
次回作のために、YEARBOOK2026を手に入れた方は、感想をお願いします。

国際居合道連盟 鵬玉会(ほうぎょくかい) - 無外流居合 -
無外流居合 全国組織の単一団体として最大級。「斬れる居合」をあなたも。

次回作のために、YEARBOOK2026を手に入れた方は、感想をお願いします。
無外流、次代へ。
「斬-ZAN- 第10回全日本居合道選手権大会 自由組太刀 横浜武道館にて開催。
― 無外流新宗家誕生の瞬間へ。明思派宗家・新名玉宗による免許皆伝授与の儀開催決定、無外流継承へ ―
概要
2026年7月4日(土)、横浜武道館にて開催される
「斬-ZAN- 第10回全日本居合道選手権大会 自由組太刀®」において、明思派宗家・新名玉宗による、武田鵬玉への免許皆伝授与式の儀が執り行われ、無外流の継承となることが決定した。これにより、国際居合道連盟鵬玉会会長の武田鵬玉は、流祖辻月丹から数えて17人目の宗家となることが許される。
同時に、本大会のエントリー申請受付も開始された。
https://all-japan-iaido.jp/entry10th/

本文
本大会は、国際居合道連盟 鵬玉会が主催する、日本でも数少ない“実戦性”を前面に掲げた居合道大会である。
一般的な形競技ではなく、実際に相対して斬り合う「自由組太刀®」を中核に据え、
「優勝とは、“一度も斬られなかった者”である」
という理念のもと、間合い・気迫・崩し・駆け引き・制圧を競う。
近年では海外武道家や他流派からの参加も増え、“現代における真剣勝負の精神”を体現する大会として、国内外から注目を集めている。
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無外流の未来を象徴する「継承」の舞台へ
今回の第10回大会では、競技大会という枠を超え、無外流にとって極めて重要な節目が刻まれる。
昨年の国際大会では、武田鵬玉が、明思派宗家・新名玉宗より「宗家名代演武」を指名された。
その指名は、多くの武道家たちに「次代」の存在を強く印象づけるものとなった。
そして今年、その流れはさらに大きく動く。
大会当日、明思派宗家・新名玉宗宗家による、武田鵬玉への「免許皆伝授与式」が執り行われることが決定した。
これは単なる段位授与ではない。
免許皆伝、さらに流祖・辻月丹から数えて17人目となる宗家としての名乗りを許されることとなる。
長年にわたり“斬れる居合”を追求し、無外流の実戦体系を築き上げてきた武田鵬玉が、宗家として無外流を継承していく存在として認められる、極めて重要な儀式となる。
当日は、国際居合道連盟鵬玉会門下の幹部陣に加え、全国から集う各流派の武道家たちも列席。
無外流の技と精神が次代へ受け継がれる、その歴史的瞬間の証人となる。
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「自由組太刀®」とは何か
自由組太刀®は、決められた約束動作ではない。
互いが自由に攻防を行う中で、
を競い合う、鵬玉会独自の実戦競技体系である。
「形だけでは見えない武道の本質がある」
その思想のもと、鵬玉会は長年にわたり自由組太刀®を磨き続け、「フルコンタクト居合ルール」として研究してきた。
現在では、他流派や海外武道家からも「日本刀による実戦研究」として高い関心を集めている。
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全流派に門戸を開放
ただし、“正しく流派として参加する”ことが条件
本大会は、無外流のみならず、他流派・他団体からの参加も歓迎している。
ただし、武道としての礼節と安全管理を重視するため、今回よりエントリーは「事前審査制」となった。
出場希望者は、まずエントリー申請ページより申請を行う。
https://all-japan-iaido.jp/entry10th/
申請内容を大会側が確認し、流派・所属・出場内容などが正式に認められた後、本エントリー手続きへ進む流れとなる。
これは排除のためではない。
武道としての礼節、流派性、安全性を守りながら、“本気の交流”を成立させるための新たな取り組みである。
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第10回大会、ついに開幕へ
記念すべき第10回大会の舞台は、横浜武道館。
全国から集まる剣士たち。
無外流宗家による継承の儀。
そして、“斬れる居合”の頂点を決める戦い。
形だけでは終わらない。
無外流が追い続けてきた「実戦」が、ここにある。
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開催概要
【大会名】
斬-ZAN- 第10回全日本居合道選手権大会 自由組太刀®
【開催日】
2026年7月4日(土)
【会場】
横浜武道館
【主催】
国際居合道連盟 鵬玉会
【エントリー申請ページ】
https://all-japan-iaido.jp/entry10th/
【大会公式サイト】
https://all-japan-iaido.jp/
【報道関係お問い合わせ】
https://mugai.org/inquiry-form/
info@iiohougyokukai
【ネットで騒がれている、空手の大会で起こった危険な瞬間】はこちらから>>>
【ネットで騒がれている、ブラジリアン柔術の体験で起こった事件】
やはり今回も凄い勢いでブラジリアン柔術の体験での衝撃的な事件の動画がほんの数日で拡散しました。
見られた方もいらっしゃるでしょう。
ご存じない方のために、今回もこの動画を見たまま記載して、考察をしたいと思います。
5歳の男の子がブラジリアン柔術の体験をしている。
投稿者はお母さまで、3分のスパーリングを10セットほどしていたそうだ。
事前にタックルと足払いを教えてもらっていたとのこと。
何かで激昂した先生が、5歳の子の胸倉をつかみ、壁に押し付けて怒ったため、彼は失禁し泣きじゃくっています。
上記の内容ではこの内容はまったく伝わらないかもしれません。
家内に、このお母さんがアップされていた動画を見て、家内は憤慨していました。
母としての怒りですね。
ブラジリアン柔術のその道場も反省をしたと聞かないし、おそらくあるだろう連盟も何もコメントがない。大人としてこれはいかがなものでしょうか。
私も、武道の指導者として、これを黙っているのは信頼を損なうものだと感じるので、コメントしたく思います。
一点誤解がないようにしておきますが、ブラジリアン柔術自体を攻撃するつもりはありません。技術を追い求める素晴らしい競技だと思いますし、どんな世界にも反省すべき人はいます。大人であっても反省は必要ですし、私は偏見を持つことはいつも避けたいと思っています。
さて、基本的には、前回の空手の大会での事故と、鵬玉会が考える姿勢は同じです。
ただし、今回は子ども同士ではなく、指導者と子どもなので、そこを論じなければなりません。
前回も言及しましたが、基本的に武道の指導者は、私たちがイメージする、「姿三四郎」を導く師のような武道家 ではありません。技術は学んできたが、精神的な修養も、学問的な成長もなく、ある日コーチのようになった人が多いのは事実です。
