【総評】京都武徳殿 第10回 全日本居合道選手権大会 形 

【総評】京都武徳殿 第10回 全日本居合道選手権大会 形 

――この大会は、何だったのか


【総評】
Ⅰ.京都武徳殿で、私たちは何をしたのか

第10回 全日本居合道選手権大会 形を、日本武道の聖地・京都武徳殿にて開催できたことを、主催者として、あらためて誇りに思います。

この大会は、誰かに勝つための場ではありません。
勝敗がないわけではない。

しかしそれは目的ではなく、
武道の旅の道のどこに立っているかを示す、ひとつの目印にすぎません。

この場で私たちが行ったのは、
自分自身の居合を、武徳殿に奉納することでした。

3分間。
勝とうが、負けようが、関係ない。
今の自分が出せる、
最も正直な形を、この場に置いていく。

その3分の積み重ね、その集合体こそが、第10回大会そのものだったのだと思います。
過去最多となった選手たちは、この場に身を置いたときの高揚と緊張を、きっと忘れることはないでしょう。


Ⅱ.象徴的だった、四段以上の部 決勝戦

どの部も素晴らしい演武でした。
中でも特筆すべきは、四段以上の部の決勝戦です。

昨年のチャンピオン、東京都心支部長・箕輪憲人 五段指導員。

対するは、長野支部長・栗木六鳳 錬士六段。

箕輪憲人五段指導員(東京都心支部長)
栗木六鳳錬士六段(長野支部長)

武徳殿を揺るがすような激戦でした。

水面にわずかな変化が起こった瞬間に弾けるような、栗木師範の「水の無外流」とも言うべき演武。

吹き出る炎が場を燃やし尽くすような、箕輪指導員の「火の無外流」とも言うべき演武。

同じ無外流でありながら、ここまで異なる居合が成立する。
それは鵬玉会が鵬玉会である所以です。

この一戦は、鵬玉会が「形をなぞる団体」ではなく、人を育てる団体であることを、雄弁に物語っていました。


  また、かつて四強と言われた一角、小林秀鳳五段指導員の形、特に「捨」は、
「戦車が来たようにしか思えなかった。こんな居合があったのか、と衝撃だった」(衛藤副長補佐 談)
と評されるほどの衝撃を残しました。  

こんな選手を抱えた鵬玉会の層の厚さ。
今年の大会が、特に素晴らしかった理由は、まさにここにあったと思います。


Ⅲ.祝賀会という「結界の外」

大会後に行われた祝賀会も、非常に印象深いものでした。

京都ガーデンパレスのバンケットという、格式ある場で迎えた第10回の節目。

この場を仕掛け、設計してくれた安村師範には、心から感謝しています。

武徳殿という「奉納の場」を出て、一度、俗世に戻る。

笑い、語り、杯を交わす。
その時間があってこそ、修行は日常に戻っていきます。


Ⅳ.大会結果について

本大会は、奉納の場であると同時に、公式な競技大会でもあります。

以下に記す結果は、優劣を誇示するためのものではありません。
それぞれがこの日に差し出した「3分間の形」の記録です。第10回 全日本居合道選手権大会 形 大会結果

●リトルジュニアの部
優勝 栗田圭路郎(総本部)
準優勝 田口朝陽(総本部)
三位 安池 均(神奈川)

●ジュニアの部
優勝(京都市教育委員長賞)藤澤滉一朗(東京都心)
準優勝 丸山大貴(長野)
三位 佐藤武徳(総本部)

●リトルユースの部
優勝(京都市教育委員長賞)斉藤涼太(埼玉)
準優勝 渡邊 菊(総本部)
三位 大谷志貴(長野)

●ユースの部
優勝(副長 安村凰玉賞)渡邊すみれ(総本部)
準優勝 大澤幸輝(埼玉)
三位 大越妃依(千葉)

●無級〜六級の部
優勝 楊 華胥(神奈川)
準優勝 三遊亭遊馬(総本部)
三位 鈴木晃二(神奈川)

●一級〜五級の部
優勝 西澤明音(東京都心)
準優勝 金子俊一郎(東京都心)
三位 塩澤 宏(千葉)

