉会のゴール(活動の柱)

(1) 技術指導
 340年継承されてきた無外流居合の技術指導をすることで、次代に継承します。 


(2) 啓蒙
 技術と禅を通じた座学の啓蒙を行い、挑戦できる場を提供することで、世界に冠たる人材を育てます。
(注 大会や合宿の場の提供、演武の実施もこのゆえんです。これは強制ではないので、各自が好きなものを選択できるような自由度が許されています。鵬玉会は強制することも強制されることも嫌います。)

(3) 広報
成長の場を増やすために、無外流居合の普及・広報活動をします。

以上3点を活動の柱とします。

上記内容が新しい存在意義です。
これからの鵬玉会をあらためてご期待ください。

フジテレビ「禁断の対決」撮影顛末記

フジテレビ「禁断の対決」撮影顛末記

【本文は、フジテレビの撮影が終了し、放送前の段階で撮影に直接協力した方だけに今日お祐されたものです】

フジテレビの撮影がいったん終了しました。
撮影にご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。
個別にお礼を言いたいところですが、「あのとき何が起こっていたのか?」を私が語ることでお礼にしたいと思います。

また、「なぜ勝ったのか」「なぜ負けたのか」を考察することで、本人たちだけではなく、その場で同じ空気を吸った剣士たちの成長を促すことができるのではないかと思います。
厳しいことを書くかもしれませんが、みな自分のこととして良薬に変えてほしいと思います。

起床4:30 衛藤さんの迎え5:30 武道館入りセッティング6:00 カメリハ開始7:30 本番9:00開始

第1戦目 箕輪〇 × 川尻×

第1戦目が始まった。
アイマスクをした2人。
内弟子なら知っている。
光も遮断し、前は一切見えない。
しかし、川尻は怪物だ。
すぐに箕輪の対角線左前に向かって歩き出す川尻。
川尻は明らかに箕輪をとらえた。
これは、フジテレビのカメリハで湾岸スタジオに行き、「天才」とフジが称した箕輪の対戦相手をオーディションしたときの川尻の戦い方だ。

相手の横に回り込み、そこからまっすぐ攻撃に入る。
相手の準備が整う前に一気呵成に攻め立てる。
この前に前に攻めていく攻撃を私は「前々の攻撃」と呼ぶことを内弟子は知っている。
これは無外流本来の特長ではない。
剣道の動きだ。
ジュリアーノ熊代も、衛藤も準備が整わないままそれに沈んだ。
熊代も衛藤も、まったく川尻に刃が立たなかったのだ。
ディレクターは「もし自分がアイマスクをしてなくて、川尻さんがしていたとしても、まったく勝てる気がしない」と感嘆した。
フジは川尻を「怪物」だと称した。

しかし、箕輪は動いた川尻に気づいた。
回り込むのは、相手が気づかないからできることだ。
箕輪は川尻が動くとそちらにからだを向ける。
川尻は回り込んで箕輪に向かって前々の攻撃をしかけたが、箕輪は川尻が抜刀したのを気づき、からだを沈めて足を狙った。

一本。

私は既視感を感じた。
そうだ、これは熊代が4戦のうち1勝をもぎとった3戦目の勝ち方だ。
あのとき、いきなり前々の攻撃をしかける川尻に2敗した熊代は、意地をかけたのだろう。
「もう一戦させてもらえませんか」と言った。
熊代は逃げつつ、追いかける川尻を誘い込み、長身を沈め足を狙った。
川尻の刀は空を切り、熊代は川尻をつかまえた。

箕輪はあのオーディションには関係が無かった。
箕輪の相手をできる選手を探すためのオーディションだったからだ。
しかし、彼は来て、そして見た。

あの熊代の貴重な1勝に箕輪はこう思っただろう。
川尻の攻撃はひたすら前々。
しかも抜刀して一番近いところを狙うから中段へ攻撃をかける。
上下に散らせばまずは1勝だ。