普通の武道でさえそうなのですから、ブラジリアン柔術の心ある先生や運営側のご苦労は察してあまりあろうかと思います。なんとなれば、ブラジリアン柔術は柔道や剣道と違い、日本に入ってきて日の浅い”武道”(” “つきなのは,いわゆる、あるいはそう一般的に思われている、ということです。)だからです。
こちらにはくわしくありませんから、浅学で申し訳ありませんが、ブラジリアン柔術の歴史を考えてみたいと思います。ここを理解することで、今運営の方たちがおそらく抱えていらっしゃる問題が見えそうな気がするからです。
もともとブラジリアン柔術は、日本人柔道家「前田光世」先生(以下敬称略)がブラジルで教えた柔道を起源としているのは有名な話です。ブラジルで独自に発達し、ブラジル人であるカルロスから学んだ、カルロスの弟のエリオ・グレイシーにより、技術的に完成された、方向性が決まった、とされています。エリオは、「木村の前に木村なし。木村の後に木村なし」と言われた、柔道最強の男だった木村政彦に負けたのをきっかけとして、さらに技術を磨き、そのご子息であるヒクソン・グレイシーの代で世界的にブラジリアン柔術を知らしめました。
件のお母さまも、ブラジリアン柔術がいわゆる”武道”であるかと誤解されたかと思います。もちろん、ブラジリアン柔術を武道たらしめようとがんばっていらっしゃるすばらしい指導者もいらっしゃるかもしれません。ただ、歴史的な事実だけで見なければ、お母さまの誤解であったことがわかりません。
この歴史を見る限り、ここに新渡戸稲造翁に象徴されるような「武士道」も、「論語」に象徴されるような四書五経も、禅も何もかもブラジリアン柔術には関係ないのです。
そもそも「柔術」と言っても、日本のものとして成長したわけではないのですから。
南部盛岡出身の新渡戸稲造翁は、アメリカ人の奥様から「欧米にはモラルの基準としてキリスト教がある。日本人には、そんな基準はある?」と聞かれて「ある。武士道だよ」と答えたと言われます。それを奥様に理解してもらうために、世界でベストセラーになる「武士道」を書いた、というのは有名な話です。
同じように、各種の武道には、拠って立つべき理想の姿が書物や教えとして伝わっているでしょう。それがないのは外国です。もちろん素晴らしい人はいらっしゃるでしょうが、私たちも外国の方に教えても、どうしても深くまで伝わらないし、理解してもらえないと感じるのです。
それはこのメンタリティ、心です。
これは歴史や書物や、座学によるところが大きいのです。
「無外流は禅によって教導いたすところ」と流祖以来言われるため、山岡鉄舟翁も通われた甲府の恵林寺に足を運び、老大師に課題をいただき、座学を学び、なんとか武道家のあるべき姿を求めます。
沢庵和尚が禅と剣との関係性を著述したのも、禅を学ばなければ勝てない、というところからでした。それがなぜかは別で記述するとして、禅を学ぶことで、日本の剣は精神性の強いものになっていったわけです。
精神を磨く、というのはなかなか難しい。
だから「薄皮を重ねるように日々努力する」ということになります。
こういう思考法は、日本においては共通常識として心の奥底にあるようです。
昨日より今日。今日より明日。まだ見ぬ自分の可能性を信じる。
勉強もスポーツも、こういう武道的、「道」の思考法が、日本人にはあります。
外国人を教えていると、「それはもう習ったから知っている。だから新しいことを教えてくれ」と往々にしてなります。できているかどうかなんて関係なかったりします。
間違えないでほしいのですが、それがいいとか、悪いとかと論じているわけではありません。拠って立っている基盤が違うのです。
もし、武道、競技、スポーツ等、各分野において、精神性なんて関係なければどうでしょうか?
「何がなんでも強ければよい」というのであれば、ひたすら技術を磨く必要があります。
座学も精神性も禅も関係なければ、新しい技術の習得に毎日を費やさなければなりません。
ラスボスたる技などあるわけではないわけですから、常に新しい技術をYouTubeで探す必要があります。
でも、日本の武道はサムライに直結しています。
鈴木大拙先生によれば「皇室は天台宗、貴族は真言宗、一般庶民は浄土宗系、武士は臨済宗。武士が臨在禅なのは、生死と向き合う必要があったから。禅を学ばなければ、命を失うから」です。
素晴らしい術は、奥深い道につながっていなければならなかったのは、命がかかっていたからです。
私たちはその素晴らしい文化を先達から脈々と受け継いでいるのです。
では私の見方を、「空手の事故」のときに記載したのを再録、修正する形で、ここに記録しておきます。
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■ 武道の基盤は武士道でなければならない
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武道は武士道にその基盤がなければならない。
もし、武士道にその基がなければ、武道はただの殺し合いの技術である。
柔道も空手も剣道も合気道も、あるいは派生するすべての武道が生殺与奪の権利を争う技術として誕生している。
武道がスポーツと違う一つは、本来は歴史の上で実践され、実証された「殺人の技術である」という点だ。
■ 「武士道」が技術に魂を与える
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武士道はその技術に魂を与える。
武道の技術を磨きに磨き、その技術を鞘に納めたままで使わずに相手を活かすことを求めるのが武道の最終目標となるのは、そこに「武士道」という魂があるからだ。
無住心剣の流祖針ヶ谷夕雲は、究極の剣は相打ちならぬ、「相抜け」であるとし、無外流新名宗家の先代塩川宗家の師でもあり、昭和の名人植芝盛平は「私の究極の技は、相手と仲良くなることです」と答えられた。
禅を修養し、自分が生きる死ぬことを考えるだけではなく、相手のことを考える。
それがかつてのサムライの求めた成長の道だ。
■ 道を求めるからこその「道場」であり、「教室」ではない
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武道の稽古場所を道場というのは、上記のように道を求めるからだ。
道場は決して「教室」「稽古場所」ではない。
道場が「教室」「稽古場所」「ジム」となったときに魂は失われてしまう。
■ 「私を産んだのは父母である。私を人たらしめたのはわが師である」(新渡戸稲造翁)
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その前提で考えれば、まず指導者の存在価値は技術を伝えるだけではない。
道を示すことだ。
新渡戸稲造翁が160年前に「武士道」でこう言っている。
「私を産んだのは父母である。私を人たらしめたのはわが師である」
師として、道を示し人としての成長を手伝えるか。それが重要だというのだ。
それに挑戦する武道の指導者は師であって、「コーチ」ではない。
ところがその存在価値を失い、相手を踏みつけても勝つことを教えた、自分の力を誇示するようになったときに、武道はただの殺人の技術に堕する。
■ 命を受け止めてくれる相手への尊敬
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試合は、命をぶつけ、受け止めてもらうものだ。