●初段の部
優勝(大会実行委員長賞)田中十督(福岡)
準優勝 細川かをる(総本部)
三位 西方有紀子(総本部)

●弍段の部
優勝(京都市長賞)今井敏雄(神奈川)
準優勝 阿部陽子(総本部)
三位 内山 槙(愛知)

●参段の部
優勝(会長 武田鵬玉賞)衛藤 豊(神奈川)
準優勝 ジュリアーノ熊代(総本部)
三位 奥田裕子(埼玉)

●四段以上の部
優勝(無外流明思派宗家 新名玉宗賞)栗木六鳳(長野)
準優勝 箕輪憲人(東京都心)
三位 田中知博(埼玉)


Ⅴ.そして、次の一歩――滝行合宿へ

こうして振り返ると、鵬玉会は、技と形において、ひとつの到達点に立ったのだと感じます。

では、次に問われるのは何か。

心です。

勝とうとする心。
評価されたい心。
恐れ、迷い、執着。

それらを一度すべて手放したとき、初めて見えてくる居合があります。

そのための修行が、滝行合宿です。

滝行は、精神論ではありません。
根性試しでもありません。

冷たい水の中で、逃げ場のない状況に身を置き、呼吸と姿勢と心を、ただ整える。

京都武徳殿が、これまで積み上げてきた居合を歴史に奉納する場であったとするならば、滝行合宿はこれからの居合を自分自身に問い直す場です。

今回の大会を経た今だからこそ、滝行は、次の一歩になります。


Ⅵ.宗家から与えられた課題と、次の世代へ

ご宗家から、坐禅、滝行などの精神的修養を課題として与えられたことで、私には、はっきりとわかったことがあります。

形を稽古するだけでは、
組太刀を重ねるだけでは、
試し斬りを積み上げるだけでは、
決して見えてこない世界が、確かにあるということです。
20年居合を学んできましたが(空手を入れれば50年)、明らかに去年ステージを変えました。

その過程で、誰も想像することのない稽古を経験させられ、
宗家名代としての演武を許され、
そして本年、あらたな課題を与えられました。

その折に、宗家からかけられた言葉があります。

「鯉になる者は多くいる。
しかし、その中からしゃちほこになる者は少ない。
そのしゃちほこから、さらに龍になる者は、ほとんどいない。
武田さんは、しゃちほこにはなったことがわかった。
さて、龍になれるか。
ここからが、武田さんの修行だな。」

この言葉は、私個人への評価であると同時に、鵬玉会全体への問いでもあると受け止めています。

技を身につける段階は、鯉。
技と経験を積み、指導に立つ段階が、しゃちほこ。

では――
その先にある「龍」とは何か。

それは、技を誇ることでも、勝敗を積み上げることでもありません。

すべてを手放したうえで、なお立ち続けること。
その境地に向かう修行がここから始まります。
私は久しぶりにワクワクしているのです。

後に続く人たちへ。

この世界は、思っている以上に、面白い。

形や組太刀、試し斬りを稽古しているだけでは、
決して見えない世界が、確かにあります。

まずは、その世界を「知る」ために。
滝行合宿で、待っています。


滝行合宿について(補足)

滝行と聞くと、厳しい修行を想像する方もいるかもしれません。

しかし、今回行う滝行の場は、水の流れがゆるやかな場所もあり、
無理のない形での水浴だけでも行える環境です。

滝に入らず、
そばで水音を聞き、
静かに呼吸を整えるだけでも構いません。

「見るだけ」でも、もちろん大丈夫です。

昨年は、
リトルジュニアの子どもも参加しました。
それぞれが、自分に合った形で、
この時間を過ごしています。

滝行は、
誰かと比べるものではありません。
競うものでもありません。

今の自分にできる一歩を踏み出す。
それだけで十分です。

ぜひ、あなたも。

▼ 滝行合宿の詳細・お申込み
https://mugairyu.net/key/Gassyuku2026_taki.html


国際居合道連盟 鵬玉会

会長 武田鵬玉

当日ご参加の方へ!感想をください!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です