だから最初から狙っていたように見えたのだ。

箕輪は、熊代から勝ちパターンを手に入れなりふり構わず自分のものとした。
獣はなりふりを構わない。

この後、印象的だったのは、インタビューでの2人の回答だ。
川尻は、相手の位置がなぜわかるかという質問に「音ですね。」と何度も答えた。
箕輪は、「相手の気配はわかる。こちらに殺気が向かうから。わからないときはわざと動いて、相手の次の動きを誘う。動けば空気が変わるからわかる。そのためにも坐禅を学んだ」と答えた。
フジが求めたのは、番組が日本を感嘆させる答えだ。
この場合は、「あー、音なんだ」という川尻の答えではない。
「坐禅をして、武道の稽古をすれば、気配がわかる」という箕輪の答えだ。
このインタビューで、流れは決まったのではないか、と私は感じた。
勝負を俯瞰して見れる方が勝つのは勝負の鉄則だ。

第2戦目 箕輪× × 川尻〇

休憩を十分にとったあと、ほら貝の音で第2戦が始まった。
主審熊代の「はじめ!」の声とともにずんずんと川尻が前に進んだ。
明らかに箕輪の位置を把握している。
それを跳ね返そうと箕輪は抜き打ちで狙ったが、川尻は飛んだ。
これを「玉光」のバックステップだと言ったが、本当はそうではない。
上に飛ぶからだ。
もし、見えていれば、間合いは同じなので箕輪のものうちは川尻をとらえたであろう。

後ろがない箕輪にさらに前に進み斬りつける川尻。
箕輪はこのとき、川尻が間合いの中にいるのを知ってバックステップした。
しかし、思った以上に近い川尻は、その箕輪を斬り捨てた。
箕輪は背中に壁を背負っていたため、そのまま下がることができずに斬られてしまった。

川尻を応援しているのは、埼玉から東京城北支部だ。
元気がいいから大騒ぎになった。
押せ押せ、の雰囲気が生まれた。
数値的に1勝1敗だと言っても、雰囲気で箕輪は完全に押されている。
実況をしていた第3道場から様子を見に行くと、控えで箕輪は頭を抱えて目をつむっている。
追い込まれているのだろう。

しかし、本当はそうではなかった。
箕輪はそこまでの2戦から戦術を変えようと考えを変えたのだ。
前々の戦いをし続ける川尻に対して、1戦目は下段に行くことでつきあい、2戦目はバックステップでさらにつきあった箕輪。
落ち着け、本来前々の戦いから卒業したはずではないか、そう自分に言い聞かせていたのだろう。
この決意は3戦目でわかることになる。

第3戦目 箕輪〇 × 川尻×

実況席のモニター

3戦目が始まった。
川尻陣営は押せ押せムードが高まっている。
箕輪に対して進む川尻。
箕輪は川尻の位置がわからずに派手に動いた。
誘いだ。
これに気づかず、逃すまいとさらにずんずんと前に入った。

箕輪は目の前にいる。
川尻が抜刀しようとした空気を箕輪は感じたのだろう。
1戦目、2戦目とは明らかに違う動きをした。
左にからだをサバいたのだ。
川尻の刀は少し離れた箕輪をとらえようとするが、抜けばそのまま川尻が前にいる箕輪の刀の方が速いのは一目瞭然だ。
サイドから川尻の脇をとらえ、ついで抜刀する右腕をとらえ、川尻の刀を吹き飛ばす。

一瞬で下がった箕輪はアイマスクをしているからわからないものの、「刀を落としたんだろう」と想像した。
主審、副審すべての旗が箕輪の白を上げたとき、箕輪は血ぶりをしていた。

この3戦目のインタビューで箕輪の怒りが爆発していたのを私は感じていた。
「川尻さんの戦いは、猪突猛進だ。読み合いする間もない」

箕輪は、道場での稽古でも無外流居合を標榜する鵬玉会として、”闇夜の形”である奥伝「神門(かみのと)」を使おうとしていた。
私がそれを使ってほしいと、形を番組で披露するのをちゃんと理解していたのだ。
30秒のCM一本を新春のフジの特別番組で流すとしたらいくらするのだろう?
それをおそらく30分以上使わせてもらえるのだ。
「無外流居合の保守本流、鵬玉会ここにあり!」という絶叫を、いま任されているのだ、なぜ番組の看板である気配の読み合いをせずに、平気で間合いに入って来るのだ?
これでは神門は使えないし、番組をおもしろくできないではないか!