命をぶつけることができるのは、受け止めてもらえるだけの技術がある相手がいるからだ。
それを理解したときに、必死で自分の命を受け止めてくれる相手への尊敬が生まれる。
尊敬がなければ、何をしようが勝つ事への快感を求めようとするだろう。
勝利の瞬間、勝ったことを主張するためにガッツポーズでアピールするだろう。
負けた瞬間、自分は負けてないと過敏に主張したくなるかもしれない。
これでは人では無く獣だ。
快感があるのは事実だから、誰もが心の底にそんな獣が存在していると言えるだろう。
そんな獣の心に打ち勝ち、人を人たらしめるために、師は道を示すのだ。
師が自ら獣になってしまえば、それはもはや師ではない。
相手が幼くても、そこに敬意を表すことができなければ、武道家ではない。
だから武道は、師にも学びを要求するのだ。
師には覚悟が必要だ。
■ 武道の指導者の一番の役割は
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もう亡くなられたが、真樹日佐夫先生にお会いしたことがある。劇画原作者である故 梶原一騎先生の実弟で、極真会館が実戦カラテとしてそうそうたる先生方を輩出されていた時代の、総本部師範代であった方だ。
お会いしたときはすでに極真空手は四分五裂していたが、「そうか、君は福岡の極真か。今はみんな別れたけど、同じ釜の飯を食った兄弟、俺たちは家族みたいなもんだぞ」と握手してくださった。
強面だったし、極真の看板を守るときは喧嘩上等の鬼になるが、本当にやさしい人だった。
その真樹先生が、町の空手道場の経営者から相談を受けられた。「近所に違う空手道場ができた。そこは楽しくやっている。自分のところは厳しくやるし、怪我もするけど、それが空手じゃないか?」
強面の真樹先生なら「その通りだ」と言われるだろうと誰もが思っただろう。
しかし、答えは違った。
「お前、間違っているよ。指導者の一番重要な仕事は、怪我しないように門下生に目を配ることだよ。」
■ 今回の問題
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さて、上記を考えれば、
この事故を招いた指導者は師ではなく、ただのコーチであった。その点では指導者ですらない。マウントをとることで、自分の満足を得たいなら、武道の指導をするべきではなかったのではないかと思う。体験しに来た5歳の子どもに、仮に思った通りのことが伝わらなかったとしても、相手が5歳であり、どう理解しているかは大人が決めつけてはならない、と私は思うし、指導でも気をつけたい。
怒るのは感情だ。叱るのは愛情だ。
仮に自分の子どもだとしたら、将来に役立つよう、理解させようとするだろう。
5歳の子ども相手に、やってはいけないことをしたと判断した世間が問題視しているのだ。
武道の道場は心身を磨く学習と成長の場であることを忘れてはならない。
真樹先生にもし今回のことに聞いたら、「体験で来た5歳の子どもにスパーリングをやらせるなんて言語道断だよ。未経験者にタックルをやらせるのが常態化していたとしたら、今までよく事故を起こさなかったな。」とあきれられるのではないかと思う。3分を10セット。初めての、それも5歳にそれはブラジリアン柔術なら普通だ、と考えるのか。
その道場でなくても、ブラジリアン柔術の道場は、これが普通のことではない、とコメントをするべきなのじゃないだろうか。そうじゃないと、世間は「自浄作用はない」と考えるんじゃないか?これはただの行き過ぎた指導じゃない。世間が認めない以上、傷害事件の認識をもたれてもおかしくない。それも5歳の子どもに一生忘れないだろう恐怖を与えた事件として、だ。
お母さまが自責をご自分で考えるのはいい。誰でも「あのときこうすればよかった」と思うことはある。しかし、この世界を知らなかったお母さまを攻撃するのは、大人として筋違いだ。お母さまに求めることがあるとしたら、落ち着くまでお子様と楽しい時間を積み重ねてください、という願いだ。
そのお子さんが、怖くて外に出られなかったり、大人と話せなくなるような子になることなく、元気に遊ぶ子になれるよう、願うばかりだ。
■ 誰とつきあうかは重要だ
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このブラジリアン柔術の道場がどこであったのかは知らない。
今もってこの道場からの謝罪があったとは聞かない。
まずは、これがその世界全体の信頼を損なうリスクがあると認識しなければならないと思う。
5歳の子の心を傷つけたことに対して反省をされるべきだし、指導方法をさらに研究します、とされる必要があると私は思う。
■ 道からぶれることなく学び、成長しよう
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武道は殺し合いの技術では終わらない。
自分を極限まで磨き、自分の気持に勝つ。
これを新渡戸稲造翁は自分の心に打ち勝つ心として「克己心」と言い、山岡鉄舟翁はサムライがめざす「施無畏」と言った。
その成長があるから感動があるのだ。
私たちが目指す武道は、その道からぶれることなく成長を目指したい。
鵬玉会はこの事件からさらに学び、本来私たちに社会が求める「人としての成長」を導くお手伝いをする。そんな未来に続く、世界が尊敬する武道団体でありたい。
(プレスリリース)
国際居合道連盟 鵬玉会は、2026年7月4日に横浜武道館アリーナで開催される「第10回全日本居合道選手権大会 自由組太刀『斬 -ZAN-』」に向け、出場予定の注目選手の情報を発表した。本大会は流派を問わないオープントーナメント形式で行われ、優勝条件は「一度も斬られなかった者、ただ一人」と定められています。
■ 注目選手について
本大会には、これまでの大会で実績を残してきた選手に加え、
各地で研鑽を積んできた選手たちが出場を予定している。
中でも注目されるのは、以下の選手である。
■ 王者・箕輪憲人
昨年、京都武徳殿での「形の全日本」、東京での「自由組太刀の全日本」、名古屋城での「試し斬りの全日本」の3つを制するグランドスラムを達成。
本大会でも優勝候補の一人として注目される。
■ 前年準優勝・田中知博
前回大会では王者を追い詰める戦いを見せ、高い評価を得た選手。
今大会ではさらなる飛躍が期待される。
■ ジュリアーノ熊代
国内外で活動し、独自のセンスで観客を魅了する選手。
海外からの注目も集める存在となっている。
■ 一昨年覇者・鶴澤和樹
変幻自在なポジショニングで相手を幻惑するスタイル。
過去に優勝経験を持ち、安定した実力を誇る選手。
再び頂点を狙う。
■ 長野のテクニシャン 栗木六鳳
地域での活動を続けながら実力を磨いてきた選手。
鮮やかな技のキレとパワフルな攻撃、スピーディーな独自のスタイル。
存在感を示している。
■ 大会の特徴
本大会は、形(かた)を中心とする従来の居合の大会とは異なり、
流派を問わず実際の攻防を伴う自由組太刀形式で行われる。
「斬られずに、斬る」というシンプルな条件のもと、
選手たちは一瞬の攻防にすべてを懸ける。
■ 横浜武道館アリーナで開催
第10回大会は、横浜武道館アリーナにて開催される。
観客席と試合場の距離を近づけることで、
試合の臨場感をより強く体感できる環境となる。

■ 開催概要
名称:第10回全日本居合道選手権大会 自由組太刀「斬 -ZAN-」
日時:2026年7月4日(土)
会場:横浜武道館 アリーナ
形式:オープントーナメント(流派不問)
主催:国際居合道連盟 鵬玉会
■ 問い合わせ
国際居合道連盟 鵬玉会
公式サイト:https://mugai.org/
問い合わせ:https://mugai.org/inquiry01/
無外流の技術と精神を受け継ぐ節目
武田鵬玉の免許皆伝の節目に
安村凰玉 錬士七段昇段/箕輪朱翼 奥入書受領・武号授与
【プレスリリース】2026/3/6
国際居合道連盟 鵬玉会(会長:武田鵬玉)はこのたび、無外真伝無外流居合兵道において、安村凰玉が七段へ昇段し「錬士七段」となり、箕輪憲人が奥入書(おくいりしょ)を受領し武号「朱翼(しゅよく)」を拝受したことをお知らせいたします。

今回の昇格は、武田鵬玉会長が無外流の最高位である「免許皆伝」を授与された節目の中で、鵬玉会において長年研鑽を重ねてきた指導者がそれぞれの修行の節目を迎えたものです。
無外流は江戸時代中期、辻月丹によって創始された剣術流派であり、「抜き即斬」の思想に象徴される実戦的精神と、禅に通じる精神性を併せ持つ武道として知られています。
鵬玉会では、こうした技術と精神を稽古を通じて受け継いでいくことを大切にしており、今回の昇格もその流れの中で行われたものです。
■安村凰玉 錬士七段昇段
安村凰玉は国際居合道連盟 鵬玉会副長として組織運営を担うとともに、長年にわたり無外流の技術指導と普及に尽力してきました。
2021年には鵬玉会三大全国大会を制覇しグランドスラムを達成。競技・指導の両面で実績を重ねてきました。
このたび六段から七段へ昇段し、称号とあわせて「錬士七段」となりました。今回の昇段は、その修練と指導実績が高く評価されたものです。
■箕輪朱翼 奥入書受領(五段指導員)・武号授与
箕輪朱翼は若手指導者として自由組太刀など実戦的稽古を中心に研鑽を積み、2025年には鵬玉会三大全国大会を制覇しグランドスラムを達成しました。
このたび無外流の奥伝にあたる奥入書を受領し、「五段指導員」となりました。
奥入書を受けることは、一般会員から正式な弟子へと立場が変わる節目であり、流派の技術と精神を学び伝えていく立場となることを意味します。
またこの際、武号(ぶごう)が授けられ、箕輪憲人は「箕輪朱翼(みのわ しゅよく)」の名を拝受しました。
国際居合道連盟 鵬玉会では、伝統武道の継承とともに、日本文化の魅力を国内外に発信する活動を行っており、海外武道家や訪日観光客に向けたサムライ体験や演武なども展開しています。
今後も修行と実績を重ねた者に対し奥入書および武号の授与が行われ、無外流の技術と精神を受け継ぐ者が生まれていきます。
国際居合道連盟 鵬玉会は、今後も無外流の技術と精神を大切に守りながら、日本武道の魅力を世界へ発信してまいります。
【団体概要】
国際居合道連盟 鵬玉会
International Iaido Federation Hogyokukai
会長:武田鵬玉
流派:無外真伝無外流居合兵道
公式サイト
https://mugairyu.net
【お問い合わせ】
国際居合道連盟 鵬玉会
info@mugairyu.net
禅の剣 無外流居合
武田鵬玉 免許皆伝
宗家新名玉宗より允許
【プレスリリース】2026/3/5