その怒りが「猪突猛進」「読み合いする間もない」という言葉に現れていた。
それも聞こえるように大きな声で。
『川尻、番組なんだぞ、自分が勝つことだけを考えるな』
という声が私には聞こえるようだった。
そして
「前々攻撃はもう効かないぞ!俺は無外流だ!」という宣言のように感じた。

第4戦目 箕輪〇 × 川尻×

実況席。今湊アナウンサーと。

箕輪2勝1敗、川尻1勝2敗で迎えた運命の4戦目。
もし箕輪が勝てば5戦目を待たずに勝利。
もし川尻が勝てば、決戦は5戦目となる。
川尻は刀を抜き始めた。
見ていたものは、ここで初めて川尻は、それまでの「抜き打ち」から始めるという戦い方を変えたと思ったと言う。
しかし、川尻の戦い方はまったく変わっていない、とモニター越しに実況席から私は思った。
川尻は得意の突きで勝負に出る気だ、これこそ前々の攻撃だ。

本当の驚きは次の瞬間だ。
川尻が前に出てくるのを感じた箕輪は、3戦目の勝ちパターンである「左へ回る」を捨て、「右へ回る」という賭けに出たのだ。

突きへのサバキは右に回るが定石だ。
「川尻は負けられないと、得意の突きに来るのではないか」と読んでいたかもしれない。
なんとその突きは箕輪の顔の脇を数センチで通り抜けた。
この瞬間箕輪の刀は川尻をとらえた。
実況専用となった第3道場ではアナウンサーも絶叫していた。
ディレクターは「まるで漫画です!見えているんじゃないか、って思うほどです!」と大騒ぎだ。
たしかに劇的だ。
しかし、仮に見えていたとして、そんな勝負を誰ができると言うのだ?

私が育てた箕輪は、圧巻の勝負を決めた。
なぜ2戦目に負けたか、神経が磨り減るほどに考え、川尻の前前に付き合うことをやめ、無外流として戦い、都度戦い方を変えた箕輪。
自分の勝ちパターンに固執し、「戦い方を読んだぞ、番組を成立させ、組織のためにも戦い方を変えろ」という箕輪の絶叫を理解せず、最後まで剣道の前々という戦い方を変えなかった川尻。

対照的だ。

終了後、試し斬り収録でかつて誰も映像の中でやっていない「破図味」で飛びながら斬った箕輪。
川尻は「置き藁で斬る」ことを宣言していたため、映像の中でダブることを避け私は試し斬りをしなかった。
ここまでの流れを考えれば、同じく置き藁で斬れる箕輪があえてそれをしなかった理由は察することができる。
かつて極真会で、ビール瓶切りができた芦原英幸師範が、メディアの中で一度もそれをしなかった理由と同じだ。

私が少年時代はその単行本で、長じてからは10年以上にわたり薫陶を受けた、元週刊プレイボーイ編集長の島地勝彦さんは、かつて私にこう言った。
「人間には格がある。特に凄い人は別格と言う。ここまではいる。しかし、実はその上がまだある。それは、規格外の破格だ。武田、それを目指さなければならないよ」

箕輪は破格を目指せる位置にある。
ぜひ目指してほしい。

内弟子ならば、その背中を追わなければならない。
逃がしては駄目だ。
追撃し、追い落とす。
それを目指してこそ、組織の成長はある。

川尻は今回の経験をただの思い出にせず
成長を目指さなければならない。
君の武道家人生はここからだ。

最後につけ加えておきたい。
どんなときも自分で背負わなければならない。
サムライは言い訳を用意してはならない。
箕輪は実は少し前に事故にあっていた。
あの試合のとき、むち打ちが残っていて万全ではなかったことをひとは知らない。
なぜなら、彼は言い訳につかわなかったからだ。

箕輪は勝つべくして勝った。
終了後、撤収のために荷物運びをした車の横で、私のところに箕輪は来ていった。
「覚悟を決めました。
鵬玉会に自分を捧げます」

彼は1月、武徳殿で五段を允許される。

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