国際居合道連盟 鵬玉会(会長:武田鵬玉)は、無外真伝無外流居合兵道(以下、無外流)において、武田鵬玉が 無外真伝無外流居合兵道 明思派宗家 新名玉宗 より 免許皆伝 を允許される運びとなったことを発表しました。免許皆伝は2026年6月吉日付にて允許され、授与は2026年7月に開催される「斬 -ZAN- 第10回全日本居合道選手権大会 自由組太刀®」の席上にて執り行われる予定です。当日は宗家 新名玉宗より、三宝に載せられた免許皆伝の巻物が直接手渡しで授与される予定です。
免許皆伝とは、流派の技と精神を修め、その継承を担うことを許された者に与えられる、武道における最高位の許しです。
無外流は江戸時代中期、剣豪 辻月丹(つじ げったん) によって開かれた流派です。
辻月丹は麻布吸江寺 禅僧 石潭和尚のもとで禅を学び、禅の思想を剣の修行に取り入れたことで知られています。
そのため無外流は、剣術でありながら禅の精神を色濃く受け継ぐ流派として知られ、「動く禅」とも称されてきました。
また無外流の理念の一つに「抜き即斬」 があります。
これは抜刀の瞬間に斬るという居合の理想を示す言葉であり、居合の精神を象徴するものとされています。
武田鵬玉は長年にわたり師である宗家 新名玉宗のもとで無外流の修行を重ねるとともに、国際居合道連盟 鵬玉会を設立。宗家の指示による活動も行ってきました。
以下は宗家名代としての演武の様子です。
国内外で居合道の普及活動を行い、日本文化としての武道を広く発信してきました。
今回の免許皆伝は、無外流の技と精神を修めたことが認められた節目となるものです。
また鵬玉会では、この節目を機に次世代指導者の育成と、無外流居合兵道のさらなる普及に取り組んでいく予定です。
【プロフィール】
■武田鵬玉
国際居合道連盟 鵬玉会 会長
無外真伝無外流居合兵道 教士八段免許(6月に免許皆伝予定)
無外流の技と精神を世界に伝える武道家。
NBC(全米三大ネットワーク)東京オリンピック特番出演。
東映ビデオ「舞台警視庁抜刀課」居合監修。
東京アメリカンクラブ師範。
2023年秋、京都・金戒光明寺の特別拝観にて21日間43演武を達成。
英国政府公認 Order of the Scottish Samurai において、OSS Taisho(大将)を受章。
国内外で居合道の普及活動を行い、日本文化としての武道を世界に発信している。
【大会概要】
大会名
斬 -ZAN- 第10回全日本居合道選手権大会 自由組太刀®
開催
2026年7月4日(土)
会場
横浜武道館
主催
国際居合道連盟 鵬玉会
【団体概要】
国際居合道連盟 鵬玉会
無外流居合兵道を中心に活動する武道団体。
武道の技術修行と日本文化の普及を目的として、日本国内および海外で活動している。
公式WEB

会
長の武田鵬玉です。
第10回を迎える「斬 ZAN」は、
これまで以上に大きな挑戦となります。
今年は
という節目の年です。
そこで今回、
大会役員を会員の中から公募します。
ここで一つ、はっきりお伝えします。
段位・級位は問いません。
必要なのは
です。
たとえば
こうした分野で
「自分は関わりたい」「文化祭の前夜のような高揚感を味わいたい」
そう思う方を歓迎します。
武道の場ですが、
これは一つの“本気の仕事”です。
自分の専門性を、
鵬玉会の挑戦に使ってみたい方は、
ぜひ手を挙げてください。
詳細・役割分担については、
応募者と個別に相談の上、決定します。
第10回という節目を、
一緒に“事件”にしましょう。
国際居合道連盟 鵬玉会
会長 武田鵬玉
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速報! 第10回記念大会 自由組太刀
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会長の武田鵬玉です。
今日は、速報として一つお知らせがあります。
夏の自由組太刀・全日本大会。
「第10回全日本居合道選手権大会 自由組太刀」
今年は――
第10回記念大会として、
横浜武道館アリーナを舞台に開催します。
📅 2026年7月4日(土)
この自由組太刀の大会は、鵬玉会が始め、10年以上続けてきたものです。
自由組太刀という概念が以前はありませんでした。
オープントーナメントを謳ってはいますが、他流は、まず出てきません。
それが現実です。
多くの流派が
「自分の技術がいかに正しいか」
「理論上はいかに優れているか」
を語ります。
しかし――
実際に斬る勝負の場に立つかどうかとなると、
途端に口数が減ります。
(もちろんソフト剣で)
だからこそ、はっきり言います。
10年以上にわたり、このメソッドを“実戦”として稽古し、
大会という戦場に立ち続けてきた鵬玉会の選手たちは、本当に凄い。
言い訳をせず、
ガタガタ言わず、
ただ前に立ってきた。
そして技術を磨きに磨いて、そのナレッジは10年前とは比較にならなくなってきました。
これは、他にはない、圧倒的なアドバンテージです。
私たちは、こう考えています。
「武道の根幹は強さだ。
ならば居合の命は、自由組太刀®と試し斬りだ。」
この考えを、
言葉ではなく、実戦で積み上げてきました。
そして今年――
舞台を変えます。
これまでの「上から見下ろす会場」ではありません。
横浜武道館アリーナ。
選手を目の前で見れる距離です。
一撃の速さ。
荒い息遣い。
飛び散る汗。
きっと歓声で当日は熱狂できるでしょう。
観るのではなく、
立ち会う武道です。
第10回。
積み重ねてきた時間が、ここにあります。
始めるのは思いつきでできても、続けるのは難しい。
それを10回続けてきました。
最強の称号を手に入れるのは誰か。
他流の参戦は、あるのか。
鵬玉会の選手が、無外流最強を証明できるのか。
私は思っています。
この10年を戦ってきたみなさんは、
必ずレジェンドになる。
――いや、
私がレジェンドにしてみせます。
詳細は、近日あらためてお知らせします。
まずは速報として、共有まで。
国際居合道連盟 鵬玉会
会長 武田鵬玉
【総評】京都武徳殿 第10回 全日本居合道選手権大会 形
――この大会は、何だったのか
【総評】
Ⅰ.京都武徳殿で、私たちは何をしたのか

第10回 全日本居合道選手権大会 形を、日本武道の聖地・京都武徳殿にて開催できたことを、主催者として、あらためて誇りに思います。
この大会は、誰かに勝つための場ではありません。
勝敗がないわけではない。
しかしそれは目的ではなく、
武道の旅の道のどこに立っているかを示す、ひとつの目印にすぎません。
この場で私たちが行ったのは、
自分自身の居合を、武徳殿に奉納することでした。
3分間。
勝とうが、負けようが、関係ない。
今の自分が出せる、
最も正直な形を、この場に置いていく。
その3分の積み重ね、その集合体こそが、第10回大会そのものだったのだと思います。
過去最多となった選手たちは、この場に身を置いたときの高揚と緊張を、きっと忘れることはないでしょう。

Ⅱ.象徴的だった、四段以上の部 決勝戦
どの部も素晴らしい演武でした。
中でも特筆すべきは、四段以上の部の決勝戦です。
昨年のチャンピオン、東京都心支部長・箕輪憲人 五段指導員。
対するは、長野支部長・栗木六鳳 錬士六段。


武徳殿を揺るがすような激戦でした。
水面にわずかな変化が起こった瞬間に弾けるような、栗木師範の「水の無外流」とも言うべき演武。
吹き出る炎が場を燃やし尽くすような、箕輪指導員の「火の無外流」とも言うべき演武。
同じ無外流でありながら、ここまで異なる居合が成立する。
それは鵬玉会が鵬玉会である所以です。
この一戦は、鵬玉会が「形をなぞる団体」ではなく、人を育てる団体であることを、雄弁に物語っていました。

また、かつて四強と言われた一角、小林秀鳳五段指導員の形、特に「捨」は、
「戦車が来たようにしか思えなかった。こんな居合があったのか、と衝撃だった」(衛藤副長補佐 談)
と評されるほどの衝撃を残しました。
こんな選手を抱えた鵬玉会の層の厚さ。
今年の大会が、特に素晴らしかった理由は、まさにここにあったと思います。
Ⅲ.祝賀会という「結界の外」

大会後に行われた祝賀会も、非常に印象深いものでした。
京都ガーデンパレスのバンケットという、格式ある場で迎えた第10回の節目。
この場を仕掛け、設計してくれた安村師範には、心から感謝しています。
武徳殿という「奉納の場」を出て、一度、俗世に戻る。
笑い、語り、杯を交わす。
その時間があってこそ、修行は日常に戻っていきます。



Ⅳ.大会結果について
本大会は、奉納の場であると同時に、公式な競技大会でもあります。
以下に記す結果は、優劣を誇示するためのものではありません。
それぞれがこの日に差し出した「3分間の形」の記録です。第10回 全日本居合道選手権大会 形 大会結果
●リトルジュニアの部
優勝 栗田圭路郎(総本部)
準優勝 田口朝陽(総本部)
三位 安池 均(神奈川)

●ジュニアの部
優勝(京都市教育委員長賞)藤澤滉一朗(東京都心)
準優勝 丸山大貴(長野)
三位 佐藤武徳(総本部)

●リトルユースの部
優勝(京都市教育委員長賞)斉藤涼太(埼玉)
準優勝 渡邊 菊(総本部)
三位 大谷志貴(長野)

●ユースの部
優勝(副長 安村凰玉賞)渡邊すみれ(総本部)
準優勝 大澤幸輝(埼玉)
三位 大越妃依(千葉)

●無級〜六級の部
優勝 楊 華胥(神奈川)
準優勝 三遊亭遊馬(総本部)
三位 鈴木晃二(神奈川)

●一級〜五級の部
優勝 西澤明音(東京都心)
準優勝 金子俊一郎(東京都心)
三位 塩澤 宏(千葉)

●初段の部
優勝(大会実行委員長賞)田中十督(福岡)
準優勝 細川かをる(総本部)
三位 西方有紀子(総本部)

●弍段の部
優勝(京都市長賞)今井敏雄(神奈川)
準優勝 阿部陽子(総本部)
三位 内山 槙(愛知)

●参段の部
優勝(会長 武田鵬玉賞)衛藤 豊(神奈川)
準優勝 ジュリアーノ熊代(総本部)
三位 奥田裕子(埼玉)

●四段以上の部
優勝(無外流明思派宗家 新名玉宗賞)栗木六鳳(長野)
準優勝 箕輪憲人(東京都心)
三位 田中知博(埼玉)

Ⅴ.そして、次の一歩――滝行合宿へ
▼ 滝行合宿の詳細・お申込み
https://mugairyu.net/key/Gassyuku2026_taki.html
こうして振り返ると、鵬玉会は、技と形において、ひとつの到達点に立ったのだと感じます。
では、次に問われるのは何か。
心です。
勝とうとする心。
評価されたい心。
恐れ、迷い、執着。
それらを一度すべて手放したとき、初めて見えてくる居合があります。
そのための修行が、滝行合宿です。
滝行は、精神論ではありません。
根性試しでもありません。
冷たい水の中で、逃げ場のない状況に身を置き、呼吸と姿勢と心を、ただ整える。
京都武徳殿が、これまで積み上げてきた居合を歴史に奉納する場であったとするならば、滝行合宿はこれからの居合を自分自身に問い直す場です。
今回の大会を経た今だからこそ、滝行は、次の一歩になります。

Ⅵ.宗家から与えられた課題と、次の世代へ
ご宗家から、坐禅、滝行などの精神的修養を課題として与えられたことで、私には、はっきりとわかったことがあります。
形を稽古するだけでは、
組太刀を重ねるだけでは、
試し斬りを積み上げるだけでは、
決して見えてこない世界が、確かにあるということです。
20年居合を学んできましたが(空手を入れれば50年)、明らかに去年ステージを変えました。
その過程で、誰も想像することのない稽古を経験させられ、
宗家名代としての演武を許され、
そして本年、あらたな課題を与えられました。
その折に、宗家からかけられた言葉があります。
「鯉になる者は多くいる。
しかし、その中からしゃちほこになる者は少ない。
そのしゃちほこから、さらに龍になる者は、ほとんどいない。
武田さんは、しゃちほこにはなったことがわかった。
さて、龍になれるか。
ここからが、武田さんの修行だな。」
この言葉は、私個人への評価であると同時に、鵬玉会全体への問いでもあると受け止めています。
技を身につける段階は、鯉。
技と経験を積み、指導に立つ段階が、しゃちほこ。
では――
その先にある「龍」とは何か。
それは、技を誇ることでも、勝敗を積み上げることでもありません。
すべてを手放したうえで、なお立ち続けること。
その境地に向かう修行がここから始まります。
私は久しぶりにワクワクしているのです。
後に続く人たちへ。
この世界は、思っている以上に、面白い。
形や組太刀、試し斬りを稽古しているだけでは、
決して見えない世界が、確かにあります。
まずは、その世界を「知る」ために。
滝行合宿で、待っています。
滝行合宿について(補足)
滝行と聞くと、厳しい修行を想像する方もいるかもしれません。
しかし、今回行う滝行の場は、水の流れがゆるやかな場所もあり、
無理のない形での水浴だけでも行える環境です。
滝に入らず、
そばで水音を聞き、
静かに呼吸を整えるだけでも構いません。
「見るだけ」でも、もちろん大丈夫です。
昨年は、
リトルジュニアの子どもも参加しました。
それぞれが、自分に合った形で、
この時間を過ごしています。
滝行は、
誰かと比べるものではありません。
競うものでもありません。
今の自分にできる一歩を踏み出す。
それだけで十分です。
ぜひ、あなたも。
▼ 滝行合宿の詳細・お申込み
https://mugairyu.net/key/Gassyuku2026_taki.html
国際居合道連盟 鵬玉会
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